第14話
帝城・皇帝の寝室。
部屋の外からでも聞こえる痛ましい女性の金切り声。
定期的に聞こえる鞭で打つような音が、何をしているのかを容易に想像させる。
「皇帝陛下!皇帝陛下はいらっしゃいますでしょうか!」
そんな部屋の前でルーンエルド公爵の叫び声が響く。
彼も、いつ癇癪を起すかわからない男に対してこのような無礼を働きたくはないだろう。
しかし、それどころではない事態が発生してしまったのだ。
鞭を打つ音が止み、少々の時間を挟んで扉が開く。
「何の用だ、弟よ。余は機嫌が悪い。重要な要件でなければ貴様であっても容赦はせんぞ」
「て、敵が第二席を討ち、そのまま帝都へ向かっているとの報告が入りました!このままでは日が昇る頃にはここに到着してもおかしくはありません!」
皇帝は驚きのあまり、口を開いたまましばらく停止してしまう。
有事の際に即座に判断出来ないこと愚かさこそが、彼が皇帝の座を無理矢理奪う事になった要因である。
「皇帝!もう第一席を投入するしかありません!あの者以外に敵を止めうる人材が......」
「うるさい、分かっておる!しかし余の傍を離れさせるわけには行かんのだ!」
国の最大戦力を前に出せば、その間に忍び込んでいるかもしれない他の敵に討たれる危険性が高まる。
その恐怖から、皇帝は考えに考えた。
足りない頭にどっぷりと詰まった油の塊で、考えついたのだ。
「この帝城で戦えばよかろう!どうせ敵の目標は余だ、アレなら敵を倒せるのならどこで倒しても変わらん!」
______それでもし第一席が負けたら、とは考えないのか!この豚は!
今までは甘い汁を吸えていた為に我慢できていたこの愚劣さも、ルーンエルド公爵にとって皇帝が負け馬に見えている今となっては叫びたくなるほどに不快だった。
「......わかりました。第一席に伝えてまいります」
ルーンエルド公爵は皇帝を見限った。
皇帝にはこれ以上言っても無駄で、敵は恐らく第一席を下すだろうと判断したためだ。
第一席に作戦を伝える、という命を最後に帝都から逃げ出すことにした彼は、急ぎ第一席の元へ向かった。
「全く。愚かな逆賊共よ......ミミ、逃げようとしても無駄だぞ!」
皇帝は自分の案が酷く素晴らしいものに感じ、ご機嫌で部屋へと戻った。
そして再び、女の金切り声。
しかし、聞こえてきたのは鞭を打つような音ではなく、パンパンと規則的に何かを打ち付けるような音だった。
△▼△▼△▼△▼△
「んで、なんでわざわざあいつから離れた?そんな重要な事なのか?」
先ほどレーゲンと戦った砦を離れ、帝都に入ってすぐの宿屋で身体を魔法で治癒して貰いつつ問う。
「これも捌番隊に任せる案件なので、勝手なことは言えませんが隊長の
彼女が無害化した相手の前ですら無視せざるを得ない情報なのだから、さぞ大切な情報なのかと思っていた。
しかし、それが自分についての事だとは露ほども思っていなかったのだろう。
面食らったような表情で俯くアナセマ。
「隊長は、もう無害な相手だからと言って情報をおっぴろげにしすぎです。ましてや
「いやまあ、そうかもしれないけど......俺の
予想はしているが、実際にどうかわからない為言えないと彼女は言う。
「
そう事務的に告げたエリフェン。
アナセマにとっては、早く
「さて、火傷も粗方治りました。日が昇る頃には帝城に着けるように急ぎましょう」
「ああ、ありがとう」
身体の具合を確かめながら、神妙な面持ちをするアナセマ。
「魔法を斬るとかいう騎士王は出てきてない。やっぱ戦うとしたら帝城か」
「でしょうね。でなければもう戦闘になっていない理由がありません」
______極秘任務を受けていたとしても、皇帝が死んでいたら意味がないからな。
そういった理由から帝城で待ち受けているという判断が一致する。
「あのレーゲンとかいう男、その騎士王の弟子らしい。あいつが師事する相手だ、当然強いだろう。そんな相手に、俺達二人じゃ......」
