一章 英雄と呼ばれし妖術師➆

「ふう、なんとか間に合った」

 フードを被った妖怪を振り切ってきた俺は、スーパーのタイムセールにギリギリ間に合った。

 安くなっていた卵とその他、一週間ぐらい過ごせるだけの食材を買ってきた。

 パンパンになった袋を見て少し買いすぎたようにも感じる。

 俺は、蓬莱に所属していた時に貯めたお金と家族の財産を相続したことで一生働かなくても良いようなお金を持っているが、だからといって無駄遣いはあまりしないようにしている。

「はあ、いつもの悪い癖だな」

 頭に浮かぶのは先ほどの妖怪だ。

 彼女の悲しげな表情を思い出すと、胸が締め付けられた。

 一つのことを考えると、周りが見えなくなることがある俺は、そのことを考えて、他のことに集中できていなかったようだった。

「俺の判断は間違っていないはずだ。気にする必要ないのに」

 自分に言い聞かせるようにそうつぶやいた。

 あの妖怪を追っているのは夜烏だ。

 昔、俺が蓬莱に所属していたときならば、まだ手を出せたかもしれないが、今は一人で戦う必要がある。流石に厳しい。

 いや、もし今も蓬莱に所属していたとしても、あいつを助けることはなかったかもしれない。

 今のあの妖怪が置かれている状況的に、蓬莱でも手が出しづらい。夜烏が妖怪一人相手に執拗に狙うなど普通は考えられない。

 夜烏は、何らかの確証を持って動いているはずだ。

 そんな夜烏に蓬莱が間に入れば、対立は必至だ。今の蓬莱には、夜烏に喧嘩を売るだけの余力がないため、そんなことはできないだろう。

 つまり、俺が動いた所で、どうしようもない事態だ。

「考え事をしても無駄だ。早く帰ろ」

 俺は、何も考えないようにしながら、歩き始めた。

 もう辺りはすっかり暗く、日はもう沈んでいた。

 街灯でわずかに照らされた道は、どこか薄暗く気味が悪かった。

 店が並ぶ大通りを抜け、あまり人気のない橋を渡っていた時だった。

 橋の下から炎が上がった。

「何だ⁉」

 橋の下を覗き込むと、先ほどのフードの妖怪を三人の黒装束の男、夜烏が囲んでいた。

 おそらくあの後、夜烏に見つかり追われてきたのだろう。

 所々、フードの妖怪には身体に複数の傷がある。

 対して、夜烏は三人共無傷だった。

「やっと追い詰めたぜ。お前を祓えば、八咫烏へ近づける。悪いが、一思いに死んでもらうぜ」

 掌に火の玉を出して追い詰めている一人の男がそう言った。

「追い詰めたのは、三人なんですから、手柄も三等分ですよ」

 眼鏡を掛けた男は、そう言って、フードの妖怪の背後を取り、退路を塞ぐ。

「何を言ってやがる。俺が足に傷をつけたから、逃げることができなくなったんだろうが。俺の手柄が一番だろうが!」

 刀を構えている男は、不満そうに怒鳴る。

 どうやら、三人は手柄をどうするかで揉めているらしい。

「馬鹿らしいな。敵の目の前で言い争いなんて。ここが戦場だったら、殺されてるぞ」

 妖怪相手に隙を与えるような真似をするなど言語道断だ。

 一瞬の隙が命に関わることになる。それが祓い屋の仕事だ。

 そのことを何も理解していない三人組に少し腹を立てる。

 それにしても、これだけの隙を与えても、あの妖怪は動かない。

 抵抗する力がないわけではないだろう。

 あいつは特級妖怪、四つに分類される妖怪のランクで一番高い妖怪だと、あいつの妖力から推察できる。

 であるにも関わらず、あいつは動かない。少し抵抗すれば、逃げられる筈だ。

 まともに戦えば、あの三人ではなく、フードの妖怪が勝つ。

 それなのにも関わらず、彼女は必死に守りに徹していた。

「なんで抵抗しない」

 彼女の行動に苛立ちを覚える。

 抵抗しないのは、恐らくあの三人を傷つけないためだろう。

 三人組は、それなりの実力者だ。

 あいつらから身を守ろうとすれば、傷つけることなく倒すことは不可能だろう。そして、少し人通りは減っているが、ここは市街地だ。全く関係ない人まで巻き込む可能性もある。

 だから、自分の身を守るのに徹しているのだと思う。

「馬鹿なのか、あいつは。相手は自分を殺そうとしているんだぞ」

 分かっていても、そう思わずにはいられなかった。

 自分が殺されかかっているのにも関わらず、他者を優先する。それが理解できない。

 誰しも、他人よりも自分のことの方が優先順位は高いはずだ。ましてや、知らない人のために命を張ろうだなんてやつは、ほとんどいない。

「九音みたいだ」

 呟いた言葉でようやく自分が何に苛立っていたのか気付いた。

 あいつは昔の相棒、九音に似ているのだ。自分よりも他者のために、自分を擲つことができるところが。

 ついに、あの三人組はフードの妖怪への攻撃を開始した。

 我慢するような小さな悲鳴が辺りに響き渡る。

「俺は……」

 学生鞄の中に手を伸ばす。そこには、昔使っていた妖術を発動するための札を入れたケースが付いたベルトが入っていた。

 もしも、妖怪とのトラブルに巻き込まれた時のために、非常用に持っていたものだ。

 これを手に取ってこの戦いに割り込めば、夜烏に一人で喧嘩を売ることを意味している。

 生半可な覚悟では割り込めない。

「俺は…………」

 どうする。迷いながら橋の下を見下ろす。

 フードの妖怪を見ると、一瞬目が合った気がした。

(……助けて)

 その目はそう言っているように感じた。

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