03

 まだ体が震えていたし、気分はめちゃくちゃ悪かったけれど、おれはこれからどうするのか決めなければならなかった。ねえさんがいたら、とか考えている場合ではない。

 とりあえず志朗さんに電話をかけ直した。出ない。何か用事があるのか、出ることができない状態なのか。またしても安否の心配な人が出てきてしまって、頭をかきむしりたくなった。

「きっちゃん、あくつちゃんは?」

 スマートフォンの画面をぼんやり眺めているおれの服を、晴が引っ張った。晴はまだ、この上で阿久津さんが首を吊って揺れていることを知らない。知らないままでいてほしいと思った。というか、どうやって晴にこの状況を説明すべきかわからない。

(ねえさんだったらどうするんだろう)

 どうしても、意味のないことを考えてしまう。母が生きてたらよかったのにとか、誰か事情がわかりそうな人に聞いてみようかとか、とにかく誰かに寄りかかりたくて仕方がなかった。

 一番頼れそうなのは――文坂の分家だ、と思う。

 でも、今更連絡なんかとれるわけがない。分家の人たちは、晴やおれの意見を無視して本家に連れ戻そうとするかもしれない。そうでなくても、ただでさえ兄のことでものすごい迷惑をかけているはずなのに、この上「居候させてもらってた家の人が死んでるけどどうしよう」なんて相談できるわけがない。

 それに、もしもおれたちを助けにきた誰かが「お山に怒られる」ことになったら――と考えると、怖ろしくていたたまれなかった。

 家を出て早々に分家の電話番号は着信拒否したし、いとこの実花みかちゃんや樹生いつきくん、あらたなんかと繋がっているメッセージアプリは削除してしまった。やっぱり誰にも頼れない。おれがなんとかしなければ。

「晴、阿久津さんにはあとで言うから、急いで荷物まとめてここを出よう」

 おれがそう言うと、晴は目をぱちぱちさせて困ったような顔をした。

「なんで?」

「その……ここにいたら、阿久津さんがほんとにお山に怒られちゃうかもしれないから」

「ふーん」

 晴は納得したのかしていないのかわからないような顔をしつつ、これまでやってきた流れで「とにかく移動すべきらしい」と理解してくれたようだ。さっそく、少ない持ち物をまとめ始めた。

 おれも忘れ物がないように荷造りを始めた。幸いほとんどこの部屋にいたから、持ち物も大抵はここにある。

 まだ乾き方が甘い洗濯物をキャリーケースに詰めながら考えた。阿久津さんはどうして死んだのだろう? 彼女の死に方は「お山に怒られた」のとは違う感じがした。今は夜ではないし、あんなふうに自殺したケースを少なくともおれは知らない。何が起こっているんだ?

「ねぇねぇ、きっちゃん」

 突然、晴がおれに声をかけてきた。

「はるさぁ、もうおうちにかえるの?」

 本家のことだろう。その途端、急に胸が締め付けられるような感じがした。あれだけ厭で、こんな家に生まれなければよかったのにと願ったところだったのに、それでも「おうちにかえる」という言葉の響きは、一瞬信じられないほど甘やかだった。


 警察に通報するか、しないか。頭が痛くなるほど迷った。

 常識で考えたら当然通報すべきだ。二階には阿久津さんの首吊り死体がぶら下がっている。完全に警察に頼るべき事件だと思うし、その場合、普通はこの家に残って警官の到着を待つべきだ、とも思う。

 でも、そうすることによって起こるかもしれない色々なことを想像すると、素直にそうするわけにはいかなかった。

 時計を見るとすでに四時を回っている。窓の外、空はすでに夕方の色に変わっており、このままでは遠からず夜になる。

 夜が更けたら、がやってくるかもしれない。

 もしも死体の第一発見者になったら、おれたちはどこで夜を越すことになるだろう? 警察署か? この家か? 現場検証とかが始まったら、深夜になっても何人ものひとがここを出入りするんじゃないか? もしも無関係の人物がおれたちの元にやってきた何かと出くわしたとしたら、一体どうなる?

 想像できなかった。なにせ、そういうことになったことがないのだ。夜遅くになってから本家の周りをうろつくような人間は、地元にはいなかったから。

 結局、阿久津さんの家を出た後で、どこかの公衆電話から通報しようと決めた。荷物を車に詰め込み、ジュニアシートに晴を乗せてエンジンをかけた。

 ホラー映画みたいにエンストしたらどうしよう、などと考えたが、幸い車はなんの問題もなく発進した。

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