第20話

 デストラの幻創クオーレによって灰となった帝城跡。

 そこには既に簡易的な建物が建造されていた。

 前皇帝に汚された葉の血族、リゼナと使用人であるファーリを共に保護する為だ。

 元ディアナ辺境伯領に保護していたファーリだが、事件が終わってから帝都に移送されたので場所が必要になり、『調律師バランサー』の下が一番安全という事で現在両者共に保護している。

「アナセマ様!」

 様子を見に来たアナセマを、ファーリは嬉しそうに出迎える。

「おう、元気そうだな。主人の方はどうだ?」

 アナセマの問いに、状況は芳しくないと言うように首を振る。

 無理もない。貴族の意地としてエリフェンとは気丈に接していたが、本来精神を病んでしまってもおかしくはない扱いをされていたのだ。

「......リゼナお嬢様は苦しんでおります。ですが私達には何もできない事も事実です」

 怒りを向ける対象だった前皇帝は既に死に、ルーンエルド公爵も捕えられている。

 森の立場を悪くするわけにもいかない為、ルーンエルド公爵を殺して恨みを晴らすことも出来ない。

 これから彼女は、帝国との関係を有利にするための道具として使われるのだ。

 やり場のない怒りと、自分がもうエルフの貴族として扱われる事はないという悲しみが彼女に重くのしかかっている。

 それを癒す事など、誰にも出来はしない。

「お嬢様であれば乗り越えてくださると、信じています......ところで!」

 彼女は露骨に話題を変えたが、アナセマとしてもこれ以上かける言葉など無かったので、ありがたく乗っかって続きを促す。

「帝国の第一席を下したのですよね?是非お話を聞かせてほしいです」

 目をキラキラと輝かせているファーリ。

 彼としてはあれは勝利ではないので、正直自慢できるようなことでもない。

 しかし自分が幼い頃は、初代『暗昏』隊長であるマリーの父から武勇伝を聞くのが好きだったのを思い出し、しぶしぶ語りだす。

「あいつはな、すっげえ自信家でムカつくくせに、恐ろしく強いんだよ」

 かつて隊長が語っていたように、一つの物語をイメージして語り始める。

 彼女は頬を真っ赤に染め、興奮した様子で話を聞いていた。

 ______親父さん、俺もこっち側になってきたみたいだ。

 もういない親代わりの男に、アナセマは思いを馳せた。




 暫くジェストンとの戦いの様子を話していると、ドアがトントンと弱弱しくノックされた。

「はい、どなたでしょう?」

「ファーリ、私だ」

 その声は、彼女の主であるリゼナのものだった。

 慌ててドアを開き、部屋に招き入れる。

 本来であれば主人の方から訪ねさせる無礼は許されないが、今はそんな事に口を出すような状況にない。

 リゼナは椅子に座り、暫く口を噤んでいた。

 誰も急かさず、かといって退屈するでもない不思議な空間が生まれた。

「俺、いてもいいのか?二人で話した方が......」

「いえ」

「いいのだ」

 気を遣って部屋から出ようとしたアナセマを、二人が同時に引き留める。

 立ち上がろうとしていた彼は、少々居心地が悪そうに座りなおした。

「すまない、隣で話が聞こえていてな。貴殿の事を知りたくて少し様子を見ていた」

 リゼナは盗み聞きしていたことを正直に話し、それを謝罪する。

 盗み聞きされていたのは少し気分が悪いが、アナセマは聞かれて困る話をしていたわけでもないので特におくびにも出さない。

「いや、構わない。どうしたんだ?」

 可能な限り彼女を刺激しないよう、細心の注意を払いながら言葉を選ぶ。


 それが彼女にも伝わったようで、少し寂しそうに笑って話を始めた。

「私は神樹の森の、葉の血族だ。今まで生きてきた三十数年、神樹様の力を受け継ぐ我々が貴い存在だという事に疑いなど持っていなかった」

「ちょ、ちょっと待った。三十年?」

 思わず彼女の話を遮り、その数字に違和感を持ってしまう。

 ここにいる二人のエルフの見た目は、どう見ても十四、五歳ほどだ。

 その少女たちが三十年もの年月を生きているというのが信じられないのだ。

「ああ、エルフは成人してからも容姿の変化が乏しいが、成人するまでの容姿の変化も人間に比べて時間がかかるのだ。私もファーリも、もう三十路だぞ」

 ソラやエリフェンで慣れてきたと思っていたが、これだけ小さな女性が自分より一回り以上年上だというのにまだ慣れていないアナセマ。

「アナセマ様、黙っていて申し訳ありません。子供だと思ってもらった方が丁寧に扱っていただけると思いまして......」

 目を伏せてばつが悪そうに、ファーリが謝罪する。

 ______確かに年齢を聞いたわけじゃないしな。仕方ない。エルフの年齢を見抜くコツをあとでエリフェンかソラに聞いておこう。

 そう決意し、気にしていないとファーリを宥める。


