第二章 上手くいかない京での暮らし ②

 私には人並みに働くなんて無理なのだろうか。


 せつなは台所にしゃがみ込んで、ため息交じりにそんなことを考えていた。

 屋敷に閉じ込められ、しかし死なない程度には食事を与えられ、一日一日を墨で塗りつぶすように日々を過ごす……自分にはそんな暮らししかできないのだろうか。

 せっかく第八警邏隊の屯所に置いてもらえることになったのに、慣れない仕事に戸惑い、ついついそんなことを考えてしまった。


 自分で働く、と言っておいて、実際にやってみるととても骨が折れることだった。

 ぞうきんで床をけば、雑巾が水を含みすぎていて床を水浸しにしてしまい、もっと雑巾は固く絞れと怒られた。窓を拭けば、隅々の汚れが残っていると指摘されて、もっとしっかりしろと言われてしまった。

 初めての洗濯はこれまた絞りが足りなかったようで、よく晴れた日の夕方になっても洗濯物が乾かなかった。

 料理をしたときには……その日はおかずをご近所の方にお裾分けしていただいたので飯を炊くだけでいいと言われたのだが、せめてたくあんくらい切って出そうと包丁を握った。それが全てちゃんと切れておらず、はしで持ち上げた途端に蛇腹のように広がって……たくあんも切れないのか、と怒られた。


(……嫁ぎ先に戻って……もしすぐに離縁されるにしても、今までお世話になった分をお返しするためにも、少しでも働けるようにならなければ。ただ飯らい、とは言われたくないわ)


 それにここには藤十郎も住んでいる。

 藤十郎と、その配下の隊士たちの面倒を見ることは妻としての務めだろう。そう考えることにしてせつなは立ち上がり、かまどの横に置いてあった買い物かごを持って外に出た。

 今日は市が立っているというので、食材を買いに出掛けようと朝から思っていたのだ。

 いつまでもご近所さんにおかずの差し入れを受けるわけにはいかない。前に居た下働きは掃除炊事洗濯、それから誰かに文を届けるといった簡単なお使いなどが仕事だったそうだ。ならば同じようにしなければならない。

 そうして市に出掛け、戻ってきたときには夕方になっていた。



「…………。洗濯物を干しっぱなしで、一体どこをほっつき歩いていたのだ?」


 市から帰り、買ったものを炊事場の調理台に並べているときに隊士のひとり、ささづかがやって来て、まるで口うるさい小姑こじゅうとのように言い放った。


「いえですが、まだ取り込むには早い時間では……」

「先ほどさめが降ってきた」

「そうだったんですか? 大変!」


 手にしていたジャガイモを置いて、駆け出そうとしたところで、


「もうとっくに取り込んでおいた」


 笹塚がぜんとした表情であっさりと言う。


「それはありがとうございます。助かりました」

「洗濯物はすっかり乾いていた。別に夕方に取り込まなければならないという法はないのだ。乾いているのなら出掛ける前に取り込めばいい。お前、本当に使えないな」


 心底小馬鹿にするように言って、腕を組み、せつなを見下ろした。


「お前、隊長の実家では今までどうしていたんだ?」

「そうですね……そのぅ、奥方様のお付きというお仕事だったので、炊事や洗濯といった仕事には慣れていなくて」

「いや、普通は母親に仕込まれるだろう? お前は一生上げぜん据え膳で済むようないい家の娘には見えないし。慣れていないではなく、そもそも素質がないか、今までサボってきたのだろう。どちらにしても女としては終わっているな。嫁のもらい手なんてないだろう」


 笹塚はふん、と鼻を鳴らし、心底けいべつするようなまなしをせつなに向けた。


(そこまで言わなくてもいいのに。でもこのありさまでは言われても仕方がないわ……)


 せつなの母の記憶はあいまいで、ただせつなのところに来てよく泣いていたこと、『なにがあっても人を恨んではいけない。それがあなたが、人の間で生きていくすべなのです』と言っていたくらいしか記憶にないが、笹塚はそんなことを知らないのだ。


