第5話

「お、アルビ。見えてきたぞ」

 がたごとと単調な音と揺れを繰り返す幌付き馬車の中で、不意にコラードが声をあげる。書類に目を通していたアルビナータはその声につられ、馬車の前方に首を巡らせた。

 行き交う人もまばらで静かだった街道は、アルビナータが書類とにらめっこをしているあいだに、多くの荷馬車や旅人、農民の姿が多く見られるようになっていた。白を所々に散らした山々が彼方でその背後を飾る、まっすぐ続く街道の向こうにはコラードが言ったように、人々の出入りを受け入れる大きな門を備えた城壁が見える。

 アルテティア王国の王都、ルディラティオ。有する国は変われど、古代から一国の繁栄の中心であり続ける‘永遠の都’である。二人にとってはほんの数年前まで住み、多くを学んだ生まれ故郷でもある。

 だが、今日二人がわざわざドルミーレの馬車で故郷へ戻ったのは、仕事のためだ。

 馬たちの歩みは止まることなく、馬車が一歩一歩ルディラティオに近づくほどに、都へ向かう人々が生む音声と、城門から流れてくる都の賑わいが馬車が奏でる単調な音に混じり、だんだんと大きくなっていく。

「……」

「アルビナータ、大丈夫? 顔色が悪いよ?」

 人ごみと城門の向こうに見えるルディラティオの街並みをアルビナータがじっと見つめていると、隣に座るティベリウスが、心配そうに声をかけてきた。

 アルビナータは眉を下げてティベリウスを見上げた。

「……私、そんなに怖がってるように見えましたか?」

「ああ。顔が硬いな」

 アルビナータの問いに答えたのは、アルビナータの向かいに座るコラードだ。

 自分では表情だけでも平静を保っていたつもりでも、そうではなかったらしい。コラードの指摘に、アルビナータは肩を落とした。

「ほれ、水飲んで落ち着け」

 と、コラードは鞄から取り出した水筒をアルビナータに押しつけた。

 促されるままアルビナータがゆっくりと水を飲むと、冷たい水が喉を通って全身を潤していく。喉から胸にかけての冷たさに、アルビナータは長時間の移動以外の理由で強張っていた身体をさらに緊張させるような、あるいは適度に力を抜けと叱責していくような気がした。

「……落ち着いた?」

「はい。少し、気が楽になりました」

「……びびんなっつっても無理だろうが、ちょっとは安心しろ。今日は倉庫までこの馬車から出ねえんだから、さらわれることもねえんだし。倉庫の中へ入るのは怖いだろうが、俺とティベリウスがいるんだから無敵みたいなもんだろ? そもそも中に入るのは、目の前のお宝に夢中な奴らだけだしな」

「あまり無理しちゃ駄目だよ。怖いのは、ゆっくり克服すればいいから」

 膝に頬杖をついて少し呆れが交じった、けれど優しい声のコラードに続いて、ティベリウスも腕を伸ばして頭を撫でながらアルビナータを励ます。

「……はい」

 アルビナータはこくりと頷く。二人の優しさが嬉しくて、強張った頬と口元がわずかに緩んだ。

 ティベリウスとコラードがこうもアルビナータの緊張を気にしているのには、わけがある。

 三ヶ月前。休日にガレアルテの通りを歩いていたアルビナータは、道案内を頼む観光客を装った人さらいに誘拐され、縛られ、港にある倉庫に閉じこめられた。ここ数年アルテティア各地で相次いだ犯罪組織の大規模な摘発を逃れた残党が、クルトゥス島で再び犯罪に手を染めていたのだ。連れがいなさそうな、そして珍しい色の容姿の少女は格好の獲物に見えたに違いない。

 このとき、ドルミーレへ時折顔を出す火の精霊がたまたま倉庫内にいて、顔馴染みのアルビナータが受けた仕打ちに激怒して倉庫に火を放ってしまった。風の精霊から話を聞いて駆けつけたティベリウスがアルビナータを救助するのだが、気を失っていたアルビナータに触れたため、彼の存在だけでなく、アルビナータの彼を顕現させる異能までもが世に知られることになる。善良な一般人にも王侯貴族にも――――悪人にも。

