第6話
この流れで、ティベリウスや彼の親しい人物にまつわる品が何か一つでも見つかればいいのだが。あるいは、ドルミーレが所蔵していない巻物。他の参加者と顔見知りになれはしたものの、今のところ、収穫があるとは言えないのだ。せっかくティベリウスと共に来たのだから、何か成果と呼べそうなものを見つけたい。
ティベリウスのトーガの袖を掴みながら辺りを見回していると、古びた櫃がアルビナータの目についた。
そばに置かれた解説板によると、老朽化に伴い取り壊された修道院で発見され、国に寄贈されたものであるらしい。行政側の事前調査で、古代アルテティア帝国の様式だと結論づけられてここに出品されたのだろう。
見るからに古くさい、ただの櫃である。しかし、そういう品でも実際に調べてみると新たな価値が見つかったりすることがある。そうでなくても、実物をじっくり見ることは学芸員にとって大事な作業の一つであり、勉強だ。
参加者からティベリウスへの質問が終わるのを待って、アルビナータはティベリウスに声をかけた。
「ティベリウス。ちょっとこれ、見てもいいですか?」
「うん。魔法はもう解除されてあるみたいだけど、気をつけてね」
「はい」
頷くと、アルビナータは櫃に近づいた。膝をつくと、ゆっくりと櫃を開ける。
「……」
内部には埃以外、何も入っていなかった。内部も時代を経た木製の櫃そのもので、下手に触れると壊してしまいそうだ。運びこんだ役人たちの苦労がしのばれる。
ざっと調べた限りは、ドルミーレにわざわざ持ち帰る価値のない品である。特別凝った装飾がされているわけでもなさそうだ。
そう思ってアルビナータは蓋を閉めようとしたのだが、そこでふと違和感を覚え、眉をひそめた。
「……?」
一度立ち上がって櫃の中を眺め、アルビナータはもう一度腰を下ろした。今度は、櫃の外装をじっと見つめる。
やはり、中を見下ろしたときとしゃがんで外装を見たときとでは、底の高さの印象が違う。中をまっすぐ見下ろしたときのほうが、しゃがんで外装を見たときより、底が浅く感じる。
「アルビナータ? 何をしているの?」
ティベリウスが、アルビナータの奇行を見つけてか目を丸くした。コラードも寄ってくる。
アルビナータは二人を見上げた。
「この櫃、二重底にしてあるような気がするんです。もしかしたら、まだ下の底のほうに何かあるかもしれません」
そう返し、アルビナータは櫃をもう一度調べてみようと考えた。これがもし二重底になっているなら、底板のどこかに取っ手になるような部分があってもおかしくない。あるいは、外装か底に引き出しか扉があるかもしれない。
が、その手をかがんだティベリウスが止めた。
「待って。僕が一度見てみるよ」
そう言うと、ティベリウスは櫃に手をかざした。
すると、ティベリウスの手に淡い光が灯り、櫃の中を照らした。彼の手が動くのに合わせて、底のさらに下の様子が衆目にさらされる。
魔法はティベリウスの得意分野だ。生まれつき図抜けた魔力の持ち主で、人生で唯一経験した戦乱であるゼペタ戦役では、魔法で多くの傷ついた兵を癒し命を救ったという逸話がある。こうして透視をすることなど、彼にとっては息をするように容易いことなのだった。
ティベリウスの魔法によって、櫃の底に三つの細長い影が浮かび上がった。どれも両端が細く、中央部分に紐が巻きつけられているようだ。
アルビナータは目を瞬かせた。
「巻物……?」
「かもしれない。端から四分の一くらいのところに取っ手があるよ。ほら、あの辺り」
と、ティベリウスは白く細い指で櫃の底を示す。それと同時に透視の魔法は切れ、細長い影は消えた。
アルビナータはすぐさま、端から四分の一辺りのところにあった目立たない取っ手に手を入れた。すると底板は簡単に持ち上がった。たちまち独特なにおいが漂い、底板に固定されていた巻物が三巻、姿を現す。
「アルビ、でかした! さすが‘白兎’!」
「コラードさん、犬みたいに言わないでください」
褒めているつもりなのか背後から頭をかき回すコラードに、アルビナータは口を尖らせ抗議する。兎は犬ではないのである。隠された物を見つける才覚はないはずだ。
