第二章 上手くいかない京での暮らし ⑥

「せつ、少し話があるのだが、いいか?」


 かまどの前にしゃがみ込んで、火の具合を見ているときに不意に背後から話しかけられた。藤十郎がいつの間にかせつなの後ろに立っていた。


「はい……! もちろんです」


 せつなはすぐさま立ち上がろうとして……手当てしてもらった足に痛みが走るがそれを顔に出さないようにと努め、ぴんと背筋を伸ばして藤十郎の前に進み出た。


「いや……そうかしこまらなくてもいい」


 そう言いながら藤十郎は近くの腰掛に座って、腕を組んで話し始める。


「先ほどだが、どうしてあんなところに居た?」


 先ほど、とはもちろん第八警邏隊が落ち武者のあやかしを退治したときのことである。


 隊士たちはその戦いでかなり大きな怪我を負っていた。

 一番重傷だった佐々木は、それまでは息も絶え絶えだったのに、屯所に戻ってきて水を飲んでほんの少し休んだだけでいつもの調子を取り戻した。肩を怪我した上にあばらを何本か折ってしまっていた。あばら骨を折ってしまうなんて、きっと息をするのもつらいはずなのに、佐々木はそんな様子はおくびにも出さず、しばらくは晩酌はやめておくか、とつまらなそうにつぶやいていた。

 笹塚は左腕は酷くれてはいたが、骨折はしておらず、腫れを抑えるための薬草の湿布をつけた。臭い……とぼやいてから、しばらく休むと別の部屋に行ってしまった。

 細川は額を傷つけ、足をくじいたもののそちらも重傷まではいっていなかった。ただ、頭を包帯でぐるぐる巻きにしているので、彼が一番重傷のように見えた。が、本人はまったく大したことがないという様子で、外回りに行くと言って出掛けてしまった。


「ええっと……あの、あやかしから逃げ遅れた子が居ると聞いて、居ても立ってもいられなくなって……」


 そうしてせつなは事情を説明するが、藤十郎のまゆしわは深くなるばかりだった。


「その子のことが心配だったという気持ちは分かるが、せつが来たところでなにもならなかっただろう」

「はい……面目ありません。おまけに私まで怪我をしてしまいまして」


 思い起こせば、なんの役にも立てなかった。あれではただ第八警邏隊の戦いを見に行っただけ、であろう。雛を無事に茉津屋まで連れ帰り、そこで涙ながらに手を握られて感謝の言葉を述べられたが、それはせつなに向けられるべき言葉ではなかった。


「もしかしてこの屯所で働くうちに、第八警邏隊の一員になったような気持ちになったのかもしれないが、それはお主の役割ではない」


 いつもの穏やかな表情だったが、その口調は厳しいものだった。とがめられているように感じてしまう。


「はい……本当に申し訳ありません」

「こんなことはもう二度としないように」


 きっぱりと言い捨てられた言葉に戸惑って身体をこわらせていると、それに更に追い討ちをかけるように藤十郎が続ける。


「本当は褒めるべきことなのかもしれない。せつの必死な気持ちも分からないでもない。どうにかしてやりたくて、居ても立ってもいられなくなったのだろう。我々のような無骨な者ではなく、せつのような優しげな女性が助けに来てくれたことであの女の子も安心したことだろう。あやかしを倒した後もずっとせつにしがみついていて離れなかった。しかしそれを認めることはできないのだ。力もない者が他者を助けようと思わない方がいい」

「はい……」


 全く言われる通りで、せつなはうなずく以外できない。


「お主のような者がいては、あやかし討伐の邪魔なのだ。今回はあやかしに気付かれなかったからいいが、もし気付かれて人質に取られるようなことがあればこちらは動けなくなる。つまり、足手まといになるのだ」


