第25話
「陛下、御無事ですか」
「う、うん。僕は平気だよ。ガイウスも、よく僕の場所がわかったね。それに、アルブムも連れてきてくれたんだ」
愛馬に懐かれながら、引きつり気味の笑顔でティベリウスは返す。まずい、と思っているのがありありとわかる表情だ。
主君の無事を確認したガイウスは、それはもう、と怒りを湛えた笑みを浮かべた。
「夜中に嫌な予感がして、無礼を承知で陛下の天幕を訪ねてみれば、案の定中はもぬけの殻。樹海へ行かれたに違いないと踏んで追いかけてみれば、突然陛下の御力が強大な力とぶつかりあっているのが伝わってきましたから。アルブムは、偶然会った古木の精霊に事情を話すと引き渡してくれました」
「そ、そうなんだ……」
「まったく、いくら顔馴染みの精霊が多く棲まうといえど、盗人が逃げこんだ樹海へ真夜中に一人で行かれるなど、一体何を考えておられるのですか! あれほど我らにお任せくださいと申し上げたというのに……もし御身に何かあれば、どうされますか!」
町へ行かれるときはちゃんと仰られるのに、とガイウスは青筋を浮かせる。一分の隙もない正論である。ティベリウスは反論できず、大人しく説教を聞くしかない。
アルビナータは宿営地で二人の私的な会話を見ていたとき同様、このやりとりも興味深く観察した。ガイウスにはしばしば私生活の面で怒られていたことは、現代でティベリウス当人から聞いているのだ。やっぱり無断外出だったんですねと、現代では見ることのなかったティベリウスの大胆な一面に改めて驚きも呆れもする。
そんなアルビナータの存在に、生粋の武人が気づかないはずがない。不意にガイウスがその武人らしい鋭い目を向けてくるものだから、臆病なアルビナータは飛び上がって竦んだ。
「あ、この子はアルビナータ・クレメンティ。この樹海で会ってね、そこの盗人を捕まえる手伝いをしてくれたんだ」
「ア、アルビナータです……」
ガイウスが口を開く前に、ティベリウスは二人のあいだに割って入り、アルビナータを紹介した。話題を変えて説教から逃げたかったからだろう。武人の視線から逃れられてほっとしたアルビナータも、ティベリウスの背後からそっと顔を出して名乗り、小さく頭を下げる。
怒気をひとまず収めたガイウスは、眉をひそめた。
「この樹海で……? しかし、彼女はこの辺りの原住民ではないようですが」
「うん。彼女は今身につけている腕飾りのせいで、住んでいた場所からここへ来てしまったそうなんだ。ほら、変な気配がするって、ここしばらく、僕が言っていたでしょう? あれ、その腕飾りのせいで姿が見えなくなってしまっていた彼女の気配だったみたい」
「陛下がおっしゃっていた気配が?」
「っみ、皆さんの話しあいとかそういうのは聞かないようにしてましたから! 機密情報を知りたいわけじゃないですし!」
じろり、とガイウスの疑う視線が厳しいものになり、アルビナータは半ば条件反射のように首をぶんぶんと振った。
これは事実だ。というより、あまり興味を惹かれなかった。ティベリウスの失踪までにこの視察で何か重大なことが起きたとは、史実に残っていないのである。ティベリウスたちの話しあいも、現代の軽い打ち合わせ程度のものだろう。ならばそのあいだに家探しをするほうがいい。
ガイウス、とティベリウスはたしなめた。
「彼女は悪い人じゃないよ。それにさっき、盗人に襲われかけて怖い思いをしたところなんだ。これ以上怖い思いをさせたら駄目だよ」
「襲われ……? もしや、先ほどの陛下の御力は彼女を守ろうと?」
「うん。その泥棒は、ものすごい力に意識をのっとられてしまったみたいでね。ガイウスの金細工を腕につけていたのが原因だと思う」
言って、ティベリウスはアルビナータに顔を向ける。アルビナータは意を察し、胸ポケットからガイウスの金細工を取りだしてガイウスに見せた。
ガイウスは何とも言えない顔になった。
「これを盗人が身につけたせいとは……しかし、祖父はこれが力を放つとは言っていませんでしたが」
「多分、何もしなければただの金細工なんです。でも宿営地でその人が私の身体を通り抜けたときに、私のほうの金細工に触れてしまったせいで力を持ってしまったんじゃないかと思います。だから家族の人も力を持つ条件のことは知らなかったか、知っていてもこういうことは起きないだろうと思っていたから話さなかったのかもしれません」
そう推測を語り、アルビナータは自分の腕飾りの金細工を見せた。
「……確かに、私が持つ物と同じ意匠の金細工だな。随分古びてはいるが」
「はい。……とりあえず、盗まれていた物はお返ししますね」
