第13話
ぐっと背伸びをすると、ヴァルターは目の前の書類へと目を向けた。
コルネリアはつい先ほど退出したが、夕食の時にまた会える予定だ。
「マルコ。よくやった」
少し前にコルネリアを引き留めてくれたマルコに礼を言い、彼女のことを考える。
(――今日は彼女から口づけをしてくれた。何を考えているのだろうか)
国の意向で無理やりネバンテ国に嫁いできた、ヴァルターはそう思っていた。恨まれても仕方がない相手だけれど、好意を持ってもらえれば嬉しいことは間違いない。
ヴァルターは机の下にある棚の二段目を開けて、中から1枚の紙を取り出した。
その中には川で楽しそうに遊ぶ、数名の少女が描かれている。その中の一人は、幼い日のコルネリアにそっくりだ。
しばらくヴァルターはじっとその絵を見ると、ため息をついて元の場所に戻す。
「マルコ。夕食のメニューもコルネリアの好物か?」
「はい。間違いありません。奥様の好きなものを揃えてあります」
「そうか」
満足そうにヴァルターが頷くと、マルコが眼鏡を手でかけ直して言った。
「差し出がましいかと思いますが、キァラ様の動向に注意した方がいいかと」
「キァラか?」
今日久しぶりに会ったキァラの顔が脳内に浮かぶものの、なぜ注意をした方がいいか分からない。ヴァルターは訝しげにマルコを見る。
「帝国の息がかかっている、ということか?それはないと思うが」
「そうではなく」
はぁ、と呆れたようにマルコがため息をつく。ヴァルターが生まれた時からそばにいるマルコは、執事であり家族同然の存在でもあった。
「奥様に嫌われる原因になり得ますよ」
「何だと!」
がたん、と椅子から勢いよく立ち上がり、ヴァルターがマルコに詰め寄る。
「ヴァルター様は女心に疎すぎます。いいですか?嫁いだ先で夫に親しげな未婚女性が寄ってきたら、いい思いをする女性なんていませんよ」
「そ、そうなのか?」
「キァラ様を雇われるのはいいかと思いますが、なるべく距離を取ることをおすすめします」
そこまで言うと、マルコは部屋を出て行った。
「コルネリアに。嫌われる?」
一人残されたヴァルターが、部屋の中心でぽつりとつぶやいた。
(――ふふ。今日はお仕事も上手くいったし、何よりヴァルター様に口付けしちゃったわ!)
カリンと共に食堂へ向かうコルネリアは、笑みを隠し切れなかった。今日は何でいい日だろう、と晴れやかな気持ちだ。
「奥様が笑っていらっしゃるわ。何かいいことでもあったのかしら?」
本人的にはニマニマ、とした笑みなのだが、周りから見ると可憐な微笑みに見えるから不思議なものだ。
すれ違う使用人たちが、幸せそうなコルネリアを見て嬉しそうにしていた。
食堂の前まで行くと、カリンがさっと扉を開ける。コルネリアの笑顔は、部屋の中を瞬間にさっと消え去った。
ホールの中にある食卓には、なぜか慌てた様子のヴァルターと、余裕のある笑みを浮かべて座るキァラの姿がある。
「コルネリア様。ご一緒させてね」
馴れ馴れしい態度でキァラは席も立たずにそう言うと、すぐに視線をヴァルターに向ける。
「奥様」
心配そうにカリンが呼ぶと、コルネリアは安心させるように微笑み、席へと移動する。
(――大丈夫。私とヴァルター様は口づけをした仲ですもの)
変な自信のあるコルネリアは、立ち上がり様子を伺うヴァルターに笑顔を向けた。そして、頭をぺこりと下げると、カリンが引いてくれた椅子へと座る。
「コルネリア。すまない。今日だけキァラも一緒に食べてもいいだろうか?」
「えー。毎日一緒に食べたいです!」
「いや。今回だけだ」
ヴァルターがキッパリと断ると、キァラは矛先をコルネリアに向けることにしたようだ。
「コルネリア様。久しぶりに会えたから、ヴァル様とご飯食べたいんです!いいよね?」
断られると思っていないキァラがそう言うと、穏やかな顔でコルネリアが紙に文字を書いていく。
【ヴァルター様の言う通りにしますわ】
(――今回だけって言ってるから、今回だけですわ!)
ヴァルターの言う通り、つまり今回だけだと笑顔で書いて見せる。キァラはその意図に気がつき、かっと怒りで顔を赤く染める。
「何でよ!」
「お料理をお持ちしました」
キァラの言葉を遮るように、使用人たちがテーブルの上に料理を並べていく。
「ありがとうコルネリア。明日の朝は何が食べたい?」
【こちらのご飯は美味しいので、何でも嬉しいですわ】
ふふふ、と二人で見つめ合い、夫婦で穏やかなやりとりを行う。
「ヴァル様!今度一緒に遊びに行きませんか?」
「キァラ。俺の記憶が正しければ、この屋敷には働きにきたはずだが?」
気を取り直して話しかけたキァラを、ヴァルターが正論ですぱっと切り捨てる。
(――妹同然、っておっしゃっていたけれど、そんなに甘やかさないのね)
キァラの豊満な身体に不安を感じていたコルネリアだが、ヴァルターの態度を見て少しホッとした。ホッとすると同時に、空腹を感じたコルネリアは、目の前のお皿へ手を伸ばす。
レバーペーストがたっぷり塗られた、一口サイズのバゲットを頬張る。ピンクペッパーがアクセントでのっており、濃厚なレバーにピリリと刺激的な味が美味しい。
「美味しいか?」
とっても。と口パクで答えると、ヴァルターが満足そうに頷く。そんな二人のやり取りを、キァラが面白くなさそうに睨んでいた。
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