「では、続きを話すぞ。自分達を貴い存在だと思っていた私は、外の世界などに一切興味を持っていなかった。しかし、そんな時に入ってきたのが帝国からの貢ぎ物だ」

 数々の工芸品に、様々な意匠が凝らされた宝石。そんな物を帝国は持ってきたらしい。

「エルフに劣る筈の存在の人間が作った物が、私の心を奪ったのだ。確かこれが十年ほど前の事だった」

 十年も前という事は、まだ前皇帝の父・四十一代皇帝の治めていた帝国。

 ようするに、魔薬も横行していなければ人さらいも無かった頃だ。

 その頃からエルフとの交流を図り、国力を高めようとしていたであろう皇帝に感服するアナセマ。

「人間という生き物は、神樹様とつながりがないだけで存外私達と変わらないのではないか。私はそう思うようになった」

 選民思想が根付いたエルフ達にとって、そんな感情を持つことがどれだけ難しいのだろうか。

 アナセマは初めから上下関係なんて考えて生きてこなかったので、彼女の心境の変化を完全に理解することは出来ない。

 しかし、彼女がエルフの中でも貴重な存在だという事は理解していた。

「そう思うと、神樹様の力を継がぬ醜き者スティグム達も虐げるべきではないのではないか。私はそう思った。しかし、長老たちにそんな思想がバレれば血族の汚点として抹消されてしまうかもしれない」

 ______考えることすら許されないのか。息苦しい所だなぁ、神樹の森ってのは。

 神樹の森に行くのは絶対に遠慮したいな、と叶いもしない祈りをささげるアナセマだったが、リゼナは気にせずに話を続ける。

「そこで、私はまず人間との交流を増やそうと考えた。何度か帝国とのやり取りをする内に、ついに国として交易しようと言ってきたのだ。帝国側にも人間至上主義という考え方があることを知っていたので、認められた気がしてとてもうれしかったのだ。それがつい最近の事だ」

 つい最近の事。

 愚かな前皇帝の謀略であったその交易の誘いは、浮かれていた彼女を騙すには十分だった。

 礼を欠かぬように彼女自ら帝国に向かい、直接交易についての話し合いをしようとしていたところで『黒蛇』に襲われた。


「全てに気付いてから、私はどれだけ愚かだったのかと己を悔いたよ。少し考えれば、あれだけ慎重に交易を進めようと言っていた帝国が、急に交易を進めようと言ってきた事に疑念を抱けたはずなのだ」

 前皇帝の父は、国内の人間至上主義派の力を少しずつ削いでいた。

 国内での他種族のイメージも改善され、最近は帝国を中心に傭兵をしていたアナセマも、差別的な感情を一切持っていない。

 そうした地道な努力も、一人の愚者によってすべてが崩れ去ってしまったのだ。

「結果として私は攫われ、エルフと人間の争いの種となってしまった。彼の皇帝には詫びのしようも無い」

 リゼナは自分のこれから置かれる状況より、今まで懸命に交流をしてくれた皇帝に申し訳が立たない事に対して悔いていた。

「優しいんだな」

 彼のそんな言葉に、リゼナは自嘲気味に笑った。

「世間知らずなだけさ。そのせいですべてが水泡に帰した」

「でも、俺は今まで進み続けたお前の足跡まで消え去ったとは思ってない」

 アナセマは、努力する人が理不尽な理由で報われないのが嫌いなのだ。

 見て見ぬ振りが出来ないくらい、子供なのだと言い換えても良い。

「俺達は『調律師バランサー』だ。きっと始隊長も最善の結果になるよう努力してくれると思う。だから、リゼナやファーリにも諦めてほしくない」


 純粋な応援。


 ここ数日、慰めや憐れむような視線しか受けてこなかった彼女に、まだ出来るだろうと発破をかけているのだ。

 今まで努力を続けたリゼナだからこそ、その期待が彼女の乾いた心に対する命の水となった。

「......そうだな。元通りにならないのは、もう仕方がない。私が間違えた結果だ。しかし、ここから最悪に向かうか否かは、まだ決まっていない」

 彼女の淡い黄色の眼に、火が灯るのをファーリは見た。

「リゼナ様......私、何でもお手伝いいたします!リゼナ様のお傍において下さい!」

「勿論だ。ファーリ、私を支えてくれ」

 先ほどまでの、愚かな自分を嘲るような笑みはもう浮かんでいなかった。


 リゼナも復活し、これからについて話し合う事になった三人。

「ひとまず、始隊長と話がしたい。手配を頼んでも良いか?」

 神樹の森のエルフ達と話を纏めるのは、実質的に帝国ではなく始隊長であるソラだ。

 彼女と話を付けないことには進展がない事は分かり切っているので、アナセマは快く受け入れる。

「リゼナ様。人間と神樹の森の交流が深くなれば、あの、け、結婚とかも出来るようになるって事ですよね?」

 女の子らしい質問にアナセマは少し気恥ずかしくなるも、大人の余裕を見せる為に______実際は彼女らの方が明らかに大人なのだが______表情を動かさないように注意する。