 そんなことは全く考えていなかった。

 命懸けで戦う場である。そんなところでせつなは邪魔者なのだ。せつなが居ることで、彼らの命を危険にさらす事だってあったかもしれない。


「申し訳ありません、考えが至らずに……」


 せつなはしょんぼりとうなれながら、深々と頭を下げた。

 まったくなんてことをしてしまったのか、と伏してびたい気持ちだった。これでは藤十郎の妻として失格である……そうとは認められていない状況ではあるが。


「それにこちらはせつを預かっている身だ。せつに万一のことがあったら、せつの家族に顔向けができない」

「はい……」

「それからなにより、せつのような若い女性が傷つくところを見たくない。せつのような者を守るために私たちはあやかしたちと戦っているのだ」

「私のような……ですか?」

「いいか? 私のためにも、もうあんな危険なことはしないでくれ」


 そう言って藤十郎は立ち上がって、せつなの頭をぽんぽんとでてから、出て行ってしまった。

 せつなは突然のことに驚いてしばらく動くことができず、かままきが大きくぜる音でようやく我に戻り、慌てて竈の前に座り込んだ。



「……部屋まで飯を持ってきてくれたことには礼を言うが、お前の飯ではなあ……」


 夜半になって、寝ていた笹塚が起きた気配があったので、彼の元に夕飯を持っていたせつなが浴びせられた言葉だった。

 行灯あんどんのほのかな光でよくよくは確認できなかったが、笹塚の顔色は帰って来た時よりはよくなっているようだった。


「大丈夫です、私が作ったものではありませんので。裏の奥さんがおすそけしてくださったものです」

「ああ、そうか。ならば安心した」


 そう言ってご飯ぢゃわんを持ち、ご飯をかきこんでいく。余程腹が減っていたのだろう。


 夕飯はせつなが炊いた麦飯に、お裾分けでもらったさばのしょうが味の煮付けに、ほうれんそうのおひたしに小松菜のしるにたくあんだった。


「そういえばお料理をはしもとさんにも持っていったのですが、今回も食べていただけませんでした」


 橋本の部屋は西の離れの一番奥にあった。

 彼は先の任務中に怪我をしたことが原因で、今は療養中とのことだった。調子がいいときには部屋の外に出てくるが、それ以外はずっと寝たきりのようだ。


「……元々食が細い人だから。ひどい傷を負って、生死の境を彷徨さまよって……食べられるものと食べられないものがあるようだ」

「左様でございましたか……それでも少しでも召し上がってくださればいいのに」

「橋本さんのことは、他の隊士がやっているから大丈夫だ。お前には病人の世話などできないだろう?」


 それは全くその通りであり、また、もしかしてあやかしにやられた傷は他と違う特別な治療が必要なのかもしれない。


「佐々木さんも笹塚さんも細川さんも、橋本さんのように長期の療養が必要になったら困ると思っていましたが、大丈夫のようですね」

「ああ、これくらいの傷ならば日常茶飯事だから、休んでなんていられない。ただでさえこのところ京ではおかしな事件が起こっているというのに」

「事件、とは穏やかではありませんが。あやかし絡みなのですか?」


 このところ皆忙しそうに見回りをしていることにはなんとなく気付いていた。

 なにかあったのか、とは思っていたのだがそれを聞く機会はなかったし、隊の仕事のことはせつなには関係ないと教えてくれないかもなと思っていた。


「そうだな。人が突然意識を失い、そのまま眠っているということが起きている。まるで魂を抜かれてしまったようにな」

「……そのようなことが」

「どうだ、怖くなって奥沢に帰りたくなったのではないか?」


 笹塚は脅すような口調で言ってから右手を握り、左手でそれを受け止めるような仕草をした。その途端に傷が痛んだのか、うめいてくちもとゆがめた。


「あの、あまりご無理をなさらないでください。さすがの笹塚さんでも、二、三日はしっかり休んで体力を回復することに努めてください」


 心配するせつなの言葉をきちんと受け取ってくれたのか『ああ』と面倒くさそうに言い、憎まれ口をたたくことはなかった。


「京にはあんな強いあやかしがいるのだと驚きました。そして、そのあやかしをあっという間に片付けてしまった藤十郎様にも。あんな優しそうで、穏やかな方なのに、あやかしには容赦がないのですね」

「そうだろう! 藤十郎様は素晴らしく強い方なのだ! 俺たちの自慢の隊長なんだ」


 笹塚は本当にうれしそうに言う。藤十郎を心の底から尊敬しているのだろう。

 そしてそれ故、藤十郎を実家へと連れ戻そうとしているせつなを邪険に扱うのだろう。


「しかし……藤十郎様でも難儀するようなあやかしが居る。我々が束になっても倒せないようなあやかしがな」

「あんなにお強いのに、ですか?」

「ああ。お前のような者が襲われたらひとたまりもないぞ」


 そうして意地悪く笑う笹塚は、せつなを怖がらせて奥沢に戻らせようとしているのだろうか。確かにそれは恐ろしいが、彼らの戦いを見てしまったせつなは、自分が襲われることよりも彼らの方が心配になってしまう。


「……お前とお前の主人には悪いと思う。だが、藤十郎様は第八警邏隊に必要な方なのだ」


 それはもう重々分かった。あんなに簡単にあやかしを倒してしまうところを見たから余計に、である。


(もう……あきらめて奥沢に戻って、離縁を受け入れるしかないのかしら)


 そう考えると心がふさがれるような思いであったが、あんな恐ろしいあやかしがばっする京から、その者たちを退治する使命を帯びた藤十郎が離れるわけがないし、藤十郎から故郷の妻について……つまりはせつなについてなにも聞かれることはない。引き続き故郷の妻なんていないように扱っているということである。こんな状態で、自分がなにを言っても無駄であるとしか思えず、もう藤十郎を奥沢へ連れ帰る手立てなどないように思えた。

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