ともかく、中身を確かめなければならない。だからアルビナータは巻物を慎重に手にとった。
そして何気なく軸に目を落とし、そこに刻まれた図像と文を見て絶句した。思わず、間違いではないかと文を翻訳し直す。
しかし、答えは変わらない。長年にわたってティベリウスに教えてもらった古代文字の知識は、一つの内容しか示さない。
アルビナータの頭の中は真っ白になった。鼓動が速くなるどころか、気が遠くなりそうになる。
嘘だ、まさか、こんなところで――――――――
「おい、アルビ、どうした?」
「こ、コラードさん……軸がギリル文字です……」
「って オキュディアス三部作の原本かよ!」
アルビナータが呆然とした顔で答えると、コラードは声を裏返した。
ギリル語は、古代アルテティア帝国で用いられた言語の中でも特に希少な言語だ。特定の地域や遺物でしか見ることができないため、研究者でも解読することができる者はごくわずかしかいない。アルビナータが読めるのは、言うまでもなくティベリウスのおかげである。
帝国の歴史を記したオキュディアス一族は、書物の原本を出身地域で用いられていたこのギリル語で記していた。世の知識人たちに読まれていたのは、他の言語に翻訳された写本だ。
そして、現在発見されているオキュディアス三部作の原本にはどれも、ギリル文字と神の図像が軸に刻まれている。――――この巻物は、オキュディアス一族の三部作の原本である証拠を二つも揃えているのだ。
周りの学芸員たちの顔つきが一変した。にわかに場の空気が緊張しだす。
一体誰の章か。コラードに急かされるまでもなく、アルビナータは紐を丁寧に解いて巻物を床に置いた。頭の部分だけを開き、ギリル語に目を通す。
「…………アルビ、どの皇帝の章だ」
「これ、僕の章だよ……子供の頃のことが書いてあるもの…………」
「はあ? お前の章だって?」
問いにティベリウスが震えた声で答えると、コラードの声が先ほど以上の大きさで辺りに響いた。
『帝政』ベネディクトゥス・ピウス帝の章は、写本の一部すら発見されていない、幻の巻物だ。だから今までティベリウスの皇帝としての功績は、他の文献や発掘調査によってしか推測したり、断定することができていなかった。
それが、破損がなく良好な保存状態で発見されたのである。しかも、原本の可能性が高い巻物として。
「ほ、他のは……」
三巻あるうちの一巻がティベリウスのものなら、残る二巻はどうだろう。逸る気持ちを抑え、アルビナータはティベリウスに彼の章を渡すと、コラードと共に残る巻物を手にとって開いた。
残念ながら、軸に細工はない。羊皮紙に踊る文字も、ギリル語ではない古代文字だ。
「こっちは古代アルテティア語だ。…………こりゃ、ティベリウスの弟のほうか? 内容は間違いなくデキウス帝の話だが、正確な年代は鑑定が必要だな。アルビ、そっちは?」
「…………古代アルテティア語の、ティトゥス・アウレリウス帝の章です」
それは、ティベリウスの父帝だ。異民族の侵略を退け、辺境を巡察して帝国の防衛体制を一新した功績があることから子供たち同様、賢帝と後世で称えられている。
ティベリウスの父や異母弟デキウスの章も、写本が一部しか発見されておらず、完全な写本もしくは原本の発見が待ち望まれていた。つまり、幻とされていたベネディクトゥス朝三代分の『帝政』が今、アルビナータたちの手の中にあるわけだ。もはや奇跡と言っていい。古代アルテティアの研究者なら、卒倒しても不思議ではない。
もちろん、鑑定しないと本物かどうかわからないが、こんなところに隠してあったのである。それに、ギリル語にしろ古代アルテティア語にしろ、古代アルテティア帝国が東西に分裂して以降、使われなくなっていた言語だ。本物に違いない。アルビナータは、この三巻が現代に残っていた奇跡と箱を寄贈してくれた人物に、心の底から感謝した。
――――――――しかし。
「……」
世紀の大発見に興奮していたアルビナータはここに至って、我に返った。身体を捻り、ティベリウスを振り仰ぐ。
