第二十三話 反感






――私立美桜学園しりつみおうがくえん


創立十五年となるこの学園は、外装の真新しさと設備の充実さが人気で、毎年受験の倍率は八倍を超えるという。

クラス数は全学年共に七つあり、私と伊田さんは三組に所属している。

この地域では偏差値が高く、一応進学校という立ち位置らしいが私はあまり信じていない。

もちろんそれは、沢崎さんや白井さんたちのような例外があるからだ。私立だから、きっとその辺は緩いのかもしれないが。


白井さんと別れた後、私はまっすぐ教室へ向かい自分の席に座る。

そうして、窓の外を見ながら……そんな他愛のないことを考えていた。

教室に入って一番奥の窓側、後ろから二番目の席。およそ、座るのは一ヶ月半ぶり。

そういえば、沢崎さんはどこのクラスなんだろうか。


「あ、おはよう香笛さん」


ぼーっとしていたのも束の間、唐突に話しかけられ思わず驚く私。

声のする方へ振り向くと、そこには伊田さんの姿が。

「あ……おはようございます」

胸の動悸を抑えながら、私は出来る限り冷静に挨拶を返す。

これだけは自信をもって言える。この胸の激しい高鳴りは驚きによるもので、決して恋なんかではない、と。

「あ、職員室に行かないといけないんだった……ごめん、また後で……!」

何かを思い出したらしく、急ぐように会話を終わらせる伊田さん。忘れてた用事でもあったのだろうか。

「えっと……はい」


伊田さんが急ぎ足で教室を離れたところで、私はあることに気づいた。

いつの間にか、周囲の視線を集めていたようだ。確かに、彼はクラス内外問わず人気者である。私のような日陰者と会話をしているのは、クラスの人たちにとってだいぶ違和感があったのかもしれない。

「……はぁ」

思わず、ため息が出る。あまり注目を浴びたくない私にとって、これは多大なるストレスに他ならないからだ。

私と伊田さんの関係を疑い始める女子たちの会話が、ちらほら聞こえる。


何であいつに挨拶したの? どういう関係? そもそも誰よ?


――まるで、人の醜い感情の渦が見て取れるようだった。駄目だ、嫌なことを思い出してしまう。過去を……振り返りたくない記憶を。


「ねえ、ちょっと」


そうして、私はいつのまにか三人組の女子に囲まれていた。

いかにも強気そうなリーダー格の女子を真ん中に、威を借る狐のような女性、おどおどとしている女子がそれぞれ両隣に立つ。

「……何でしょうか?」

嫌悪感を隠さず、私はそう答える。

最近薄れていたけれど、根底にある私の気持ちは、人間関係などどうでもいい、なのだ。この人たちに嫌われようと、好かれようと、まるで興味はない。だからこそ、嫌悪感も隠したりはしない。

「あんた、伊田君の何?」

リーダーであろう真ん中の女子から、そんな一言がぶつけられる。

「ただのクラスメイトですが?」

無遠慮に浴びせられる質問。私は冷静に答える。


「そんなわけないでしょ、伊田君から挨拶してる女子なんて見たことないんだから」


「えぇ……」

思わず、そんな言葉が漏れてしまう。何を言ってるんだこの人は。

絶対一人や二人、それ以上に自分から挨拶をしてる女子なんているだろう。

はぁ……これがチャットでのやり取りだったら、おまえは何を言っているんだ。というミルコの画像を送って、終わりに出来るのに。

「で、何? あんたまさか、伊田君のこと狙ってるんじゃないでしょうね?」

初対面の相手だというのに、こうも攻撃的に話せるとは。きっと、行動を省みたことがないのだろう。そうやって、色んな人をこれまで傷つけてきたのだろう。

新学期初日だというのに、早速心が陰鬱な気持ちになりつつあった。もう、帰ってしまおうか。

「ねえ、聞い――!」


そんな彼女の叫びを遮るように、教室の扉が大きな音と共に開く。

まるで叩きつけられたかのような音に、思わず私も驚く。それ以上に目の前の三人が驚き、すぐに目線を教室の入口へ向けた。

「…………」

白い半袖のワイシャツ、腰に巻かれたベージュのカーディガン、丈の長いスカート。紫色のスクールバッグを片手で気だるそうに持ち、不機嫌さを隠そうともしない彼女。


その名は――沢崎真夜。


憤怒の感情を宿らせた、鋭い目つき。彼女が非常に不機嫌であることは、火を見るよりも明らかだ。

腰まで伸びた黒髪をなびかせて、こちらに歩を進める。

周囲の視線を一気に集め、注目されてもなお歩く速度は変わらない。そして誰もが気圧され、道を開けていく。

そうして、三人組の前に毅然とした態度で対峙する沢崎さん。


「おい、どけよ」


「な、誰よあんた……」

「あァ? ゴミに名乗る名はねえよ」

「だ、誰が――!」

「柏木さん! この人はまずいですって!」

取り巻きの一人が、動揺しながらリーダー格の名を呼び、慌てて制止する。

「何で止めるのよ! コイツは私を馬鹿にしたのよ!? 柏木財閥の一人娘であるこの私を!!」

何やらプライドを傷つけられたようで、ひどくお怒りの様子。柏木財閥……ちなみに私は、聞いたことはない。

「で、ですが相手はあの悪名高い沢崎真夜ですよ!? この学園において、絶対に敵に回しちゃいけな――」

「ごちゃごちゃうるせーな……。察してくれねーか? 我慢してるのもそろそろ限界なんだ」

睨みつけながら、低い声でそう呟く沢崎さん。私の目から見ても、だいぶ我慢の限界が近そうだった。

「ふん! な、殴れるものならやってみなさい! そんな真似をして、私に危害でも加えた日には、一家離散じゃ済まないわよ?」

そんな沢崎さんに、どこか強気な姿勢を崩さないリーダー格の女子、柏木。

「……柏餅だかなんだか知らねーけど、喧嘩を売るってんなら喜んで買うぜ。財閥だァ? やりがいがありそうで良いじゃねえか。ちょうど退屈してたんだ、もうこの辺じゃ敵がいなくてよ」

そう言いながら、答えを待たず柏木と名乗った女子の胸倉を、乱暴に掴む。


「財閥? 親が金持ち? ふん、俺には関係ねえ。ったくよ……喧嘩を売るならテメーの命を賭けろや! 下らねえ真似して、自分の魂を汚すんじゃねェ!」


眉間に皴を寄せ、鬼のような形相で柏木の額に自身の額をぶつけ、至近距離でそう脅す沢崎さん。

「次、俺の前でこんな真似してみろ、本当に許さねえからな……!」

「っ……!」

柏木と名乗ったリーダー格の女子は目尻に涙を浮かべ、完全に震えあがっていた。


「さ、沢崎さん……!」


「……チッ」

私の言葉を聞いて、沢崎さんが仕方なしに胸倉から手を離すと、すぐさま距離を取る三人。

「行こうぜ、春姉。そろそろ始業式の時間だってよ」

先程までの怒りに満ちた表情を出来る限り抑え、そう静かに呟く沢崎さん。

「……そうですね、行きましょうか」

色々とツッコミたいことはあったが、私はそれだけ言って席から立ち上がる。


そうして、絡んできた三人組をそのままに、私は沢崎さんと教室を離れ、体育館へ向かうのだった。



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