 せつなはすみません、と明るく言って、市で買ってきたものを片付けていった。

 今日はこれで煮物を作るのだ。

 ジャガイモとニンジンといんげんを切って、煮て、味付けをするだけだ。いくら料理に慣れていなくてもできるだろう。

 せつなはたすきで着物のたもとを上げて、よし、と気合いを入れて料理にとりかかった。

 まずはジャガイモとニンジンを洗おう、と、籠に入れていった。


「お前、藤十郞様の奥方様のことをよく知っているのか?」


 知っているもなにも、自分以上に自分のことを知っている人などいないだろう。せつなは小さくうなずいた。


「どんな人なんだ?……いや、聞かなくてもだいたい分かるが」


 笹塚はふぅ、とため息を吐き出した。


「きっと美しくせいで品がよくて、藤十郞様のように近寄るのも恐れ多い、というような方なのだろうな」

「え……ええっと、それはどうでしょうか」

「藤十郞様の奥方に選ばれた方なのだ、それなりの女性でなくては困る」


(私が藤十郎様の妻だと知られたら……どんなふうに思われるかしら? 藤十郎様の恥になるかもしれないわね)


 自分のなさにため息を吐き出し、黙々と作業を続ける。


「それに、お前のようなこつ者をお付きにしているなど、きっと心根が優しい方なのだろうな。別の者をお付きに、と望むのが普通だ。自分がお前に暇をやったら、他に行く場所がないと知っているから、情けでお前を側に置いているのだろう」

「あの……そこまでおっしゃらなくとも」

「それだけ藤十郎さまの奥方様が素晴らしい人なんだろうな、と言っているだけだ」

「そうですか……」


 せつなはしょんぼりとうつむきながら、籠に野菜を入れていった。そして笹塚から逃げるように外に出たのに、彼は井戸のところまでついて来た。仕事ぶりを監視されているようで気になってしまう。


「あーあ……お前みたいな奴、いくら隊長に言われたからとはいえあのまま夜の町に放置しておけばよかった」


 井戸の水をみ、野菜を洗っているせつなの横にしゃがみ込み、両手を頰に当てながらそんなことを言い出す。

 あのときは助けられたと思ったが、そんなことを言われるくらいならば本当に放っておいてくれた方がよかったな、と思ってしまう。

 せつなはジャガイモとニンジンについた泥を洗っていった。

 最近、慣れない水仕事をしているせいか肌が荒れてしまい、水につけるだけでも痛い。だというのに、ジャガイモのでこぼこに入り込んだ泥を落とすために指の腹で何度もこすらなければいけなくて、それはなかなか大変な作業だった。


「……なんだよ。言い返さないのかよ? このまま言われっぱなしかよ」

「そんな……お返しする言葉がないほど、私の働きが悪いことは分かりきったことですし……」


 せつなは洗った野菜を再び籠に入れて台所に戻り、野菜を作業台に置いてから、包丁を持ってその前に立った。

 ここからが本当の勝負なのだ。せつなは決意するようにひとつうなずいてからジャガイモを手に取り、包丁をその皮に当てた。

 少しでも手元が狂ったら、包丁の先が指をかすめて流血である。緊張して手が震えてしまうが、ゆっくりと包丁を動かしつつ、皮を少しずついていく。


「……ふぅ」


 十個あるうちのひとつのジャガイモの皮を剝き終わり、額の汗をぬぐっていると。


「なんだよ、それ?」


 笹塚があきれたように声を上げた。


「なにと言われましても。ジャガイモの皮を剝いているのですが?」

「ああっ、危なっかしいな。見ていられない」


 そう言って笹塚はせつなの手から包丁を奪った。


「それに、ジャガイモの皮ひとつ剝くのにどれだけ時間がかかっているんだ。日が暮れる」


 文句を言いつつ、慣れた手つきでジャガイモを剝いていった。

 ひとつが終わり、またひとつとどんどん剝いていく。見ていて気持ちがいいくらいだ。


「すごいです、見ていてれ惚れしてしまいました」

「…………。おおだな、お前は。このくらい普通できる」

「左様ですか。では、私も早くそのくらいできるように励まなくてはなりませんね」


 せつなは違う包丁を出して、ニンジンの皮を剝いていった。

 ジャガイモよりもニンジンの方が簡単、と思ったらそうでもなかった。気を抜いたら指を切ってしまいそうだったので、無言で、意識を集中しながら剝いてく。一本剝き終わり、ふと横を見ると、笹塚はジャガイモを全て剝き終わっていた。