アナセマは、弱気になっていた。
相性が悪かったとはいえ、全部俺が倒すと啖呵切って出てきたのに手助けを貰わないと勝てない始末。
自分は本当に、任務を達成できるのだろうか。
そんな思いが募っていたのだ。
「隊長」
エリフェンは、そんな弱音を吐く彼の口を指で抑えた。
「『
「っ......」
自分が過去を思い出して苦しんでいた時に、支えてもらったのだ。
自分が出来る、最大限の激励を以て彼を鼓舞する。
それが、彼女にとっての恩返しだ。
「『任務なんて、簡単でしたけど?』って顔をするんでしょう?でしたら、こんな所で弱音を吐いていたらマリーさんにバレてしまいますよ。本当は大変すぎて、泣きべそかきそうだったって」
「泣きべそなんて、かかねえよ......はは、お前もたまには笑える冗談を言うみたいだな」
「心外ですね。私のジョークを理解できない方がおかしいんですよ」
軽口を叩き合い、彼の憂いが多少晴れる。
こんなちょっとしたことで気が晴れる自分の単純さに笑ってしまいそうになる。
しかし、それは彼の求める幸せの形に非常に近い。
「くだらない話で笑い合って、嫌な事を忘れて......最高だな」
「仕事まで忘れられては困ります。ほら、行きますよ」
アナセマは、自分の求めるモノを再確認して立ち上がった。
ふと、アナセマは
______こんなに速かったか?
後でエリフェンに聞いたところ、『
何度か話に出ている捌番隊と、弐番隊の共同製作らしい。
そんな英知の結晶である
街の中を凄まじい速度で駆けていくその姿は、まるで光のようであった。
止めようとする騎士達もアレに轢かれては敵わんと腰が引けていたのもあり、大した邪魔も受けずに帝城まで辿り着くことに成功した。
「さて、お前はリゼナお嬢様とやらを探してくれ。俺は適当に暴れて第一席と遊んでくる」
「無茶は......」
彼女の気遣いを手で制するアナセマ。
「しないしない。俺達で無理そうだと思ったら始隊長でもなんでも呼んでくれ。隊証、渡しとくから」
隊証を押し付けるように渡し、城へと歩みを進める。
エリフェンは溜息を吐き、隊証を雑嚢に放り込む。
「どうせ呼ぶのですから、今呼んでもいいのですけどね。プライドが高いのも考えものです」
そういいつつも、彼女の顔には笑みが浮かんでいた。
「お前達、絶対にこの先に行かせるな!」
「行かせるな?はは、どうやってだよ」
詠唱もせず、地面に氷を広げて騎士達の足をとる。
自分の足が動かなくなったことに気付き、急いで魔証を取り出す騎士。
「凍てつけ。殺しはしないが俺も仕事だからな、邪魔されない程度に氷漬けにさせてもらう」
騎士達は足先から胸の上辺りまで凍り付き、アナセマの邪魔どころか魔法の発動すらおぼつかない状態となった。
急いでいるとはいえ、場所が分からないのでくまなく魔力を探るために走り回ることも出来ない。
そうなると、歩きながらそこかしこを凍らせ、目立つことがアナセマの最大の仕事だろう。
「凍てつけ!城丸ごと凍らせてやるよォ!」
部屋が白みを帯びてゆく。
調子も上がってきており、語尾に怒りと憎しみが滲み始める。
「死にたくねェ奴らは城から避難しておけ!今からこの城は戦場になるぞ!」
負の感情を高めつつも、仕事はこなさなければならない為避難勧告をする。
「お、お前は何なんだ!何の理由があって帝国に牙をむくのだ!」
この場にいる騎士の中で、最も地位の高そうな男が怒鳴る。
「俺は『
騎士というのは一般に、魔法使いの部隊に入れるほど魔力はないが、膂力や戦闘能力に自信のある者達がなる職業。
間違いなく魔法使いの方が軍事的な価値が高く、騎士は魔法使いより劣った存在という見方をされている。
つまり、騎士の大半は魔法使いに憧れや劣等感を抱いている。
魔法使いの最高峰、魔法の極致に達している『
「『
男のそんな呟きを皮切りに、辺りの騎士もざわざわとし始める。
「すまないが、サインを書いてやる暇はねェんだ。魔法を斬るとかいう騎士王サマに用があってな」
