17

 ナップザックの底から札束を三つ出してテーブルに置いた。志朗さんは帯封の辺りを擦って「はい確かに」と言い、三百万を無造作に重ねて持った。

「そういえば印紙あったかな……ちょっと待ってね」

 志朗さんはソファから立ち上がり、ドアを開きかけて手を止めた。

「で、聖くんはこれからどうするの?」

「……本家に帰ろうかなと」

 おれはそう答えた。

「その後はまだ、わかんないですけど」

「そうかぁ」

 感心とも落胆ともとれない声で言って、志朗さんは部屋を出て行った。

 少しソファに座ってぼーっとした。志朗さんが「縦」をやって教えてくれたことは、全部おれのスマートフォンに入っている。有用なものかはわからない。どう繋げ、どう判断したらいいのか決めかねていた。山からやってくるもの、本家の長男が脈々と早死にし続けてきたこと、分家のこと――

 座っているとどんどん要らないことばかり考えて、暗くなりそうだった。おれも応接室を出ることにした。どっちみち、晴に行く先を伝えなければ。

 案の定、晴は喜んだ。元々家に帰りたがっていたのだ。何かしらあの家に引かれるものがあるに違いない――そのことを思うと気持ちが沈んだ。

(晴に普通の人生を歩ませてやりたい。でもそれはおれの――おれとねえさんのエゴかもしれない)

 兄のように、最短速度で結婚して父親になって、七歳になった子供を残して死ぬのが、晴のような運命に生まれついた人間にとって一番幸せな生き方なのだとしたら。

「大丈夫なんですか? 戻ったりして」

 黒木さんが、なにか書面を作りながらおれに言った。背中には案の定晴がくっついている。

「大丈夫かはわかんないですけど、逃げててもキリがないので」

 実際、住処を転々として逃げ続けるわけにもいかないだろう。晴に普通の人生を歩ませてやりたいと思うなら、ちゃんと家に帰って、学校に通わせたり友達と遊ばせたりしなきゃならない。兄が死んだ後始末だってちゃんとは終わっていないだろう。今、本家はどうなっているんだろうか。分家も無人になってしまったんだろうか。せめて墓参りくらいは行った方がいいだろうか。おれになんか来てほしくないかもしれないが――何にせよ戻らなければ。

「ほら晴、帰る支度しな。黒木さん忙しそうだし」

「もうかえるの? わかったー」

 黒木さんに床に下ろしてもらって、晴は荷物をまとめに応接室に戻る。おれも後を追った。忘れ物がないかちゃんと確かめてやらなければ。もう一度ここを訪れることなんて、たぶんないだろう。

 おれたちが荷造りをしている間、クローゼットはずっと静かだった。


 荷物をまとめて車に乗せ、志朗さんと黒木さんに礼を言ってさっさと出発した。晴は名残惜しそうだし、おれもここを出るのが不安だったけど、グズグズしていると出かけたくなくなってしまう。阿久津さんのことも気になったが、おれにはどうしようもないので志朗さんに任せることになった。物を壊さなくなったのでぼちぼち祓っていくそうだ。

「シロさん、びょういんいきな! おとなだからね!」

「はーい」

 などと話しながら、マンションのオートロックの前で二人と別れた。

 市内を二十分も走らないうちに、高速道路の入口が見えてきた。晴は後部座席のジュニアシートに座って、嬉しそうにニコニコしている。

「きっちゃん、お父さんさぁ、お山にいったんだよね?」

「うん」

「おうちからっぽかな」

「そうだね」

 晴は相変わらず屈託がない。一体何を考えているんだろう。わかりようがない。結局人間はみんな一人ぼっちで、誰とも繋がっていない。

「――みんなお山かなぁ」

 突然、晴がそう言った。

 腹の底が冷たくなった。みんな、と言われて思い出したのは、叔父や叔母、いとこたちのことだった。分家に起きたことは、晴にはまだ告げていない。知らないはずだ。

「みんなって?」

 そう尋ねたおれの声が震えていた。バックミラー越しに、晴がにっと笑ったのが見えた。

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