よくないものは

01

 天気はよく道は空いていて、何かに守られているような帰路だった。想定していたよりも一時間近く早い時間に、おれたちは文坂ふみさかの本家へとたどりついた。

 家を出てから何日経ったのか考えてみた。まだ一ヶ月も経っていないはずだ。それでもこの敷地に最後に入ったのがすごく昔のことのように思えた。

 高い塀と大きなマツやモチノキのせいか、無駄に広い庭は敷地の外より一段階暗い。定位置に車を停め、ナップザックの底から鍵を出した。玄関の古い引き戸はやけに大きな音を立てて開いた。

「においするねー」

 ぴょんと中に飛び込んで、はるが言った。「よそのいえみたい」

 確かにしばらく入っていないと、家のにおいは変わるなと思った。こんなに長い間家を空けたのは初めてだった。

 それでも心配していたほど荒れてはいない。埃っぽくはないし、水道も普通に使える。冷蔵庫の中は――出るときちゃんとチェックしていなかった。ちょっと怖い。後にしよう。

「きっちゃん! おてがみきてた!」

 一旦外に出て郵便受けの中身を見てきた晴が、食卓の上にばさっと郵便物を置いていった。チラシの類が多いが、捨てたらまずそうな封書も混じっている。大雑把に分けている間に、晴は大はしゃぎで自分の部屋に向かった。旅に持っていかなかった玩具の起動音が、廊下にまで聞こえてきた。

 荷物をとりあえず自室に放り込むと、おれは兄の部屋に行って白紙の多いノートを一冊失敬してきた。その際本棚の本の間から、おそらく兄本人も忘れていただろう写真が出てきた。

 いつだったかの正月に、家の前で誰かが――たぶんあきら叔父あたりが撮ったものだろう。兄のほか、おれと分家の実花みかちゃんが写りこんでいた。赤いダッフルコートを着た実花ちゃんはカメラを見て笑っている。ずんと胃の奥が重くなる。

 おれは一体何のために逃げ回っていたんだろう。

 結局、問題を完全に解決してくれる霊能者に出会うことはなかった。それどころかおれたちがいない間に、分家が全滅したという。分家だけじゃない。阿久津あくつさんも、リストに載っていた霊能者の人たちも命を落としている。

 考え事がどんどん大きくなって、潰れそうになってしまう。やるべきことをやらなければ。

 おれは兄の机を借りてノートを開き、ペン立てから黒いボールペンを一本とった。これくらい兄にも許してもらえるだろう。兄はもうこの部屋を使うことはないのだから。

 スマートフォンに録音した志朗しろうさんの「縦」の結果を再生すると、おれはそれをノートに書き写し始めた。録音だけでは探したい箇所を探すのに不便だ。文字で書いておいた方がいい。

 気が滅入りそうになりながら、おれはペンを動かした。どうしてこんなことをしたんだろうと思いながら、でもそれを恨みに思ったって仕方がない。なるべく心を無にして取り組むことにした。

 志朗さんは、「縦」で読んだことは誰にも言わないし、忘れることにすると約束してくれた。(一応ボクのようなものにも守秘義務はあるからね)と言っていたのを覚えている。そうしてもらえるなら、正直ありがたいと思った。

 どうして文坂家にあれの詳細がほとんど伝わっていないのか。危険なものと知りつつ、なぜあえて隠蔽して語り継がないことを選んだのか、今ならわかる。

 そのことが情けない、とも思う。

 だからありがたい。この家のことも、おれたちのことも、忘れてもらった方がいい。

 音声データ自体は十分もない。それに、志朗さんの声はかなり聞き取りやすい方だ。それでも内容を書き起こすのは思ったより時間がかかった。同じところを何度も聞き直しては内容を確認したりして、ちゃんとしたものができたと思ったときには正午を過ぎていた。昼食の支度をしなければ――というか、食料品を買ってくるのを忘れていたなと思ったとき、廊下の方からばたばたと音が聞こえ始めた。

「きっちゃん! こんなとこにいた!」

 晴が襖を開けて顔を覗かせた。

「ごめん晴、飯買いにいこうか」

 おれが立ち上がりかけたとき、チャイムが鳴った。

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