03

 当たり前だけど、「そうなっているかもしれない」と思うことと、実際にそうなってしまったことを目の当たりにしてしまうこととはやっぱり大違いだ。母はもう死んでいるかもしれない――そう予想して、ある程度は覚悟も決めていたつもりだったけれど、こうやってその証拠を見てしまうと、心の一部が死んでしまったような気持ちになった。

 これが冗談だったらいいのにと思ったけれど、父も母もこんなことをするような人ではない。それに、眠っている人と亡くなっている人の間には、やっぱり見てわかる歴然とした違いがあった。わたしは小学生のときに父方の祖父と祖母(父はこの家の養子なので、私の血縁上の祖父母ではないのだが)を亡くして、仏間に安置されているふたりを見ているけれど、そのときもそう感じたことを今、はっきりと思い出した。

 母は死んでしまった。

 顔は見られなかった。今朝がたの「とにかく行動するぞ」という気持ちがいっぺんに溶けてしまって、気がつくとわたしは客間の外の廊下にいた。覚えていないけど、たぶん自ら外に出たのだろう。そのまま手足に力が入らなくなって、ついその場に座り込んでしまった。すぐに「復讐しなければ」なんて切り替えることは、わたしにはできない。

「大丈夫か、実花子」

 父がわたしの隣にしゃがみこんで肩を叩いた。「大丈夫なわけないな。別の部屋行くか」

 わたしはうなずいて、父に従った。父までが取り乱していなくてよかった、と思うと同時に、こんなに落ち着いているなんてどういうことなの、と詰りたくなる気もした。そんなことをしたら滅茶苦茶になってしまうと思って、黙ったまま自分の爪先を見て歩いた。

 リビングに到着すると、父はわたしの顔を見据えて言った。

「母さんの葬式は、すまん、後回しにする」

 見たことがないほど険しくて、真剣な顔をしていた。

「時間が惜しいさかい。もし母さんの実家に任せるにしても色々せんにゃならんやろ。幸い冬や。客間は寒いし、少なくとも今日明日はほっとくことにする。母さんもわかってくれるやろ」

 赤ベコみたいにうんうんとうなずきながら、わたしはキッチンとの境目の引き戸が気になって仕方なかった。今にもそこから母が顔を出して「あら、実花子も帰ってたの」なんて言いそうな気がした。

「――どうするの?」

 やっとのことで父に尋ねた。

「とりあえず聖くんたちを探すつもりや……でもなぁ。それでは済まんような気がするんや」

「どういうこと?」

「父さんはな、実花子。父さんだけじゃのうで皆そうやろうけど、本家の当主が若死にしたり、今こうやって人死にが出とるんは、夜中に山から来て家の周りをぐるぐる回るもののせいやと思ってた。でもなぁ、母さんは違うって言ってた」

「違うって?」

 ばかみたいにオウム返しした自分の声が裏返っている。脳裏にまたあのアルビノの女の姿が浮かんだ。わたしを見て泣きそうな顔をした白い髪と肌の女が、文坂の家に祟っているのではないとすれば、彼女は一体何者なんだろう?

「もしかして、お父さんもそう思うの?」

 父は少しためらってからうなずいた。すぐには信じられない。けど父がそう思うというなら、何かしら根拠があるのだろうと思った。

「ちゅうのも昔な――実花子、ちょっと座ろうか」

 父はリビングのソファを指さした。「話が長なるさかい」

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