10
何も見ていないような顔をしてページを閉じたけれど、やっぱり動揺が出ていたかもしれない。何か言いたげな晴を居間に追いやり、時間を潰すために子供用のタブレットを点けてやった。
「何かあったらおれに電話しな。番号わかるか?」
「うん」
晴はおれのスマートフォンの電話番号をすらすらと暗唱した。何かあったときのために、日頃から覚えさせておいてよかったと思った。
ノートのことは気になったけれど、家でぐずぐずしている暇はない。納戸から懐中電灯を持ち出し、ダウンジャケットを引っかけて外に出た。裏山は幸いスニーカーでも登れるようなところで、たぶんおかしな曰くさえなければ、子供の頃は遊び場にしただろう。もっとも、山の奥はどうなっているかわからない。
家の裏手に回ると、庭の周りをぐるりと囲む垣根の途中に小さな門があり、その向こうに目を凝らしてみると、少し先に獣道らしきものをあっさり見つけることができた。「ある」と思って探さなければ気づかなかっただろうが、一度見つけてしまえばあとは辿るだけだ。草が倒れ土がならされている細長い道は、まるで何かが這って通った痕のようで寒気がした。が、ためらっている場合ではない。
おれは獣道をたどって山に入っていった。木の枝が頭上を覆い、まるで大きな屋根の下に入ったかのように周囲が薄暗くなる。木々の間に誰かが立っているような気がして気味が悪く、なるべく足元だけを見て進むようにした。辺りをきょろきょろしなくても、この道を辿っていけば墓に到着するはずだ。
歩きながら考え事をした。
(文坂サヨ、両足首がない女、小さな子供、こどもごろし――子供殺し)
仮に文坂サヨという人が、子供を殺した報いで両足首を切られて山に追放されたのだとして――そういうことを考えるだけで気が重くなる――そうすると今度は、昭叔父が言っていたことが気にかかってくる。
(哲さんは人を殺すような人じゃなかった)
(でもおサヨさんが気の毒で仕方なかったから)
たとえ重い罰を受けていたとはいえ、幼い子供を殺した人間をそんな風にかばうものだろうか? 彼女には何かどうしようもない事情があったのだろうか? それともあれはやっぱり、ただの夢だったのだろうか。
(駄目だ、わかんねぇや)
いつの間にかおれは、志朗さんにもう一度「縦」をやってもらうにはいくらかかるだろう、と考え始めていた。あの事務所ではなく、この本家か、あるいは山の中にあるという墓に来てもらって――いや、なんだかいくら出しても来てくれなさそうだ。今回だって「手のつけようがわからない」といって一度降りた案件を、無理やり引き受けてもらっただけなのだから。
そういえば志朗さん、ちゃんと病院には行っただろうか? 相当面倒がっていたし、それもわからなくはないけど、でもちゃんと医師に診てもらった方がいいだろうに。
「ほんと説明が面倒なんだよなぁ。去年の冬も大概だったし……」
あの事務所を出る前、志朗さんがそんなことを話していたのを覚えている。
「ああ、そういえば去年でしたね」と黒木さんがうなずいた。「そうそう」と志朗さんが言う。「あのとき左手の指と肘全部折れてたもんね。腹も刺されたし」
予想外に大怪我だったのでおれは驚いた。志朗さんはおれの表情が見えているみたいに「あれから左だけ握力下がっちゃってね」と言って苦笑いした。
「ていうか刺されたって何ですか? やばくないすか? 事故とかじゃなくて、生身の人間にやられたってことっすよね?」
「実行犯は人間だけど、あれはちゃんとオバケ案件ですよ」
ちゃんとというのもおかしいけど、と志朗さんが付け加える。
「はぁ……?」
「だから仕事! プライベートで刺されたわけじゃないから! そこ大事だから!」
やたら強調するので(プライベートで刺されるような身に覚えがあるのだろうか)と逆に疑わしくなったのだが、それはさておき、どうしてそんな大怪我をするに至ったのか、第三者に納得してもらうような説明をするのにかなり苦労したようだ。その下地があるから病院に行くのは気が進まないらしい。とはいえ、やっぱりちゃんと検査や治療を受けた方がいいことには変わりないと思う。
黒木さんが連れて行ってくれるだろうから大丈夫かな――などと考えているうちに少しだけ気が楽になった。たった一晩だけど、あの事務所にお世話になっていたときが、もしかするとここ半月ほどで一番安心できていた時間だったかもしれない。
そんなことを考えているうちに、程々奥に進んでいたらしい。やがて額に浮かんできた汗を手の甲で拭きながら前を見ると、道の先になにか人工物が見えた。
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