ティベリウスは、呆然とした顔のまま巻物を見つめていた。凍りついたかのように、表情も身体も動かない。
けれど、きらめく青の瞳には様々な感情が浮かんでは消えていた。どんな感情であるのかアルビナータにはわからないが、苦悩していることは確信できる。
当然だろう。この巻物の最後には、彼がどのようにして失踪したのか、記されているはずなのだから。
アルビナータの視線に気づいたのか、ティベリウスは視線を巻物からアルビナータへと向けた。無理やりといったふうの弱々しい笑みを浮かべて、アルビナータを見る。
「……ここで見ちゃ駄目だよね。元に戻すのが大変だし」
普段通りにしようとして失敗した声音で言って、ティベリウスは膝をつくとアルビナータから巻物を取りあげた。自らの手で、己の治世を記した巻物を巻いて紐でくくる。
アルビナータは、一連の動作をなんとも言えない気持ちで見ていた。
何か言ってやりたい、けれど何を言えばいいのかわからない。そもそも今、彼が何を考えているのかも。
「……おい、二人とも。いいところを邪魔して悪りぃが、浸ってる間はねえみたいだぞ」
「え……」
唐突に、どこか笑みを含んだコラードの声音が降ってきた。ティベリウスだけに意識を向けていたアルビナータは、慌てて辺りを見回す。
そうしてアルビナータはようやく、周囲にただならぬ空気が漂っていることに気づいた。
アルビナータとティベリウスを、いつのあいだにか学芸員たちが取り囲んでいた。その全員が狩人というか、競りをする商人というか、食料を前にした飢えた人のような表情をしている。はっきり言って、怖い。
今の今までアルビナータは忘れていたが、ここは国主催の大展覧会なのである。一つの品に購入希望者が集中すれば、市場の仕入れ業者も驚く熾烈な駆け引きとくじ運で手に入れなければならない。最初に発見した功なんて、何の足しにもならないのだ。
先ほどまでの和やかさはどこへやら、今や辺りは殺伐とした様相を呈していた。学芸員たちは皆、麗しき‘アウグストゥス’の姿が見えていないのだろうか。――――見えていないのだろう、この様子では。
史料にはあまり興味がない他の参加者と役人は、これは自分たちが関わってはいけないものだと判断したらしい。見てはならないものを見てしまったかのように顔を逸らし、そそくさと退散していく。その引き際は実に見事なもの。櫃の周囲に残っているのは、ドルミーレの学芸員二人と‘アウグストゥス’、そしてその他大勢の学芸員ばかりだ。
「コ、コラードさん。なんだか皆さんがすごく怖いんですけど……」
「だな。ここまで殺気駄々漏れなのは初めて見たぞ俺」
「そんなこと言っている場合じゃないですよコラードさん。絶対『帝政』を手に入れないと。ティベリウスの章は当然ですけど、できれば他の二巻も」
いっそ面白いものを見ているような表情で辺りを見回すコラードの制服の裾を掴み、アルビナータは主張した。
ドルミーレは古代アルテティア帝国史の研究においてもっとも格が高い博物館であるし、古代アルテティアの皇帝だったティベリウスがいるのだからということで、彼の章は手に入れられる可能性が高い。しかし、他の二巻はどうか。ティベリウスの章を手に入れたのだからと、他の博物館に持っていかれるかもしれない。
ティベリウスがガイウスだけでなく家族、とりわけ自分の跡を継いだ異母弟のことを気にかけていることを知っているアルビナータとしては、残りの二巻も逃したくない。他の購入候補を諦めることになっても、三巻とも欲しい。
わあってるって、とコラードはアルビナータの肩を叩いた。
「ティベリウスの手元に置いといてやりたいんだろ? それにこんな大物、逃がしたら館長と主任に睨まれるだけですまねえに決まってるからな。……まあ見てろよ。こういうときこそ先輩のすごさっての、見せてやろうじゃねえか」
にっと口の端を上げ、コラードは言い放つ。殺気だった熟練の学芸員たちを前にまったく動じない、歓喜と獰猛さを併せ持った顔だった。
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