 そして、一ヶ月半前。アルビナータの異能を狙った賊が下宿先を襲撃し、大家が大怪我を負ってしまった。賊は捕まったが、親しくしていた人が自分のせいで凶刃を浴びるのを目撃して、アルビナータが平然としていられるはずもない。結果、元々の気の弱さと相まってか、こうして人ごみや見知らぬ人間に対して怯え、一人での外出を極度に恐れるようになってしまっているのである。

 アルビナータが‘皇帝の間’に住んでいるのも、このためだ。身の安全を確保するためだけでなく、不安定になってしまった精神の療養のためにと、ティベリウスやコラードたちが強く勧めたのである。なにしろここは貴重な史料を守るため、優れた魔法道具と警備員があちこちに配置されている。その上、夜になれば様々な精霊たちが自由に闊歩しているのだ。これほど安全な場所は、アルテティアのどこにもないに違いない。

 マルギーニが先日の解説見学や今回の出張にアルビナータを指名したのも、コラードに同行させているのも、アルビナータが早く恐怖心を克服できるようにと考えてだろう。ティベリウスの同行を提案したのも、アルビナータのことも心配してなのかもしれない。

 馬車が城門を抜け、大勢の人々で賑わう目抜き通りも抜けて王城のほうへ近づいていくと、次第に喧騒は遠のいていった。通りを形成する建物は店ではなく施設ばかりになっていき、通りを歩く人の身なりも制服や富裕層のものが多くなっていく。耳目が拾う人の気配が少なくなり、アルビナータはほっと息をついた。

 しかし、その安息もわずかなあいだだけのこと。官庁街の一画、王城と兵舎に隣接した赤茶色の倉庫群の前に到着すると、倉庫の前で扉が開くのを待つ人々の姿がアルビナータの視界に映った。

 少なくても五十人はいるだろう、私服や制服をまとった人々を見回し、アルビナータは忙しなく首を巡らせた。

「たくさんいますね……」

「ああ、国中から古代アルテティア関係の学芸員と商人が来てるからな。ほら、そんなにびびるな。解説見学はちゃんとできたんだろうが」

 と、コラードはアルビナータの背中を軽く叩いてはっぱをかける。アルビナータは硬い表情で彼に頷いてみせ、ゆっくりと馬車から下りた。コラードとティベリウスも続く。

 途端、アルビナータたちの周囲で息を飲む音がして、談笑の声が絶えた。今日も今日とて、ティベリウスの神がかりな美貌はその威力を如何なく発揮しているらしい。

「見ろよアルビ。間抜け面さらしてるのがいるぞ。古代でもこんなんだったんだろうなあ」

「コラードさん、多分こうだったんだと思いますけど、失礼ですよ」

 周囲の参加者を見回してくつくつ笑う先輩に、アルビナータはため息をつく。一体何がそんなに楽しいのか。受付の手続きが大変になっただけだというのに。

 だが、アルビナータとしては気が少しだけ楽になったのも事実だ。人々の視線を釘づけにしているのは、自分ではなくティベリウスなのである。そう考えることが簡単になる。

 この異様な光景の中心にいてもティベリウスが困ったふうでもないのは、過去でもそうだったからだろう。彼の在位中に記された文献の中にも、彼が歩くだけで老若男女が立ち止まって仕事に集中できなくなる、という記述があった。そんな毎日を過ごしていたなら、慣れているのは当然だ。

 ティベリウスに見惚れる女性官吏の意識をなんとか仕事に戻させ、身分証明と参加登録を済ませて三人はさらに倉庫へ近づいた。それからしばらくの間、奇妙な雰囲気を漂わせた沈黙の中で時間を潰していると、ぱんぱん、と官吏の制服をまとった壮年男性が手を叩いた。

「皆さん、定刻になりましたので、これより大博覧会を開催いたします。準備くださいますよう、お願いします」

 そう言い、男性官吏はポケットから取り出した鍵で倉庫の錠を外した。彼の手が扉を押すと、重々しい音を立てて扉は内側へ開く。

 魔法道具が照明となって照らす倉庫は、初冬に放り出されたかと思うほどの冷気が漂っていた。霜が降りていないのだから極寒ではないが、夏の暑さに慣れた身では冬も同然だ。強く息を吐くと、白くなる。

 当然である。資料の劣化を防ぐためには、虫や不心得者対策だけでなく、低い温度や湿度、照明を抑えた場所で保管する必要がある。だからアルビナータやコラード、他の参加者たちも、コートを用意しているのだ。