と、アルビナータは胸ポケットから取りだしたほうの金細工をガイウスに渡した。
「……感謝する」
金細工を受けとったガイウスは、ぎこちなくアルビナータに礼を言った。
「アルビナータは、その金細工が反応する物を調べたら元の場所に帰れるんじゃないかと思って、探していたんだって。だから、ガイウスかガイウスの家族の人に聞けばわかると思ったんだけど……その様子だと、ガイウスにはわからないみたいだね」
「ええ。祖父は、神官だった頃のことをあまり話してくれませんでしたから。そのくせ、私にこれを押しつけていて……」
「そっか……でも、同じ金細工を持っている子がいると知ったら、何か話してくれるかもしれないよ。ヤーヌス神は建物や貨幣に刻まれることがあっても、こういう装身具に刻まれることは珍しいし。ガイウスが持っている物と同じ職人が作ったのかもしれない」
「……だといいのですが」
「それでもし、アルビナータが故郷へ帰る手がかりを見つけられなかったら、皇宮に住ませればいいし」
「……は?」
唐突な主君の宣言に、ガイウスは呆気にとられた顔と声になった。精悍な容貌が台無しである。
ガイウスは額に指を当て、渋面になった。
「……恐れながら陛下。その娘が盗人を捕らえ、盗品を発見するのに一役買ったとしても、素性の知れない者を宿営地のみならず皇宮へ連れて帰るのは……」
「ガイウス、この子は悪い子じゃないよ。さっきまで全然姿が見えなかったし、僕を助けようと、あの力に一人で立ち向かったんだもの。それで、君の金細工の力が暴走しているのを止めたんだ。あんなの、悪意がある人にはできないよ。勇気ある子だよ」
「……」
「それにガイウス。この子は白い髪と赤い目をしているんだよ? アルテティアでもここより北でも見ない容姿だから、一人でいたら、奴隷商人や賊にさらわれてしまうよ。故郷へ帰れなかったらこの子は一人ぼっちだし。保護してあげなきゃ。弱い者を保護するのは、皇帝の役目でしょう?」
「……」
ティベリウスが訴えると、ガイウスはう、と口をつぐんだ。
「…………わかりました。その娘を連れ帰って、祖父に尋ねるしかなさそうです」
長い息を吐き出し、ガイウスは降参の声をあげた。皇帝の役目、というのが効いたのだろう。
ティベリウスは満面の笑みになった。
「ガイウスならそう言ってくれると思ったよ」
「私が言っても連れ帰るつもりだったでしょう。普段は聞き分けてくださっても、頑固なときは頑固ですからね、貴方は」
呆れとも渋々ともつかない声音でガイウスは返す。それでもうんざりといった色はなく、仕方のないお人だ、と苦笑しているようにも聞こえる。
なんだかんだ言っても、この親衛隊長はティベリウスに甘いのだ。二人の絆が感じられ、アルビナータは頬を緩ませた。
ともあれ、アルビナータの当面の生活はこれで確保してもらえたわけである。周囲からどう思われるのかはわからないが、殺されたりひどいことをされたりはしないはず。ありがたいと思わなければ。どう思われるかは、そのときに考えればいい。
まだ大丈夫だ、とアルビナータは自分に言い聞かせた。
腕飾りに触れると、コラードと市場を回ったことが自然と思い出される。夜空の下、‘皇帝の間’でティベリウスと語りあったことも。
そう、まだ大丈夫だ。元の時間に帰るための手がかりはあるし、一緒に探してくれる人もいる。――――希望は残っている。
アルビナータがそう自分を納得させていると、ところで陛下、とガイウスは周囲を見回した。
「他の盗品は、まだ見つかっていないので?」
「うん。これから探そうとしていたんだ。さいわい、その男にまといついていた力の残滓がまだ残っているから、それを辿っていけば見つかると思う。ね、アルビナータ」
「はい。この腕飾りからまだ糸のようなものが向こうへ続いてますから、それを辿れば見つけられると思います」
頷き、アルビナータは盗人が歩いてきた方向を見た。
「じゃあアルビナータ、行こう」
「えっ? ――――っ?」
アルブムの背に乗ったティベリウスは、言うやアルビナータの手を握って馬上へ引き上げ、自分の前に横乗りに座らせた。アルビナータは慌てるが、ティベリウスはどこ吹く風だ。ガイウスも目を見張るだけで、止めてくれない。
「大丈夫だよ、落としたりしないから」
ティベリウスは優しくそう言うが、異性との接触に免疫のないアルビナータが、この状況で緊張しないわけがない。アルビナータは力の残滓を追うことに神経を集中させ、年上の異性のぬくもりからできるだけ意識をそらすよう努めなければならなかった。
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