第15話

 ______我が盟友よ。

 お前が死んでから、帝国は随分と変わった。

 皇帝は欲に溺れ、側近達はその甘い汁を啜りたい者以外は皆去り、苦言を呈した者は打ち首となった。

 どうやら他種族の者を他国から攫ってもいるらしく、日々違う女の声が皇帝の寝室からは聞こえてくる。

 我が盟友よ。お前の遺した言葉の通り、我はあの皇帝を見守ってきた。

 しかし、あの男も観念するべき時が来たようだ。

 昔から魔力の扱いは苦手な我であったが、そんな我でも圧倒的な魔力を感じている。

 恐らく王国の者か、それに準ずる何かしら。少なくとも味方ではないことは分かっている。

 我はお前の子を守るために戦うが......死ぬだろう。

 我の最後は、お前の為に死ぬと決めていたのだ。

 そこに悔いも無ければ、恥も無い。

 しかし......しかしだ盟友。

 この帝国に、悔いや恥が残っていないかと問われれば答えは否だ。

 お前が気をもみ、栄えたこの国は既に魔薬という病魔に侵されている。

 魔薬を使わない騎士達では、対応が難しくなっている。直にこの均衡も崩れ、魔薬を使用した犯罪者共に国を落とされる。

 我が盟友よ。本当に、本当に私はこれで良かったのだろうか?