______第一席と伝説の傭兵が______
______あの方が負けるはずが______
______いやしかし、相手は伝説の傭兵だぞ______
様々な言葉が聞こえてくるが、アナセマとしては彼らの事などどうでも良い。
次の部屋に向かおうと歩みを進めると、先ほどアナセマを怒鳴った男がそれに待ったをかける。
「何だ、俺は忙しいんだよ。あんまりうるせェと酒場に卸す氷にしちまうぞ」
「第一席の場所を知っている。案内するのでここから出してくれ」
『
「帰る処へ帰れ。ソレに氷の救済はまだ早い......ほれ、動けるだろ」
「お、おぉ......」
己を覆っていた氷が一瞬で消え、冷気すらも感じなくなった事に驚きを隠せない様子の男を急かすアナセマ。
彼にとっては一大事なのだろうが、アナセマにとっては氷の操作など日常なのだ。
「待ってくれ。部下たちを解放してくれ」
「断る。お前以外に用はない」
反抗されても困るし、死ぬわけでもない騎士達を解放する意味もないのだ。
しかし、男は頑なに解放を求めた。
「お前ほどの力を持っているなら、反抗しても問題なく捕らえられると思うが。それに、お前の所属と先ほどの魔法の威力を知って戦意のあるような者は私の隊にはいないよ」
彼がどんな訴えをしようと、さっさと案内をしてもらうつもりだったアナセマだった。
しかし、彼の放った言葉に聞き覚えがあった。
______アナにもう抵抗の意思はない。離してあげて。
かつて自分を助けたマリーの姿が、この男の姿と僅かながらに重なったのだ。
「随分と部下想いなんだな。皇帝の非道はのさばらせてるってのに」
お前達の国が今潰されているのは、お前達の皇帝が間違えたからなのに。
何故俺の愛する副隊長と同じことを言うのだ。
嫌味なことを言ってみせ、この男は自分の愛する副隊長とは違う事を証明したいという黒い感情。
そんな感情を表に出してしまっている自覚はあるが、どうしても耐えられなかった。
「はは、そうだな。第一席を止められない自分が情けない」
「......待て。この帝国の腐敗は、第一席とやらが根源なのか?」
男は頭を振る。
聞くに、第一席であるジェストンと前皇帝は固い絆で結ばれた盟友だったそうだ。
前皇帝が迷った時はジェストンが道を示し、ジェストンの剣に曇りが見えれば前皇帝が話し相手になる。
そんな二人三脚でこの国を発展させてきたのだという。
しかし、そんな前皇帝も一つだけ大きな間違いを犯してしまった。
「儂の息子......あれは未熟だが、国の為を想っているはずだ。間違う事もあるだろうが、見守ってやってくれ」
彼は没する前に、ジェストンにそんな言葉を残した。
ジェストンはその言葉を胸に刻むことで、前皇帝の死を弔ったのだ。
その結果、何をしようが黙認するだけの騎士王が出来上がったのだという。
「つまり、皇帝の遺した言葉を曲解した大馬鹿野郎ってことだな。悪かった。確かにそんな相手が黙ってるのに、下っ端が文句なんて言えねェ」
騎士全員を覆っていた氷が溶け、アナセマは歩き出す。
「......君は強いな。相手がたとえ敵でも、非を認めて謝罪できる。君のような考え方が出来るのなら、皇帝もこうはならなかっただろう」
いつの間にか二人称が君になっているところを聞くに、この男はアナセマを気に入ったのだろう。
しかし感情がどんどんと昂っていく彼にそれは届かない。
「うるせェ。さっさと案内しねえと全員芸術品にするぞ」
「はは、それは困る。こっちだ、ついて来い」
男はアナセマの向かおうとしていた方向とは逆に走り出す。
______んだよ、締まらねえな。
アナセマはぽりぽりと頭を掻いてから床を凍らせ、滑って男について行った。
残った騎士達は、今起きた事をのみ込むのに必死で未だ凍っているかのように動かなかった。
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