 そんな倉庫の中には、布を被せられた大小様々な品々が整然と並べられていた。軽く六十はあるだろうか。小さいためにまとめて布を被せられているものは多いだろうから、品数としてはもっとあるだろう。

 官吏の部下たちが手際良く布を外していくにつれ、倉庫に搬入されていた品々が明らかになる。巻物に石像に石板、仮面や胸像、彫刻の一部分。貨幣にコップ。多種多様で脈絡がない。

「おうおう、いつ見てもすっげえ数だな。これ全部、古代アルテティアの遺物なんだから驚くしかねえよな」

「そうですね……」

 楽しそうなコラードの声に、アルビナータは上の空で答える。学院時代に参加した発掘調査でもそれなりの数の遺物を見たものだが、これは桁違いだ。視線を外すことができない。

 この中から、何かティベリウスや親しくしていた人物にまつわる物を見つけることができたらいいのだが。アルビナータは祈った。

 そしてあっというまに、一時間近くが経過した。

「――これ、コルテスの『内乱記』だね。エルスファスの戦いについて書いてある。保存状態はいいけど……アルビナータ。確か、ドルミーレにあったよね?」

「はい。次を見ましょう。えと、次は……」

 ティベリウスにそう答え、アルビナータはきょろきょろと辺りを見回した。次に関心を寄せたのは、立派な顎髭をたくわえた、温厚そうな男性の像だ。

「ティベリウス、これ、見覚えありますか?」

「うーん、ないなあ。少なくても、ルディラティオの皇宮や神殿で見た記憶はないよ。僕が知っている人の顔でもないし……どこかの公衆浴場か誰かの屋敷にあった物じゃないかな」

「じゃあ、これもなしですね。コラードさん、どうしますか?」

「それもよそ行きだな。美術館と美術商が狙ってるだろうし。さあて次のは……お、あれいいんじゃね?」

 そうコラードが目を止めたのは、腕が破損した若い男の像だ。甲冑には、戦乱の様子が刻まれている。

「ゼペダ戦役の戦勝記念の像、ですよね」

「うん。まだあるんだ……」

 アルビナータが呟くと、ティベリウスは照れくさそうな、複雑そうな顔をした。

 当たり前だろう。自分を題材にした彫像なのだから。目録によると、帝国領だった地域の遺跡で発掘されたものだという。

 コラードはにやにやして言う。

「これ、うちで飾ったほうがいいんじゃね? 前庭にでも置けば、来館者が喜ぶぞ」

「コラード、僕の彫像なんてもうドルミーレにあるんだから、要らないだろう? 土産物屋にも、小さいのがたくさん売っているし……」

 だから勘弁してよ、とティベリウスは頬を赤らめる。アルビナータは苦笑した。

 ティベリウスの反応も当然である。自分を模した彫像の前に多くの人々が押し寄せ、土産として小さな彫像を買い求めているあの光景は、当人からすればいたたまれないの一言に違いないのだ。出入りする業者さんも持ってましたと教えないほうが、本人のためだろう。

 時々自分にまつわる品が発見されては反応するティベリウスと話しながらアルビナータとコラードが品々を鑑定していると、三人に近づいてくる者がいた。

「あの、‘アウグストゥス’……」

「うん、どうしたの?」

 おずおずと壮年の学芸員が話しかけてきて、ティベリウスは穏やかな表情で振り向いた。学芸員は一瞬ひゅっと息を飲んだが、それでも声を上ずらせながら、自分が手にした『内乱記』についてティベリウスの質問をする。

 参加者たちのティベリウスへの質問は、これが初めてではない。最初こそ生身のベネディクトゥス・ピウス帝に見惚れ、圧倒されているばかりだったが、一人が意を決してティベリウスに声をかけて以来、ぽつぽつと話しかけてくるようになっている。アルビナータの眼差しや服に触れる手によって人々に認識されたままのティベリウスは快く応じ、巻物の内容を説明してやったり、自分の治世や当時の生活について語ったりしている。その横顔はどこか嬉しそうだ。

 大展覧会について来てほしいと頼んだのは、彼に喜んでもらう意味でも正解だったようだ。ティベリウスを横目で観察して嬉しくなったアルビナータは、頬を緩ませた。

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