 お前の息子が初めて我に命じたあの日、我がそれに待ったをかけていれば違う未来も見えていたのではないだろうか。

 そんな事を言っても仕方ないことは我も分かっている。

 最後に、お前の息子を守れて幸せだ。

 なあ、我が盟友よ。そこで、待っていてくれ______


 △▼△▼△▼△▼△


「第一席」

 騎士の男が声を掛けてから扉を開く。

 そこは書斎だった。

 数々の本が所狭しと立ち並び、古い本の香りが鼻腔をくすぐった。

 書斎の椅子に腰かけ、本を読んでいる長髪の男が一人。

「ロブレム。後ろにいるのが件の襲撃の首謀者か」

「は、はい。申し訳ありません、私ではどうすることも......」

 ロブレムと呼ばれた騎士の男の謝罪を、第一席は手で制した。

「言わずとも分かる。この腐敗した帝国を、どうにかしたくて案内したのであろう」

 ロブレムは言葉を失ったように固まる。

 アナセマは二人のそんな様子にじれったそうに割り込んだ。

「もう案内はいい、下がってろ。お前が第一席、騎士王、魔法を斬る剣......とにかく、一番強いジェストンとかいうので合ってるか?」

「如何にも。我が帝国の最後の砦、ジェストン・グランスだ」

 実に明快な答えに、アナセマは満足そうに頷いた。

「俺は、この帝国を潰さなくちゃいけねェ。始隊長からの指示だし、罪のない他種族の子供を苦しめた皇帝以下何人かには、死んで償ってもらわなくちゃならねェからだ」

「至極真っ当な意見だ。しかし、我はあの皇帝を守らなくてはならない」

 互いの意見がぶつかり合い、交渉の余地がなくなった時。

 始まるのは暴力による解決だ。

「お前がどんな理由であの屑を守ってるのかは聞いた。大馬鹿野郎だって、よォーく分かった。だから、俺がぶん殴って分からせてやらァ。表に出ろ」

「そうか。何故、ここで斬りかかってこない?その爪は飾りではないだろう?」

 アナセマは既に身にまとう白雪ホワイトコートを展開していた。

 ジェストンがどんな相手か全く予想がつかなかった上、最悪の場合一撃で死にかねないと思っていたからだ。

「......本。知識は宝だ。汚す気はねェ」

『暗昏』として生きてきたアナセマを何度も救ってきたのは、間違いなく知識だ。

 王道の戦術、食用の野草、危険な魔物。

 知らなければ死ぬことは無数にあれど、知っていて死ぬことは無い。

「言葉遣いから、どんな暴徒かと思っていたが見誤っていたようだ。城の中庭に訓練に使う場所がある。そこへ向かうぞ」

 ジェストンは立ち上がる。

 アナセマは初めにその長い白髪に目を向けていたが、この男、大きい。

 二メートルはあろう長身に、鋼のような肉体。

 騎士としては間違いなく最高峰、そして彼は魔法を斬る。

「どうした、怖気づいたか」

 アナセマが彼の分析をしている内に、ジェストンは既に自分の横を通り過ぎて部屋を出ていた。

 自分の悪い癖を改めて自省し、彼の軽口にも反応する。

「言ってろ、お前の弟子と同じようにしてやる」

「ほう、レーゲンを斬ったか」

 ジェストンの目が興味深そうに光る。まさか自分より劣るとはいえ、帝国第二の実力者である騎士を倒したのがこの少年だという事に興味を持ったのだ。

 アナセマはその問いを否定し、無力化して放置してきたことを伝える。

「ふは、あの頑固者が騎士としての誇り高き死も選べなんだか。間違いなく死んでおるだろうが、皮肉なものよな」

 弟子としてのレーゲンを良く知る男が、死んでいると言ったら死んでいるのだろう。

 しかし、傭兵であるアナセマにその感覚は良く分からないのだ。

「敵に負けた時点で命は無くなったも同然、奇跡的に見逃してもらえてるのに自分からその奇跡を手放す愚行だ。俺は泥水啜っても両手両足無くなって這ってでも生き残りたいがね」

「騎士というのは、英雄に憧れた馬鹿者の集まり。泥水啜って生きるより格好の付く死に様を求めて彷徨っておるのよ」

 ______ああ、それは間違いなく大馬鹿者だな。

 声には出さなかったが、アナセマの口角は少し上がっていた。




「ここだ。やるぞ」

「あァ、いいぜ」

 二人は通じ合っていた。

 互いの正義を理解し、互いに分かり合えない事を理解する。

 だからこそ戦う。

「そういや、こんなとこで俺と戦ってていいのか?お前ほどの奴なら、他に仲間がいることくらい分かってるだろ?」

 皇帝を守るのが仕事ではないのか、と男の一貫性の無さに疑問を持つ。

 エリフェンがここで皇帝を殺してしまえば、彼の戦う目的は無くなるからだ。

「貴様の言動を見るに、上官からの指示でここを攻めている。組織だった貴様らは恐らく儀式的な部分も重要視し、上官の手によって皇帝の首を取るだろう。そして、ここを襲撃した者の中で一番魔力反応が大きかったのは貴様だ」

