07

 転がるように庭に飛び出した。心臓がバクバク鳴っている。車の傍までたどり着くと、おれはようやく今出てきたばかりの家を見上げた。

 見た限り窓は閉まっている。よかった、と胸を撫で下ろした。もう一度閉めに戻る勇気はない。

「きっちゃん、かえろうよ」

 晴が急かす。おれも同感だ。とにかくここから出た方がいい。鍵を開けると、急いで車に乗り込んで発進した。

 何も考えず、とりあえず本家に逃げ帰った。道中、ハンドルを握りながらずっと分家のことを考えていた。あの家に何かがいたとしたら、それは誰だ? 山から来るものか? それともあの家に住んでいた、文坂の分家の人たちだろうか?

(もしも分家の人たちだとしたら)

 ハンドルを握ったまま考えた。おれたちが本家から逃げ出さなければこんなことにならなかったと、もし彼らが知っていたとしたら――恨むだろう。おれたちのことを。

 本家の庭に着いてからも、少しの間動けなかった。そりゃ恨まれているだろう。当たり前だ。もしも同じ目に遭ったら、おれだって原因を作ったやつを恨むだろう。「こんなことになるなんて知らなかった」と言われたって、納得できるわけがない。

「きっちゃん」

 晴が後部座席から声をかけてくる。もう怖がっている様子はない。せめて晴が無事でよかったと思う。まだ今までの晴のままだ。昔の兄のようにはなっていない。この半月あまり逃げ回ったことに、まったく意味がなかったと思いたくない。

「きっちゃん、もううちにいようよ」

 晴が言った。

 迷った。本当なら山に行ってみたかったのだ。本家の裏手、歩いていける距離だけど、一度も入ったことがない。大人たちに止められていたし、そもそも夜中にやってきて家の周りをぐるぐる回るものが潜んでいるところなんて、行きたいとも思わなかった。

(でも、山の中には墓があるはずだ。たぶん獣道があって、そこを辿っていったところに)

 自分の目で確かめて何になるのか、それはおれにもわからない。ただ、それもまた「縦」に引っかかったものである以上、何か関係があるはずだった。

 でも、晴を一人にしたくない。分家でああいうことがあった以上、真夜中でなくても一人にならない方がいい気がする。危険を冒してまで山中を確認しにいって、得るものがあるかどうか。

 結局、ひとまず晴と一緒に家にいることに決めた。晴は家の中に入ると、さっそく「自分の部屋」と決めた兄の部屋に私物を運び始める。こちらに移動して安心したのか、もう不安そうな様子は見られない。が、状況は何もよくなっていない。まだ何の手も打てていないのだ。

 おれはひとまず自分の部屋に戻った。畳まれたままの布団の上に、さっき兄の部屋で書いたノートが放り出してある。ここに書かれた切れ切れの情報をどう解釈するか、それはおれ次第だ。志朗さんはそう言っていた。

 ノートを拾って、ページを開いた。自分で書いたメモを辿っていく。

「獣道を辿っていった先に墓がある(五輪塔)女性、文坂サヨ? という名前 おそらく二十代」

 その記述で目が止まった。

(墓があるんだと志朗さんは言ってた。墓だ。祠とか社とかじゃなくて墓)

 つまり化物を鎮めるためのものじゃなくて、死んだ人間を弔うためのものだ。

 おれは仏間に向かった。

 本家の仏壇にも過去帳が置かれている。改めて見ると、かなり年季が入っているようだ。

(二十代で亡くなった、サヨかそれに近い名前の二十代の女性……そう何人もいないはずだ。過去帳に載っているかもしれない。名前と享年が書いてある)

 そう思って、最初から最後までページを繰った。記されている一番古い没年はどうやら文政で、でもおそらくそこまで古くはないという。ただ、文坂哲よりはずっと昔のひとだ。だから彼より情報がはっきりしない。

 ノートをちらちら見ながら、おれは過去帳を最初から最後まで確認した。が、該当する人物の記録はなかった。

 一瞬困惑したが、よく考えれば当然のことだった。ここまで徹底して伏せられていた人物の名前が、誰でも手に取れる過去帳に書かれているわけがない。昔、文坂家にこの人物がいたということは、おそらく「縦」でなければたどり着けなかった情報なのだ。

 おれはもう一度ノートに目を落とした。そこに視線が吸い込まれるように、ノートの文字が目に入る。「おそらく二十代」と記した下の短い一文。自分の字なのに、このときはそれがやけに禍々しく見えた。これだ。この一文をどう解釈するのか。


「両足首がない」

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