第3話
約30分後。
新町総合病院一階、外来総合受付前のカフェテリア。
既にカフェとしての営業時間は終えており、24時間営業のコンビニだけが開いている。そのコンビニのコーヒーが3つ並んだテーブル。
囲んでいるのは月院清時と、一組の壮年の夫婦だった。
夫人の方は、部屋着に上等なコートだけ引っ掛けてきた風の装いだが、ほっそりとして品がある。
夫の方は顔つきはいまだ精力の塊というような目鼻のしっかりした濃い顔で、服から髪型までぴっしりとした上等な生地のスーツを着込んでいる。
夫の背広の襟には県議会議員のバッジが光っている。
話が一区切りついたところだった。清時はコーヒーを一口ごくりと飲んだ。
砂糖もミルクも入れていない。やけどこそしないが猫舌ならもう少し冷ましたいだろうなというくらいの熱さだ。
早い、話し始めてまだ10分と経っていない。にも関わらず、既に物別れに終わりそうな気配を含んでいた。
「なるほど、あくまでも家庭の問題だと」
「まあ、そういうことですな」
本人の意思を尊重し、鬼籍者としての転化の準備に入るか、このまま薬物による強制的な安楽死を迎えるか。
その判断の根拠を詳しく聞こうとしたところで、この県議の父親は『家庭の問題だ』と言って説明を拒んだのである。
清時の経験上、まあ想定の範囲内ではあった。
何しろ相手は地元県政与党の4期議員、高槻紘一である。
しかも父の代から地盤を継いでおり、自分の息子も将来政界に入る事を想定して今は総務省に勤めている。
……少し、中央市と新町及び北新町という近県屈指の歓楽街を取り巻く政治事情にふれる。
まず、今の県政与党はコテコテの右派系保守だ。
日本海の対岸の国々を尽く仮想敵とし、新人議員の中には『鬼籍者は大陸からの侵略者』というデマに平気で乗っかり、その挙げ句にSNSで炎上して議員辞職したりしている。
知事選こそそうした流れに反発する保守穏健派と鬼籍者を含むマイノリティの人権を唱える左派の支持を得た無所属新人が当選し、県庁所在地の中央市の市長もこの支持を受けた人物が当選している。
もっとも、県知事と市長の当選には他に大きな利権が背後にある。
両者の公約にIR事業誘致と中央市新町及び北新町エリアを『鬼籍者人権特区』とする構想を掲げて当選したのである。
鬼籍者、というのは人間として生まれ、しかし吸血や人狼などの転化に伴い人間としての戸籍を失い、鬼籍という人外の戸籍に身を移した者のことを指す。
鬼籍者はいくつかの公民権が制限されている。特に知られているのは、被選挙権の制限である。これは不老長寿という体質から特定の個人もしくは集団が世代交代をせず当選を続けることで権力の独占する可能性を排除するためだ。
この地域における利権というのは、中央市のIR誘致と、それに伴う夜の街としてのインバウンドを北新町へと導くことを企図した観光経済圏である。
その地域の経済基盤の変革の流れに抗っているのが、県政与党である。
その標語は『地域社会を吸血鬼から守ろう』である。
SNSではこの標語が鬼籍者差別にあたるとして批判する意見と、鬼籍者侵略者論を信奉する匿名支持者の賛辞で真っ二つに割れている。
……そんな状況下で、与党県議高槻紘一の長女、高槻雛南(ひなみ)は父の政治的立場の真反対の活動に積極的に参加していた。
そしてこの夜、中央市北新町の通称『どぶ板通り』という狭小飲食店が連なる界隈の立ち飲みバーにて吸血型鬼籍者、通称“血飲み”に襲われた。
そのまま外傷性転化を起こし、現在の雛南は安楽死か血飲みの鬼籍への転化かという分かれ目の床で昏睡状態にある。
このまま薬物による安楽死となれば、政治家高槻紘一としては、『娘を吸血鬼に殺された悲劇の父親』という鬼籍差別主義者の後押しを得る『看板』が手に入る。
だが一方で、本人が鬼籍への転化希望者だという事実が漏れれば、良くて家族と意思統一ができないだらしない政治家という悪評。最悪『娘を自分の政治信条及び利害のために殺した』という殺人容疑にも繋がりうる汚名に変わる。
清時はにこりとしてコーヒーに砂糖を2本入れ、木片のようなマドラーを回した。
「まあ、そう結論を急ぐ必要はないでしょう。少なくとも24時間は遺体を火葬にすることもできませんし、吸血転化として覚醒するにしても加害者の血液をカテーテルなり口からなりで摂取させる必要があります」
夫人の方は、うつむいてこくりとうなずいた。
「そう。どっちにしても、まだ決めるのは早いと、私も思う」
「お前まで何を言うんだ。任せろと言っただろう」
「けど、あの子が血飲みの人を助ける活動にどれだけ真剣だったか、私は見てるもの!」
「いいから、お前は黙っていなさい」
そう強く言われて、夫人は耐えられないというように席を立って、どこかへ行ってしまう。
「さて、奥様の気分が落ち着かれるまで、うちの血統、520人分の投票先の話でもしますか?」
「たかだか500人で私が釣れると思っているのか」
「いいえ、ただ、これは雛南さんのお考えに関する話でもあります」
「どういうことだ」
清時はすまし顔でコーヒーを一口すする。ほっとした顔で、昔話でもするように遠い目をした。
「そう……望月市の市長選の可能性の話です。国会の桃山派の推薦がなければ、4期目の県議選出馬はせず、地元の望月市の市長選に立候補される予定だったとか」
「そんなことを娘から聞き出したのか」
「いえ、今話したことは雛南さんから伺った話ではありません。我々、月院の血統と災害時に避難先提携のある暮葉の血統の上役から聞いた話です」
これに高槻議員はぎょっと目を見開く。
「暮葉だと!」
「ええ、望月市は彼らの血統の
それを聞いて、なんとも言えない顔になる高槻。
暮葉の血統の組織規模は公表人数で300人強だ。それが半分でも選挙活動に参加となれば、活動時間が夜に限られても市長選であればそれなりの戦力になる。
選挙活動はとにかく人手がいる。特に無報酬で動員となる選挙運動員を安定して確保できるかどうかは非常に大きい。
「……雛南さんと私が話したのは、我々がやっている中央市での炊き出しと供血配布を望月市でも展開するという将来の展望の話です。我々が直接介入した場合、血統としては他所のシマを荒らす形になりますので、地元の政治家ないし、彼女のようなボランティア活動に熱心な若者の自発的な行動に頼らざるを得ません」
そこまで話したところで、清時の懐で携帯電話が鳴る。
「まあ、まだ加害者も確保できていないことですし、どうかじっくりお考えください。ちょっと失礼」
そう言って清時は席を立ち、少し離れようと1歩2歩と歩んだ。
「待て」
「はい?」
高槻議員に呼び止められて、振り向く。
「今の話、確かなのか」
「ええ、私の名刺の裏に暮葉の血統頭首の携帯電話の番号でも書きましょうか?」
そうまで言われて、壮年の男は黙った。
「では、少し失礼します。コーヒー、どうぞ飲んでください」
にこやかにそう言って、電話の受信を触れながら足早に距離を取る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます