第11話

 屋敷内の書斎には、ヴァルターの背ほどの高さの本棚がずらりと並ぶ。本の種類は様々だが、農業に関するものが多い。


「好きな本があるか分からないが…。物語ならこの辺りだな」


 部屋の隅にある端っこの本棚には、この世界の人なら誰もが知る定番の物語から、ブーテェ法国では見たことがない物語の本まである。


 そんな物語の本が並ぶ場所に『女神様が愛した水色の王子様』という見慣れたタイトルを見て、コルネリアが手に取った。


 ブーテェ法国の成り立ちが、可愛いイラストと共に紹介されている絵本だ。法国では、どんな小さな教会にも置いてある定番の絵本だった。


【この国でも、よく読まれているんですか?】


「いや。ブーテェ法国のことが気になってな。本を扱う商人に集めてもらった中に入っていたんだ」


 コルネリアから目を逸らし、少し気まずそうにヴァルターが言った。


(―――私との結婚が決まってから、読んでくださったのかしら?)


 自分の生まれ育ったブーテェ法国について、知ろうとしてくれたことがコルネリアは嬉しかった。ふふっと笑顔を浮かべ、手に取った本を抱きしめる。


「この部屋の中にある本は、父や祖父などが集めていたものも多いから。コルネリアが見たことがないものもあると、思う。……!」


 部屋の中を歩きながら説明していたヴァルターは、コルネリアの背中側にある本棚の一点を見つめると顔色を変えた。


『淑女の耐え難き困難』や『未亡人は夜の夢を見る』などのタイトルが並ぶコーナー。そこには、一般的に大人の男性が読む本がずらりと並んでいた。


 ヴァルターの祖父が集めた本で、彼自身は興味がない本だった。そのため、すっかり存在を忘れていたのだ。


 顔色を変えているヴァルターに、コルネリアは不思議そうに首を傾げる。そして、ヴァルターの視線が自身の背中側にある本棚を見ていると気がつくと、振り向こうとした。


「コルネリア!」


 慌てたヴァルターが、コルネリアの肩を掴もうとして体制を崩す。悲鳴を声に出せないコルネリアが、ひゅっと喉を鳴らす。


(―――か、顔が近いですわ!)


 何が起きたか分からないが、目の前にヴァルターの顔があることにコルネリアが驚く。押し倒す形になったヴァルターは、そのまま動かない。


(―――さぁ!ヴァルター様!)


 コルネリアはぎゅっと瞳を閉じると、少しだけ唇をとがらせる。期待と興奮から白い肌が赤く染まり、絵本を抱きしめる指に力が入る。


 ヴァルターは無言でコルネリアの唇を見つめ、吸い込まれるようにそっと顔を近づけた。


「奥様?いらっしゃいますか?」


 しんと静まる書斎に、カリンの声が響く。あと1cmでくっつくほど顔を近づけていたヴァルターが、さっとコルネリアから離れる。


「カリンが呼んでいるな。行くか」


 そうコルネリアに言うヴァルターは、少し落ち込んでいるように見える。咄嗟に離れてしまったことを、後悔しているようだ。


(――逃がしませんわ!)


 コルネリアは座ったままのヴァルターの前に、ずいっと身体を近づける。


「コルネリア?どうしたんだ?」


 そのまま困惑するヴァルターの肩に手を置くと、そっと目を閉じて口付けをした。


「え?」


 コルネリアの突然の行動に、頭がついていかないヴァルターは目を開けたまま受け入れる。


 ちゅっ、と小さな音が鳴り、コルネリアの唇が離れる。えへへ、と照れたように笑うと、彼女はさっと立ち上がった。


【次は目をつぶってくださいね】


 そう紙に書いて伝えると、そのまま書斎から出ていった。座ったままのヴァルターは、自分の唇に指を当てる。


 年齢なりに恋愛経験もあるヴァルターは、キスだけで動揺する自分に信じられなかった。顔を真っ赤にすると、しばらくその場に座り込んでいた。










「あ!奥さま。こちらにいらっしゃったのですね。あら?大変!お顔が真っ赤ですよ」


 熱があるんじゃないか、と騒ぐカリンにコルネリアは、ニヤけそうになる表情を抑えることで必死だった。

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