第三章 その瞳に映るもの ③
「藤十郎様、文が来ております」
せつなが藤十郎の部屋に隣接する板張りの廊下に座り、藤十郎へと話しかけると、彼は書見台から顔を上げた。
せつなは立ち上がり、藤十郎に文を手渡すと彼はすぐさま文をひっくり返して差し出し人を確かめた。
「ああ、珍しいな。
「……懇意な方からだったのですか?」
せつなは
「そうだな、羽原殿は私の兄弟子なのだよ」
そう言いながらつづら折りにされていた文を広げていく。そして熱心に文に目を通す藤十郎へ、せつなはついつい話しかけてしまう。
「その……藤十郎様はあやかし討伐をするために師匠について厳しい修行を積んだと聞きましたが、羽原殿はもしかしてその時の?」
「ああ、そうなんだよ」
文に目を落としたままで明るい声でそう言って頷く。
私からの文も、そんなふうに読んでくれたらよかったのに、と思うのは
「ご立派ですね。あやかしから人々を守るために修行をなされて」
自分の
「本当はそんなつもりはなかったのだが……。今はあやかしを退治するのを仕事にしているが、本当はあやかしのことを守りたくて、師匠に弟子入りをしたんだ」
「あやかしを守る、ですか?」
それはまるであべこべではないか、とせつなの頭は混乱した。
「そうだな……」
藤十郎は少々迷ったように
「あやかしもこの世に生を与えられた生物だ。悪いものばかりではない。人に危害を与えるようなものはもちろん討伐しなければならないが、そうではないものもいる」
「シロ、も、そうですものね?」
「ああ、そうだな」
そう即答してくれたことを嬉しく思う。
あやかし、とひと口に言っても様々なものがいて、全てを討伐する必要などないと、せつなも常々そう思っていた。あやかしを討伐する任務を帯びている第八警邏隊を率いる藤十郎が、自分と同じ考えであることに
「……とはいえ、あやかしはあやかしだ。人とは違う。その辺りはわきまえなければならないのだが……」
そう言う藤十郎が、なんだかとても複雑な表情をしているように思えた。普段からあやかしと
藤十郎は優しい人だ。
だがその優しい
(それがなんなのか、私が分かればいいのに)
藤十郎が心を許せる特別な人になら、彼はそれを
彼がせつなに向けてくる優しさは、誰に対しても向けてくるものだ。そうではない、特別な感情を向けてくれないかと思ってしまう。それを願っても
「ときに、せつは橋本とよく話すようだが、それは控えた方がいいかもしれない」
「え? どうしてでしょうか?」
橋本は第八警邏隊の屯所へ来たときに、最初に優しく話しかけてくれた人だ。せつなは橋本に好意を持っていて……好意と言っても男女のそれではなく、優しい兄だとか、頼れる年上の友人とか、そういうことであるが。
「橋本は……そうだな、ああ見えて大きな怪我を負って療養中の身だ。長く話すと、自分からはそう言わないとしても疲れることもあるだろう」
「なるほど、そういう事情でしたか。すみません、配慮が足りずに」
「ああ、そうしてくれ」
それで会話が途切れたので、せつなは辞去する旨を告げて立ち上がった。
◇◇◇
「ごめんください、どなたかいらっしゃいませんか?」
せつなが
慌ただしく手を
長い髪を頭の高いところで結って、そのまま背中へと垂らしていた。
「あの、こちらは第八警邏隊の屯所だと聞いて来たのですが」
「はい、そうです」
「まさか、あなたが第八警邏隊の方で……?」
疑わしそうな瞳と、まさか、という言葉になんとなく含みを感じた。
「いえ……私はこちらで働かせていただいている者でして、第八警邏隊に所属しているわけではありません」
「そうでしたか。私は
「はい……それで、どういったご用向きで」
「実は、私は
「巫女……ですか?」
せつなが首を
「はい。第八警邏隊のお役に立てないかと思いまして、こちらに参りました。隊長である、
沙雪は
藤十郎に会いたいという人が来た、とのことを告げると、ちょうど手が空いているから会うとの返事であったので、沙雪を客間に案内し、すぐに藤十郎がやって来るから少し待つように言い置いてから台所へと向かった。