 ______半分は勘かよ。狂ってやがる。

 自分の勘が外れていたら保護対象が死ぬというのに、一切動じていない。

「その反応を見るに、皇帝は捕らえるだけという作戦なのだろう。ならば、我は眼前の敵を滅するのみ!名乗れ、若人よ!」

「弟子とおんなじ聞き方するのな......まァいいや。『調律師バランサー』玖番隊隊長・終ノ玖アナセマだ。始隊長の命によってお前を無力化する」

「『調律師バランサー』......なるほど。相手にとって不足なし!」

 ジェストンは腰に携えた剣を抜く。

 確かに立派な剣だが、特殊な魔力は感じない。

 あの剣で魔法を斬れるのかいささか疑問ではあるが、斬れなければ無力化が簡単になるだけなので問題はない。

「凍てつけ」

 冷気の波動がジェストンに迫り、彼は剣を上段に構える。

「ふんッッッ」

 剣を振り下ろし、地面に付く直前で停止する。

 その動作一つで、迫っていた冷気の全てが消え去る。

「......消えた、か。どうなってんだ?剣に魔力を......それ、幻創クオーレかよ」

「流石魔法使いは魔力の動きに敏感であるな。如何にも、我の剣には幻創クオーレが付与されている」

 余りに小さな魔力だったため、気付くのに少々時間がかかった。

 この魔力の消費量から見るに、剣に魔法への耐性を持たせる以外の効果は全くないように見える。

 つまり、己の身体ではなく剣に対して魔力の完全耐性を付与する幻創クオーレという事だ。

「随分限定的な幻創クオーレだが、剣に生きるお前に他の能力はいらねェな」

「その通りだ」

 能力のイメージに無理が無ければ無いほど、それを現実とするのが容易なのだ。

 剣を壊れにくくするだけのこの能力は、無効化することも魔力切れを狙う事も難しいだろう。

 アナセマは右爪を振るい、それを受け止めた瞬間に左爪を振るうというレーゲンにも通用した技を使用する。

「近接戦はあまり得意ではないようだな。それでは牽制にもならぬぞ」

 ジェストンは右爪を叩き切り、その流れのまま左の爪も斬り上げて切断した。

 その後アナセマに蹴りを入れ、距離を取って剣を構え直した。

「あくまで俺の攻撃を受けるってことかよ。上等じゃねェか。呪え」

 アナセマは彼の余裕そうな状況に苛立ち始め、悪態をつきながら先ほどより高濃度の氷を生成する。

 三百六十度全方位から襲い来る氷の床や冷気は、剣で一閃するだけで抑えきれるとは思えない。


 ......と、アナセマは楽観視していたのだ。

 いくら最強の騎士とはいえ、攻撃方法に魔法が無い。

 流石に自分の能力であれば無力化くらいは出来るだろう、と。


 ザシュッッッッ!!!


 ジェストンは凄まじい音と共に剣を床に思い切り突き立てる。

 剣が刺さる音には聞こえなかったが、実際に目の前で起きている現実なのだから仕方がない。

 そして、刺さった剣から出た風圧が、辺りに広がってアナセマの氷を全て消し飛ばしたのだ。

「おいおい、冗談きついぞ」

「冗談に見えるか?我は騎士王ぞ?」

 ______関係ねェだろ。

 ツッコミを入れたくなるほどには現実離れした状況だ。

 範囲攻撃は消し飛ばされ、近接攻撃は相手に分がある。

「私は呪われた。全てを否定し......」

「ぬ、それは止めさせてもらおう」

 即座に敵を完全凍結する絶対的凍結アブソリュートであれば攻略できるかと試してみれば、ジェストンの持前の勘の良さで詠唱を妨害するように攻撃を仕掛けてくる。

 身にまとう白雪ホワイトコートを展開しているとはいえ、相手は魔法を紙のように容易く切り裂いてみせる男だ。

 攻撃を喰らえば間違いなく致命傷になる為、剣だけは触れないように注意していると蹴りが飛んでくる。

「呪われた私は......ぐッ」

 避けきれずに胸を強く蹴られ、詠唱が止まってしまう。

「その攻撃は少々危険そうだ。撃とうとする度に止めて進ぜよう」

「魔物でももォ少し感が鈍いと思うぞ。第六感どうなってんだ」

 この男は野生をも凌駕する察知能力まで持っている。

 普段通りの戦い方では、一切通じない。

 そして、アナセマは一つの事実に気付く。

 この男は挑発しているのではなく、この戦い方が標準なのだ。

「受けの剣。魔法使い相手にしてる奴はお前が初めてだよ」

「この幻創クオーレがあることで我の得意な剣技を極めることが出来る。他の者に真似できないのは明白だ」

 元々剣の道を生業とする男が、弱点の筈の魔法使いに対する力を得る。

 その力に躍起になるのは至極当然だろう。

「俺は身にまとう白雪ホワイトコートを展開している間、お前より敏捷性においては勝ってる。逃げ続けるだけで任務は達成できるンだよ」

 アナセマの任務は帝国の崩壊と攫われた子供の保護。

 ジェストンの目標は皇帝の守護。

「お前と俺は対等の立場に無ェ。そんな戦い方してねェでさっさとかかってこい」

 立場で言えば、圧倒的にアナセマが有利なのだ。

 それでいて尚、アナセマには勝てるビジョンが見えていなかった。

「挑発に乗るわけではないが、しかし貴様の言う事も事実。少し揉んでやろう」

 いつまでも上から物を言うジェストンに、怒りを募らせる。

「対等じゃねェって言ってるだろ!」

 移動手段が違う以上、スピードの差は埋められない。

 ジェストンが一歩踏み出した瞬間、アナセマは瞬く間に彼の後ろを取る。

 靴のブレードで腱を切り裂こうと姿勢を低くした時、ジェストンは既にこちらを振り向いていた。

「その通り。我と貴様では天と地ほどの差がある」

「ぐあッッッ!?」

 彼は剣を躊躇う事無く振り下ろし、その剣はアナセマを貫いた。

「だが、貴様の思っているのとは逆の意味で、だ。貴様の剣では我に届かない」

 ______ああ、やっぱりか。

 アナセマは自分の弱さと、それを受け入れている愚かさを呪った。

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