第二章 上手くいかない京での暮らし ④

 せつなはその日も早起きをして、ひとり洗濯にいそしんでいた。

 洗濯はかなりの量で、それを洗濯板で洗っていくのはかなり骨が折れる。ここに来てからそろそろ半月ほど、少しは慣れてきて昼前には洗濯を終えられるようになってきた。大変なことに変わりはないが、慣れてきたらかなり仕事が速くなってきて、休憩の時間も取れるようになってきた。


(離縁されたら……実家に帰るしかないと思っていたけれど、どこかに住み込みで働くようなことはできないかしら? 華族の娘としてそれは相応ふさわしくないと分かっているけれど、実家で迷惑をかけるようなことになるよりも、こうして働いている方がいいかもしれない)


 この時代、身分によってそんなことを言っていられないというのは分かっているが、なんとかならないだろうかと考えてしまう。

 やはり京に出てきてよかったと思うのは、閉じこもりきりでは分からないことが分かったことだ。せつなの世界は、京に来たことでぐっと広まった。


(生まれに関係なく、自分の好きな通りに生きられたらいいのに)


 そんなことを考えながらここまで洗った洗濯物を干そうと、せつなはかごに洗濯物を入れて立ち上がり、物干しへと向かった。水を含んだ洗濯物は、せつなの絞り方がまだまだ甘いということもあってかなり重く、たくさんの量をいっぺんに運ぶことができないので、洗っては干し、洗っては干し、を繰り返しているのだ。

 そうして仕事をなんとか昼前に片付けて、縁側に座ってひと休みしていると細川がやって来て、せつなの隣に腰掛けた。


「最初はどうなることかと思ったけれど、最近ずいぶんと手際がよくなってきたよな」

「そう言ってくださると嬉しいです」


 そんなふうに仕事を褒められたことが今までなくて、せつなは笑顔でうなずいた。


「せつが来てくれてから、本当に助かっているよ。雑事を次々と片付けてくれるから。俺が口添えしたのに使いものにならないままだったらどうしようかと思っていた」

「次々……というほど手際よくできているかどうかは分かりませんが。お役に立てているのならばよかったです」


 考えてみれば、今まで人の役に立てていると思ったことはなかった。自分はずっと誰かのお荷物で、迷惑をかけてばかりの存在だった。


「いっそのこと、隊長の奥方様のお付きなんて辞めて、ずっとここで働いたらどうだ?」

「それは無理だと思います。なにしろあの佐々木副隊長が……」


 次の下働きが見つかったら、すぐさま出て行けと言いそうだ。


「ああ……佐々木さんか。確かに大きな壁だな、口うるさいし」

「それに笹塚さんも。いえ、彼は優しいところもありますが、口を開けばいつ奥沢に帰るんだ、と聞いてきますので。嫌われているとしか……」

「笹塚さんは、隊長を故郷に帰したくないばかりに、せつに厳しく接しているだけだ。せつが隊長の奥方様のお付きを辞めて、こちらで働くと言ったら態度を変えるのでは?」

「そうでしょうか……」


 そうできたらいいかもしれないと考えてしまう。確かにつらいこともあったが、嫁ぎ先で帰らぬ夫を待っていた生活よりもずっといい。しかし、それはせつなが藤十郎の妻であるということを考えると無理な話なのだ。いつまでも隠しとおせるわけでもないし、間もなくしたら藤十郎の実家に戻らないといけない。


「でも、そうか。せつの実家の人が納得しないかもしれないな。隊長の奥方様のお付きだったのが、うちの下働きをするならば、実家に戻って来いなんて言われそうだな」

「恐らくそれはないと思います。私の実家にはすでに両親がなく、帰っても歓迎されるようなことはないのです」


 しきろうに閉じ込められていただとか、兄嫁が、といった余計な話はしなかった。自分の事情を話したところで重く思われてしまうだけだ。


「そうなのか。せつも実家との縁が薄いんだな」

「私も、とおっしゃいますと?」

「いや、うちの隊には実家との縁が薄い奴が多いから。あやかしが視えるなんて、家族に不気味がられることもある」


 あやかしとは、よほど強大な力を持っていれば実体化、人の目にも映る様になるが、そうでなければ普通の人には感知できない。なんとなく嫌な気配がする、不審な音がする、とそれだけだ。


「私も、幽鬼であっても普通の人と見分けがつかないくらいはっきりと視える性質ですので。そうですね、なにも知らない人には不気味がられました」

「隊にはそんな事情を持った者が多い。だから、第八警邏隊が唯一の居場所のように感じている者が多い。でも、お上の中には、こんな隊は解体した方がいいなんて言っている者もいて……」

「え? まさかそんなことが?」

の世が終わって、おんみょう寮も解体したからね。新しい時代が来たのだ、あやかしなんて馬鹿らしいって。恐らく、人一倍鈍い人で、あやかしの姿なんて目の当たりにしたことがないからそんなことを言うんだろうな。そして、それを抑えてくれているのが藤崎隊長、ってことなんだ」

