04
でたらめに車を走らせるうち、住宅地の中にある公園の中にようやく電話ボックスを見つけた。
110番を押し、阿久津さんの家の住所やら「とにかく住人が自殺してる」という旨やらをしどろもどろになりつつ繰り返した気がするが、混乱していて記憶が定かではない。不審そうな相手に「とにかく見に行ってほしい」と告げて電話を切り、こんな通報ならしないほうがマシだったんじゃないかと思いながら、すぐ近くの路肩に停めておいた車に戻った。
シートに座った途端、急に体中から力が抜けた。ハンドルを無理やり握ろうとすると手が震えた。
「きっちゃん?」
おれの様子が見るからにおかしかったのだろう。後部座席から聞こえた晴の声は不安げだった。
「ごめん晴、ちょっと休ませて……」
おれは一旦発進を諦め、ハンドルの上で指を組んだ両手の上に額を載せた。このままでは絶対に事故を起こしてしまうと思った。なんとか普段の自分に戻らなければ。
「きっちゃん、だいじょうぶ?」
「うん……」
そう、おれは大丈夫だ。どこか怪我したわけでもなければ病気になったわけでもない。なのにこんなところで動けなくなるなんて情けないじゃないか。
そう思っているのに体はてんで動かない。
もう五時を過ぎている。日が沈んで、すぐに夜になるだろう。移動したから一晩くらいはごまかせるか? でも今からどこに行く? ウィークリーマンションの契約期間はまだ残っているはずだ。でもあそこはすでに見つかっている。夜が更けるまで距離を稼ぐか? うっかり窓を塞ぐもののない車中であれに追いつかれたら?
焦燥感で頭がどうにかなりそうだった。そのとき、晴が後部座席でぽつりと、
「きっちゃん、おうちにかえろ?」
と言った。
「駄目だよ、晴」
「なんで? お山がこわいから?」
「……そうだよ」
「だいじょうぶだよ。お山、こわくないよ」
それは何ていうか、そこら辺にポイッと無造作に投げ出したみたいな言葉だった。でもなぜかそれに頭をぶん殴られたような気がして、おれは思わず顔を上げた。
「お山が怖くない」なんて、きっとおれのために吐いた嘘だろう。でも考えてしまう。どこにも行けないのなら、あそこに戻ったって同じだ――
言われてみれば、確かに兄自身はちっとも怖がっていなかった。むしろあの山と山からくるものに対して、親しみを抱いているようにすら見えた。晴が兄のようになることを一番嫌がっていたねえさんだってもういない。でも。
「駄目だよ晴、怖いんだ」
おれはそう答えて、また俯いてしまった。
怖がっているのはおれだ。何の手立ても見つけられずすごすごとあの家に戻り、晴があの人間味の消えた顔と態度でもって、すごいスピードで人生を消化し始めるのを、たぶん同じ屋根の下で見ることになる。それにおれは耐えられるだろうか?
考えれば考えるほど、頭の中がめちゃくちゃになっていく。
じっとして動けないままに時間が過ぎた。車窓の向こうに見える空は、着実に夜の色へと変わっていく。早くなんとかしなければ――そのとき、晴が窓の外を見て「あっ」と声を上げた。おれもつられてそっちを見た。
見覚えのある人影が、こちらに足早に近づいてきていた。一度しか会っていないが、あれくらい大柄で、しかも顔が恐い人はなかなかいない。
志朗さんの事務所にいた、ボディーガードっぽい男性だ。
「きっちゃん! あのひと見たことあるよね!?」
晴はなぜか妙に喜んでいる。
大柄な人はこちらに近づいてくると、運転席の窓ガラスをコンコンと叩いた。おれは窓を開けた。藁にもすがる思いだった。
「文坂さんですよね? 俺のこと覚えてます? 志朗のところにいた者です。
見た目よりもずっと優しそうな声で、黒木さんはそう言った。
こんなこと自分でもおかしいと思うけど、なんだか物凄くひさしぶりに普通の人間に出会ったような気がした。ちょっと泣きそうになった。
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