12

『文坂さん、大丈夫ですか? もしもし?』

 受話器の向こうから黒木さんが話しかけてきた。『こっちのことは心配しないでください。何しろ倒れたのが総合病院の中ですから。とにかく――』

 と、また強い風が吹いた。頭上の葉がざわざわと揺れる。電話の向こうで黒木さんが『文坂さん、今どこですか?』と言った。

「今――外です。あの、うちの裏山に」と答えて、改めて自分がどこにいるのか思い出した。早く家に戻らないと。

『山? そろそろ暗くなるんじゃないですか? 一旦帰られた方がいいですよ』

 黒木さんは案外落ち着いている。冷静にそう言って『一緒にいる人も帰りたがってるみたいですし』と付け加えた。

「一緒?」

 辺りを見回した。誰もいない。五輪塔があるだけだ。

「――帰ります。あの、誰もいません。黒木さん」

 振り返って獣道を歩き始めた。墓に背を向けることになるのが怖かったが、この際そんなことは言っていられない。

『いませんか? あの、女性の……』

「いませんってば……おれ一人です」

『ああ』

 受話器の向こうから(納得した)みたいな声がした。黒木さん、体格はともかく普通の人だと思っていたのだが、志朗さんのところで働いているだけあって場慣れしている感じだ。おれよりもずっと落ち着いている。

『電話どうします? 繋いでおきましょうか? 一旦切ります?』

「えーと、繋いでてください!」

 必死に頼んでしまった。怖くて切れなかったのだ。


 険しい山じゃなくてよかった。スマートフォンを片手に持ったまま、来た時よりもずっと足早に山を下りた。山中を抜けた頃にはもう空は青く、ほとんど夜の色になりかけていた。

 木戸を開けて裏庭に戻ると、ようやく見慣れた場所に戻ってきた実感が湧いた。冬だというのに額から汗が流れ落ちている。家に戻ったら着替えた方がよさそうだ。

「今家の庭に着きました。すみません、ありがとうございました……」

『いえ、大丈夫です。ところで、志朗がお伝えしようとしてたことなんですが』

 そう言われて急に背筋が伸びた。「黒木さん、わかりますか!?」

『いや、電話してくるって一旦外の方に行かれてしまったので……ただ病院に着いたあたりから、文坂さんの案件に関して急に気にし始めたんですよね。なんか「読みにくいわりには情報がとれたのが気になる」って』

「はい? それ、いいことなんじゃないんですか?」

『それが、本人は気になったみたいで……あ、あとそれから「ぐるぐる回る」のも気にしてました』

「はい?」

 おれは歩きながらスマートフォンを耳に当て直した。

『真夜中になると、何かが山から来て本家の周りを回るんですよね? 志朗はそれが気になってきたみたいで、病院の待ち時間に「何で回るんじゃろうなぁ」なんてぶつぶつ言ってたんですが、そのうち何か思いついたみたいで電話持って待合室の外に出て、どこかにかけてるなと思ったら急にガクッと倒れたんです。こんなことしかわからなくて申し訳ないんですが、何か参考になればと思って』

「そうですか……ありがとうございます」

『いえ。ところで晴くんは?』

「家の中です」

『ならよかった。そういえば文坂さん、俺の連絡先知ってましたっけ?』

「えっと、電話番号わかります。こないだ車でついてったときに……」

 そう言いながら玄関の鍵を開け、中に入った。空気がふっと暖かくなる。その時黒木さんが『あっ。あと、これも志朗が言ってたんですが』と何か話し始めた。

『たぶん文坂さんの本家にとり憑いているものには善 の  がない た な  を』

「黒木さん? すみません、よく聞こえないんすけど」

『人 のき で  ん もの  ない、相手はた   んでい  ら の』

 急に電話が切れた。急いでかけ直しても繋がらない。

「きっちゃん? おかえりー」

 居間から顔を出した晴が「さむかった?」とおれに尋ねた。

「しろいよー、かお」

 そう言いながら玄関に歩いてくると、小さな手でおれの左手を取って「つめたっ」と呑気な声を上げた。

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