02

 翌朝、カーテン越しの朝日が瞼に当たって目が覚めた。よく覚えていないけれど、ずっと昨夜出会った白い女の夢を見ていたような気がした。それと同時に、彼女が「葉子ようこさん」と母の名前を呼んだ(と思う)ことが気になり始めた。

 寝不足気味なのか、起き上がると頭の芯が微妙に痛んだ。リビングでは祖父母がまだ持ち込んだ布団で眠っていて、キッチンからは伯母だろう、朝食の支度らしき音がする。手伝わないとなぁと思いつつまだ眠気の抜けない頭で、(母とあの女にはどんな関係があるんだろう)と考えた。

 そういえば母は、一昨日の夜に妙な行動をとっていた――ようやくそのことを思い出した。真夜中に窓を細く開け、何かぼそぼそと呟いていた母の黒い影のような姿を、わたしは今の今まで忘れていたのだ。あのとき、母はあの女と何か話したんじゃないだろうか? 悔しい。こんなことすぐに思い出したってよかったのに、気づくのが遅すぎる。

「実花子ちゃん、起きたの?」

 キッチンから伯母が顔を出した。「朝だけど、トーストとご飯どっちに……ねぇちょっと、どうしちゃったの?」

 伯母が怪訝な顔でこちらを見た。「ずいぶん怖い顔してるわよ」

 そう言われて初めて、自分が歯を食いしばっていることと、眉をしかめて眉間にしわを寄せていることに気づいた。母が戻ってこないことと、夜中にやってきた白い女がいよいよ深く結びついたとき、湧き上がってきたのは怒りに近い感情だった。やっぱりあの女が原因なんだ、と思い込んだ瞬間、目の奥が熱くなった。


 朝食の準備が整ってからも、わたしはまだ険しい顔をしていた。

「ねぇ実花子ちゃん、今日もうちでのんびりなさいよ」

 伯母が心配そうに話しかけてきた。

 祖母も伯母と似たような表情をしているし、祖父に至ってはもう怒ったときの顔をしている。伯父だけは半分呆れたような笑いを口の端に浮かべながら、「実花ちゃんは葉子に似てるさかい」と呟いた。

 伯父の言うとおりだ。じっとしているのはもう限界だった。あの母が父をずっと放っておけるはずがない。わたしだって家族を放っておけない。

 いてもたってもいられなくなって、急いで食事を終えて身支度を済ませた。誰かに止められるかもしれないと思ったけど、予想に反して皆わたしを遠巻きにしていた。

 たぶん、昨夜わたしが「外に誰か来ている」と言ったからだろう。逃げても無駄だということが、皆にもわかったのだ。

「お母さんを探してくる」

 支度を済ませると、わたしはそう宣言した。伯母が何か言いかけたけれど、伯父に止められてやめた。伯母さんには悪いな、と思った。文坂ふみさか家のことなんて全然ピンとこないだろうに、よく親身になって面倒をみてくれたものだ。その親切を無下にするようで悲しくなった。でも、やっぱりずっとここにはいられない。

「いつでも帰っといで」

 祖父が怒ったような顔のまま、そう言った。

「うん、ありがとう」

 わたしは三和土に立って、皆に深々と頭を下げた。


 逃げるように車に飛び乗って、そのまままっすぐ実家に向かった。

 父は実家にいるのだろうか。わたしが顔を出したら怒るかな。ハンドルを握りながらそんなことを考えた。母や兄、きよしくんたちはどうしただろう。相変わらず誰からも連絡はない。

 鍵を持っていないので、ひさしぶりに我が家のインターホンを鳴らした。少しして、玄関の戸を開けたのは父だった。父もどこか諦めたような顔をしていた。

「ごめんなさい。戻ってきちゃった。怒ってない?」

「やっぱりなぁ」父は少し笑った。「母さんも戻ってきたさかい、今更実花子に怒ってもなぁ」

「お母さん、離婚届出しに行くって言ってたけど」

 三和土で靴を脱ぎながら尋ねると、父は「おう、出してきたらしいわ」と答えた。

「それでどうしたの? 今はどこ?」

「すまん」

 父は意味もなくわたしに謝った。それから、普段使っていない客間に案内してくれた。

 六畳間には布団が一組敷かれ、誰かが横になっていた。それが母だと、すぐにはわからなかった。顔に白い布がかけられている。

「離婚届出しても、すぐ他人になんかなれんがや」

 父がぽつりと呟いた。

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