「手早い上に上手……ですね」


 せつなが剝いたニンジンは、厚く皮を剝いてしまい、一回りは小さくなってしまっていた。


「これくらい普通だ、できない方がおかしいだろう」

「そのようなものでしょうか」

「…………。そっちも貸せ。お前に任せていたら、今日の夕飯は何時になるか分からない」


 笹塚はせつなの手からニンジンをひったくるように取った。


「これでは、俺たちの仕事がまるで減らないではないか。お前がいる意味なんてあるのか?」


 そうぶつぶつと文句を言いつつも手伝ってくれる笹塚は、最初の印象とは違って優しい人なのかもしれない。


(早くお役に立てるようにならないといけないわ。私は隊士さんたちをお助けするために下働きとして働くことを認められたのだから。きっと慣れれば笹塚さんのように皮むきができるようになるわ……!)


 決意を新たにしたせつなだったが、そんな思いはあっという間に霧散していくのだった。



「…………。ええっと、変わった味付けだけど、せつの故郷ではこれが普通なのかな?」

「これが毎日出てくるのが普通だとしたら、俺はその家に生まれてきたことを嘆く」

「というか、普通にマズいな」

「味付けの問題だろうな。これはなにで出汁だしを取ったのだ?」


 隊士たちの間からさまざまな感想が漏れる中で、一番しんらつな感想を述べたのはもちろん佐々木だった。


「お前、こんな有様でよくも働かせてください、なんて言えたものだ。炊事も洗濯も人並みよりだいぶ劣ると思っていたが、料理はこの日の本の国で一位二位を争うひどさだ」


 そこまで言わなくてもいいのに、と泣きたくなってしまう。

 第八警邏隊の面々は、市中を見回ったり、要人の警備をしたりなどを交代でしているため、食事の時間はそれぞれだったので、夕食はそのとき手が空いている者がそろってとるようにしている。今日は台所近くの大部屋に集まって夕食をとっていた。

 せつなはその部屋の前の廊下に座って皆が食事をしている姿を見ていた。おかわりを申しつけられたときに対応するためだ。

 煮物なんて誰が作っても同じ、と思っていたがどうやら違うようだった。せつなも、作っている途中に味見をしたのだが、なにか違う、とどんどん調味料を足していくうちにどうしたらいいのか分からなくなった。それでも、これで大丈夫、と思ったものを出したのだが、この有様である。


 そんな中でせつなが作った煮物を食べ、まだひと言も発さずにいたのは藤十郞だった。

 彼はどういう感想を漏らすのだろう、と思って待っていると。


「いやしかし、この野菜の切り方はいいと思う……」


 なんと優しい。皆が口を揃えてひどいと言っている料理について、せめて褒められるところを探してくれたのだ。しかし、それは……。


「それ、切ったの俺ですからね」


 笹塚がトドメを刺すように言う。

 これには藤十郞も言葉を失ってしまった。気まずげな顔をして、煮物を食べ続けている。


「すみません……精進します」


 せつなはいたたまれなくなって、視線を下げつつそう言うが。


「精進するとかいうものではない。お前はもう料理はしなくていい」


 佐々木がはしを置き、腕を組みつつ無情にも言い放つ。


「えぇ、そんな?」

「いや、佐々木。本人ががんばりたいと言っているのだから、そんなふうには……」

「隊長は甘いな。こんなふうに料理されたら、食材がもったいないとは思いませんか?」

「まあ……それはそうかもしれないが」


 藤十郞はせつなのことをびんそうに見ながら、しかし佐々木の言うことに逆らうほどの熱量はなかったようで、そのまま自分の意見を引っ込めてしまった。

 佐々木は満足そうに頷き、そしてせつなに告げる。


「お前にはなにも期待していない。どうせ代わりが見つかるまでの一時雇いだ。余計なことはしなくていい」

「料理は余計なこととは思えませんが……」

「口答えをするな。こんない料理を出して、腹でも下したらどうするんだ?」


 腐ったものを出したわけではないので、腹を壊すことはないとは思うが、ここは黙っておくのがよいだろうと口を閉ざした。


「お前の能力は人並み以下なのだから、人並みになにかしようと思うな。いいな」


 念を押すようにそう言われてしまい、せつなはもううなれるしかなかった。

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