二章 十の席に選ばれし者➇
「事件とかの資料は資料室の方でも奥の方に厳重に保管されているんだよね。だから、ちょっと歩くのに時間がかかるけど、我慢してね」
「大丈夫なの」
私は本棚が左右に並ぶ通路を通って、前を歩く風真に着いて行く。
正人はパソコンを使って、何やら調べているらしい。パソコンが何かはわからないが。
「ちょっと聞きたいことがあるの」
「うん、何だい?」
風真に聞きたいことがあった。ただ、さっきまでは正人がいたので聞くことはできなかったことがある。
「正人はなぜ蓬莱を辞めたの?」
ずっと疑問だった。
京都事変であれだけの成果を出し、実力も今も衰えることが無いくらい強い。
そんな彼がなぜ、蓬莱を辞めたのかが気になっていた。
でも、これは正人本人に聞くべきことではないと思って避けていた。
「あんまり面白い話じゃないけど、聞きたいの?」
「うん」
風真の問いに頷く。
知りたい。なぜ辞めたのか、先ほど契約の話が出たとき、なぜ表情が曇ったのか。
それは全て京都事変に繋がっている気がした。
「それを話すには、まず契約についてもう少し詳しく話そうか。契約については、さっき説明した通りだけど、契約の使われ方については説明していなかったからね」
「契約の使われ方?」
「契約には、主に二つの使われ方があるんだ。一つは、ハクと正人のように、依頼人と祓い屋との間でお互いの利益を保障するための契約で、基本的にはこのような用途で使われることが多い。そしてもう一つが、妖術師がたまに使う祓い屋と妖怪間での契約で、陰陽師からは式神契約と言われているものさ」
「式神契約?」
式神というのは聞いたことがある。
「式神って人工的に作られた妖怪のことじゃないの?」
「確かに人工的に作られた妖怪のことを式神って言うね。でも、ここでいう式神契約はちょっと意味が違う。式神は人工的に祓い屋によって作られるものだけど、何を目的にしてると思う?」
「えっと、自分の力になってもらうため?」
「そう、式神は、自分の手助けをしてくれる妖怪を作ったものなんだ。式神契約は、俺と天心みたいに契約した妖怪を式神のように自分の手助けになってもらう契約のことを指すのさ」
「妖怪は祓い屋に逆らえなくなるってこと?」
式神は祓い屋からすれば、使い捨ての道具のようなものだ。
式神契約という言葉にあまり良い印象が持てない。
「妖怪が祓い屋に逆らえないっていうのは確かだけど、祓い屋も妖怪に酷いことはできないよ。式神契約は、妖怪を祓い屋から守る代わりに祓い屋に協力してもらう契約だからね。妖術師しか用いないし、そこまで酷いことになった事例は聞かないから大丈夫さ。こうした契約で結ばれた妖怪を契約妖怪って言うんだ」
陰陽師は妖怪のことが嫌いだから、こんな契約使わないしね、と付け加える。
「契約の補足はここまでとして、五年前の正人には契約妖怪がいたんだ。九音っていう九尾の妖怪でとても強かった。五年前の正人の評価は少なからず、九音の影響を受けていると思うね」
「正人自身は弱かったってことなの?」
「そんなことはないよ。正人は昔から凄い奴だった。ハクは妖術の仕組みをどこまで知っている?」
「妖力を使って速く動けるようにしたり、風を操ったりできる力なの」
「かなりアバウトだね。妖術は妖力を使って身体強化や自然現象を起こしたりするんだけど、それには術式が必要なんだ」
「術式?」
頭に疑問符が浮かぶ。自分が妖術を使うとき、そんなものを使っていただろうか。
「例えば、発声による詠唱、地面などに書く陣、とかが術式にあたる。術式にあたるものがない場合は、自分の妖力を余分に使って、術式を作っているらしいんだ」
「らしい?」
「正人が言っていただけで俺にもよく分からないけど、要するに予め術式を用意していた方が妖力を節約できるんだってさ。正人は、妖力が祓い屋の中でもかなり少ないから、節約するために見つけたらしいんだけど。それはともかく、術式を書いてある方が良いと知った正人は、予め術式を札に書いておく御符術に目をつけたんだ」
正人が使っていた色の付いた札のことらしい。
「御符術は、基本的に一つの術式を書いて一つの妖術が発動するのが普通なんだけど、正人は複数の札を組み合わせることで術式を強化する新たな御符術を生み出した。そういう意味では天才だったし、そんな複雑な妖術を使いこなしていたから、相当な実力者だよ」
風真の語りが徐々に饒舌になっている気がした。
「でも、九音も凄かった。正人の弱点である妖力の低さを補完してて、痒い所に手が届く存在だったんだ」
「凄い妖怪なの。その九音は、今はどうしているの?」
今まで饒舌に話していた風真が言いよどむ。
「……九音は五年前の京都事変で死んだよ」
少しの間の後、口を開いた。
「京都事変がどんな事件だったかは知っているかい?」
「妖怪が京都を襲った事件だって耳にしているの」
「それは間違いないんだけど、実際はその裏には黒幕の呪術師組織があったんだ」
昨日、正人が話していた。
祓い屋には陰陽師、妖術師、呪術師がいる。その中でも呪術師は確か……。
「呪術師は、妖怪や妖術を悪用する犯罪者で、当時、蓬莱と夜烏はある呪術師組織を追い詰めるために、京都に潜伏していたんだ。その動きを察知していた呪術師たちによって、凶悪な妖怪が京都に放たれた。それによって起きたのが京都事変さ」
あのときは、夜烏も蓬莱もパニックになっていた、と話す。
「夜烏も蓬莱も呪術師たちの捕縛よりも、一般市民の保護を優先した。当時、十席だった正人はその戦場の最前線にいたんだ。そこで出会ってしまったんだよ、呪術師組織のリーダーの男にね」
十席や八咫烏は当時、最前線にそれぞれ散って戦闘しており、救援が来ることもできなかったらしい。
「その戦いでリーダーの男を倒すことには成功したけど、その結果、正人を庇って九音は死んだ」
「……それが、正人が妖術師を辞めた原因?」
「おそらくね。正人が言っていたわけじゃないから分からないけどね。正人にとって契約は九音と繋がっていた証なんだ。だから、誰とも契約しないよう、妖術師の道を断ったのかもしれない」
正人が契約の話を嫌がっていたのは、それが原因なのだろう。
「あの戦いでは、皆大なり小なり被害を受けた。蓬莱の十席の半数は京都事変で消えた。その後、十席だった正人が辞めたから、今の十席にいるほとんどが穴埋めのためにいれられたり過ぎないんだ。それについて思うことはあるけど、前を向くしかないんだ。正人だって前を向かなきゃいけないのに……」
拳を強く握りしめ、肩を震わせている風真の姿はどこか苦しそうだった。
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