「そうだな、今は森のエルフである内はエルフ同士の結婚以外認められていないから、時間はかかるだろうがいずれはそうなるだろう。なんだ、意中の相手でもいるのか?」

 リゼナの問いに、顔を真っ赤にして目を背けるファーリ。

「ほう......なるほどな。頑張らなくてはな」

 彼女はにやりと笑い、アナセマの肩を叩く。

「ん?ああ、そうだな」

 何故急に自分に話を振ってきたのかわからないアナセマだったが、言っている事は真っ当だったので生返事気味ながらかろうじて応答する。

 その後は、ファーリの希望で武勇伝の続きを話させられるアナセマだった。


 △▼△▼△▼△▼△


 数日が過ぎ、リゼナとソラの話し合いの日となった。

「ソラ殿、保護されているだけの私の為に時間を作ってくれてありがとう」

 リゼナは深く頭を下げる。後ろで見ていたファーリは冷や汗をかくが、ソラは気にした様子がない。

「んーん。しっかり自分で決めて話すってんだから、あの森のボンクラ共よりよっぽどいいよ」

 楽天家に見える彼女であっても、先日のエルフ達には少し腹が立ったようだ。

 相手が所属しているのを分かっていて、けなして見せた。

 しかし、リゼナはそれを全く気にした様子はない。彼女もそう思っている部分があるのだ。

「まずはその件だ。森の者達がソラ殿に迷惑を掛けた。本当に申し訳ない」

 彼女は再度頭を下げ、自分の落ち度を詫びた。

「いや、悪いのは前皇帝。実際、彼らが何もしていなければ帝国と神樹の森で交易が始まってたかもしれないんだからね」

 そういう意味では、森の者達の言い分もわかるとソラは言う。

「自分達の同胞が、交流する為に信用できない国に向かった。その結果案の定ぐちゃぐちゃにされちゃった、なんて悔やんでも悔やみきれないからね」

 余りにも歯に衣着せぬ言い方に、ファーリが苦言を呈す寸前にリゼナが制する。

 彼女は悪意があって言っているのではなく、元々そういう性格なのだと理解しているからだ。

「しかし、彼らはそれを盾に森にとって有利な契約を結びに来るだろう」

「そうだね、この前来た子も賄賂くれれば黙っててやる、だったから。ロウズって子だったかな」

 ______あの大馬鹿者が。

 ロウズは彼女の婚約者だ。

 今となっては破談だろうが、ひとまずは彼の意見が優先されるのは間違いない。

 賄賂を貰ってこのままリゼナと結婚し、その金と助けてやった恩でリゼナを縛り付けるつもりだったのだろう。

「そういうのはボクの好みじゃない。罪を犯したのが前皇帝なら、罪を濯ぐのも前皇帝でなくちゃいけない。後に残された人が割を食うのなんて理不尽じゃない?」

「......ああ、そうだな」

 この言葉で、リゼナは理解してしまった。

 このソラという女性は、彼女がやりたかった事をやっているのだ。

 この世の理不尽というものに抗い、矢面に立って戦う。

 そんな姿に、彼女は羨望の眼差しを向ける。

「で、具体的にはどうしたいのかな?」

「私は、これまで通り帝国との交流を続けたい。その代表が私でなくとも良いのだ。将来、人とエルフが諍いなく暮らせる世界が作りたい」

 嘘偽りない本心を、彼女にぶつける。

 彼女のような理想家には、それが一番良いと判断した結果だ。

「そうだねぇ。それは確かにボクも見てみたい。でも、あの爺達がそれを許すとも思えない......違うかな?」

 しかし、ソラは理想主義者アイディアリストでもあり現実主義者リアリストでもある。

 でなければ、机上の空論を現実にすることなどできないからだ。

 それ故に、その理想を叶えるための机上の現実論ゆめのようなアイデアが求められる。

「......」

 彼女には、それが無かった。

 押し黙り、次に発する言葉の正解を考えていた。

 しかし、無情にもソラは笑った。

「ふふ、まあそうだよね。どれだけ理想を追い求めようと、それが成し遂げる力がない者は力のある者に縋るしかない。でも、助けてもらっておいてボクに縋るのは余りにも不義理だ」

 彼女はリゼナの内心を言い当て、焦る彼女の顔を見つめながら言った。

「でもボクはそういうの、嫌いじゃない。ボクの次の作戦にも丁度良かったし、共に考えようか」

 ______今、手助けしてくれると、そういったのか?

 驚きのあまり、表情に全て思っていることが出ていたリゼナは彼女に問いかける前に答えが返ってくる。

「そう。でも、申し訳ないけど君がいると邪魔になる。退席願おうかな」

「え、わ、私ですか?」

 ソラはファーリを指さし、彼女は狼狽えた様子でリゼナを見る。

 ______私を傍においてください!

 ______勿論だ。私を支えてくれ。

 数日前に固めた決意が彼女の中で木霊する。

「リゼナ様......」

 彼女の泣きだしそうな、不安気な顔を見て決意が歪みそうになるもリゼナは決断する。

「分かった。ファーリ、出ていてくれ」

 彼女は、運命の道をまた一歩歩き始めた。

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