「政府の……上の人に顔が利くってことでしょうか?」

「そうだ。いろんなところに顔が利く。あのお人柄だ。藤崎隊長を嫌いなんて人はまずいないからな」

「そうなのですね……」


 ここで我が夫はすごいのだと誇れないのが残念なところだった。


「皆さん、立派な働きをされていることがよく分かりました。私は、そんな方たちの少しでもお役に立てるようにがんばります」

「ああ、そうしてくれると俺も助かるよ。雑事から解放されて」


 そう冗談めかして言ってくる細川に苦笑いを漏らしながらも、自分でも少したりとも人の役に立てていることに充足感を覚えていた。



     ◇◇◇



「ああ、あんた。もしかして第八警邏隊の新しい下働きではないの?」


 とある場所へ文を届けるというお使いを終えて大通りを歩いているとき、不意に壮年の女性に声を掛けられて足を止めた。

 そこは屋という店の前だった。女性はそこで働いているようだ。格好からして店主の妻だろうか。


「ええ、そうです。しばらくの間ご厄介になっております。はぎわらせつと申します」


 せつなは深々とお辞儀をしつつ丁寧にあいさつをした。先だってかなに言われたことだが、使用人を見れば主人のことが分かるという。ならば、第八警邏隊の評判を落とさないように自分もしっかりしなければと思ってのことだった。


「やっぱり。この前、あんたが第八警邏隊の屯所から出てくるのを見かけてね。ああ、ちょっと待って。実は持っていってもらいたいものがあってね」


 そうしてせつなを店内へと呼び寄せるように手招きをした。それに応じて店へと入っていくと、その途端に甘い匂いに包まれた。

 茉津屋とは和菓子屋であった。棚の上にまんじゅうやおはぎが並んでいる。

 それから、せつなの目をいたのは色鮮やかな練り菓子であった。季節を感じさせるもので、かえでの葉を模したものや、芋やくりを使ったと思われる菓子が並んでいる。


「はい、これ。隊士さんたちに差し入れだよ。うちの新作のちまきなんだ」


 女性が奥から出てきて、皿に盛られたちまきをせつなに渡してきた。ささの皮に包まれており、おいしそうな匂いが漂ってくる。


「もちろん、あんたも食べていいからね」

「わあっ、ありがとうございます。こうして皆さんが差し入れをくださること、隊士の皆さんはとても有り難いとおっしゃっています」

「ああ、それならよかったよ。私たちをまもるために大変な思いをしてらっしゃるからね。こんなことで喜んでもらえるなら、いくらでも」


 そうして差し入れをいただくことは本当に多かった。中には、昨日はうちの娘を助けていただいてありがとうございますと涙ながらにやって来て、せめてものお礼にと家に代々伝わる大きなつぼを渡されそうになったこともあった。あまり高価なものは受け取るなと言われているので、それはもちろん丁重にお断りした。

 それを心得てなのか、差し入れは食べる物が多い。おかずになるものもそうだが、米や塩やなどを持って来る人もいるのだ。

 食べ物の差し入れは、いまだに隊士たちが満足する飯を作ることができないせつなにとっても有り難い。


「うちは和菓子屋だからね。こんなもので申し訳ないんだが。本当は新作の菓子などを差し入れられればいいんだが、隊士さんたちはあまり甘いものは好きではないだろう?」

「え……、そうなのですか?」


 それを少し意外だと感じたのは、奥沢に居るときに藤十郎は甘いものが好物であると聞いたことがあったからだ。


「藤十郎様は、以前はうちのお店をひいにしてくれていたんだけれどね」


 まるでせつなの心を読んだように、そんな話をされたので驚いて持っていた皿を落としそうになり、慌てて持ち直した。


「任務で忙しくて、甘いものを食べるどころではなくなってしまったのかもしれないね。それはそれで悲しいことだけれどね」


 頰に手を当てて大きなため息を吐き出した。確かに藤十郎はなにかと忙しそうだ。

 第八警邏隊の主な仕事は、市中を見回り悪意あるあやかしを狩ること、そしてそのあやかしを操る悪い陰陽師を取り締まることだった。

 第八警邏隊に所属する者は全てで七人。ひとりは一時故郷に戻っているというから、今は六人、屯所で寝起きしていた。地方の出身者が多く、そのあやかしばらいの能力をかわれて、集められたとのことだった。

 藤十郎は隊士たちを仕切る他に政府の上の人たちの調整などもしていて、それはなかなかに骨が折れそうだった。よく文のやりとりをしている他に、屯所に役人が訪ねて来ることもあるし、藤十郎自身が赴くこともある。隊士たちがなんの気兼ねもなくあやかし退治に集中できるように、と努めていることが外から見ていても分かる。


「たまには甘いものなど食べて、ゆっくりできる時間があればいいのにと思いますが」

「そうだよね……。一度差し入れたことがあるんだけどね、どうにも余ってしまってもったいないから、これからは控えるように遠まわしに言われたことがあってね……」


 そんな話をしていたとき、不意に店の扉が荒々しく開けられた。


「母ちゃん、大変だ! ひながあやかしに捕まった!」

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