わざわざ伊予から来た巫女だという彼女は、もしかして第八警邏隊に入隊を希望しているのだろうか。あのような
もし彼女が第八警邏隊に入隊するとなったら、ここで暮らすことになるのだろうか。伊予から来たというから、きっとそういうことになるだろう。
(キレイな方だったわ。それに巫女だというから、あやかしについても詳しいはず。きっと藤十郎様と話も合うでしょうね)
もしかして一緒に暮らすことになったら、徐々に心を通じ合わせるようになっていい仲になって……などということを考えてしまい、慌てて首を横に振った。
恐らくは特別な使命感を持ってわざわざ京までやって来たのだろう。そんな人に対して浮ついたことを考えてしまうのは失礼である。
(でも、気になるわ)
そんなことを考えていたら、いつの間にかやかんがぐらぐらと煮立っていた。慌てて竈から外し、
お盆に
最初は熱湯で茶を淹れてしまい、お前は茶も淹れられないのか、と怒られたものだが、今ではちょうどいい温度の、ちょうどいい濃さのお茶を淹れられるようになっていた。大事なお客様に出すのにもなんの心配もない。
客間へとたどり着き、ぴったりと閉まった
「まあ、それでは私の力など必要ないとおっしゃるの?」
いかにも不服そうな声が聞こえてきた。
一体どういうことなのか、と思わず手を止め、客間の会話に耳を
「そうですね、今のところはあなたの力を借りる必要はないと思われます」
対する藤十郎のきっぱりとした言いように、これはこれ以上どう言っても無駄であるのではと感じた。
「そんな……私はわざわざ伊予から駆けつけたのですよ? 京に巣くうあやかしたちを退治するために……!」
「その心意気は有り難い。だが、今のところ手は足りているのだ」
それは本当だろうか、とせつなは疑ってしまう。先だってのあやかし退治の様子などを思い出すと、あやかしを退治するのに人は多いに越したことはないのではと思うからだ。それに橋本は怪我の療養のために戦線から離脱しているし、ひとりは故郷に帰っていて不在である。
「……は! 手が足りているですって?」
「まったくそのように思えないわ。京の、このあやかしの数はなに? 確かに、
第八警邏隊を侮るような言い方が気になって、思わず反論したくなってしまう。
せつなが襖の向こうで苛立たしい気持ちになっている間にも会話は続いていく。
「下等なあやかしたちも平気でうろうろしているじゃない……! この現状を、あなたはどう思っているの?」
「力を持たないあやかしは、人に危害を加えることはない。しかも普通の人の目には映らないものがほとんどだ。特にこちらからなにかする必要はない」
「なにを言っているの? あやかしなんて見つけたそばから討伐していけばいいのよ! あやかしにいいも悪いもないわ。力がないからと目こぼしするような必要はない。片っ端から片付けていけばいいのよ!」
「そうだな」
藤十郎は深々とため息を吐き出した。
「……そのような心持ちの者と共にあやかし退治をするのは難しい」
「なんですって? せっかく手を貸してやろうって言っているのに! そうね、ようやく分かったわ。あなたたちがしっかりしていないから、京はこんなあやかしが
黙している藤十郎に対して、沙雪は更に興奮した様子で続ける。
「ああ、そうね、もしかしたら京のあやかしたちを退治しつくしてしまったら、自分たちの存在意義がなくなるからとわざと手を抜いているのかしらね? そうよね、京からあやかしがいなくなってしまったら、もう京の人々から頼られることもないもの。そうとしか考えられないわ。そんな
沙雪は藤十郎に
「そうでなければ、第八警邏隊はとんだ間抜けの集まりってことかしら? そうよね、普通の人たちにはあやかしが退治できるってだけで有り難くて、その力量については分からないものね」
「少しお待ちください……!」
せつなはすっくと立ち上がり、思わず襖を大きく開け放ってしまった。
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