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 近づくにつれて山の中にぽつんと現れた五輪塔は、晴の背丈よりも小さかった。表面は黒ずみ、刻まれた梵字も薄くなっていて、なかなか古いものらしいということはわかった。

 思っていたより地味だ。石をただ積み重ねたようなシンプルな形は、山の中にぽつんと置かれていてもそれほど違和感がない。墓というよりはケルンのようなものに似て見えた。特別不気味とか、異様な雰囲気を発しているとか、そういうこともない。おれが構え過ぎていたせいだろうか、なんだか拍子抜けだった。

 懐中電灯を点けて墓石を照らした。草を分けて下の方まで見たが、梵字以外は何も彫られていないようだ。ここで供養されている人も、この五輪塔を建てた人の名前もわからない。

 これが文坂サヨ? という人の墓なのだろうか? だとすれば、その人はこの石塔の下に埋まっているのか――と、今更のように思い出して急に怖くなり、後退りした。

 いつの間にか心臓の鼓動が速くなっている。一度ゆっくりと深呼吸をし、少し落ち着いたところでもう一度五輪塔を見た。やっぱり手がかりらしきものはない。急に幽霊が出てきたりなんかもしない。

 冬の風が吹いて、頭上の葉ががさがさと鳴った。寒い。「縦」によれば確か、昔は同じ場所にお堂だか小屋だかが建っていたんだっけ。山に追いやられた人はそこに住んでいたのだろうか。考えてみればとんでもない話だ。ろくな灯りも暖房器具も使えなかっただろう。こんなところで生活するなんてとてもじゃないけど無理だ。

 そういえば一応墓参りなのに、花束だの線香だの、それらしい持ち物をひとつも持ってこなかったことに気づいた。もっともこんな山の中では、火の点いた線香なんか危なくて供えることができない。仕方なくちょっと手をあわせ、普通に拝んじゃってよかったのかなと今更のように思った。

 とにかく、五輪塔があったことは確認できた。が、それだけだ。相変わらず情報は「縦」が教えてくれた範囲を出ない。

(せめて写真でも撮っておこうか)

 後々見返してみたら、何か手がかりになるかもしれない。ここまで来ておいて空手で帰るのは侘しい。暗いから上手く撮れないかもしれないが……などと考えながらスマートフォンを取り出すと、そこで初めて通知が表示されているのに気づいた。

 着信だ。電話をかけてきたのは晴ではない。志朗さんからだった。二時間ほど前、たぶんおれが仏間で眠っている間だ。全然スマホを見ていなかったから、今の今まで気づかなかった。

 一体何の用だ? 急いでかけ直した。意味もなく電話をかけてくるとは思えない。何か大事な話があったんじゃないだろうか。

 何度かコール音が鳴ってから、『もしもし』と声が聞こえた。志朗さんの声ではなかった。黒木さんだ。

『――もしもし、志朗の携帯です。どちら様でしょうか?』

 おれが戸惑っていると、黒木さんがもう一度話しかけてきた。おれは慌てて返事をした。

「もしもし、文坂聖です。着信があったのでかけ直しました」

『着信……いつ頃ですか?』

 二時間ほど前だと伝えると、黒木さんは『やっぱり文坂さんだったか』と呟いた。

「どういう用事だったんでしょうか?」

『すみません、わかりません。その――今聞けないんです。志朗が急に倒れまして』

 一際冷たい風が吹いた。黒木さんの声が続ける。

『たまたま病院だったので大丈夫です。いや、大丈夫ではないんですが生きてます。ただ意識がないので、文坂さんに何を伝えようとしていたのか、今聞くことはできません。文坂さん? 大丈夫ですか?』

 問いかけられても、すぐには声が出なかった。手の力が抜けて、スマートフォンを落とさないようにするのが精いっぱいだった。情報源が断たれたというだけではない絶望が、頭の中を満たし始めていた。

 おれたちはまた、他人を巻き込んでしまったのかもしれない。

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