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 その後本家全体をぐるりと回ったが、志朗さんの「自分にできることはないと思う」という意見は変わらなかった。まだまだ空は明るかったが、わたしたちは結局早々に外に出て、元の家へと戻った。

 車からわたしと父を降ろすと、志朗さんたちはもう帰るという。

「本当に本家の子らを探すしかないんでしょうか」

 父が尋ねると、

「それが一番確実じゃないかと思います」

 と志朗さんは言った。その声がひどく掠れている。本家に行く前ははっきりした明るいトーンの声だったのに、まるで別人のようだった。

 父は眉をしかめていたが、「わかりました」と答えた。

「いつかこうなるて思うとりました。自分の代に来てしもたのが残念や」

「お役に立てなくて申し訳ありません」

「志朗さんに怒っても仕方ないわ。早う帰ってください。やらんならんことが山積みやさかい」

 そう言うとくるりと踵を返し、お礼も何も言わずに家に向かう。父にしては珍しく態度が悪いと驚いていると、父は玄関先で一度振り向き、「実花子、おいで」と大きな声でわたしを呼んだ。そのとき、なぜかわからないけれど胸がぎゅっと痛んだ。

 慌てて父のところに行く直前、一度だけ道路の方を振り返った。いつの間にかミニバンは走り出し、その後ろ姿はどんどん小さくなっていった。


 家に入ると、玄関に見覚えのある靴があった。上京しているはずの兄のものだ。

「おお、樹生いつき帰っとったんか」

 父の声が聞こえたらしい。居間の入り口が開いて、ひさしぶりに見る兄が顔を出した。

「予定詰めて何とか来たわ。父さん、本家の方大丈夫か?」

「大丈夫やない。おい、母さん」

 父はキッチンにいた母を呼ぶと、突然こう言った。「離婚しよう。樹生と実花子連れて出てってくれ」

「は?」

 わたしと兄は異口同音に言った。母は父の顔をじっと見つめると、冗談かと思ったのだろうか、ふっと軽く笑った。

「連れて出てけって言ってもねぇ、樹生も実花子ももう大人よ。親権も何もないわ」

「法的なことなんかバケモンにわかるもんかね。ここでおれが追い出しゃそういうことになるさかい。いいか、お前たちはもう文坂を名乗るな。日があるうちに出ていけ」

 母は途端に真面目な顔つきになった。わたしは慌てて口を挟んだ。

「ちょっと、急にそんなこと言われたって困るよ……ねぇお父さん、ほんと何言ってんの?」

 父がおかしくなったのだと思った。母もさぞ困惑しているだろうと思った。でも母は何でもわかっているという風にうなずいて、「わかりました」と答えた。

「出て行きます。あたしたちはもう文坂の人間じゃない。他人です」

「そうしてくれ。離婚届は書いてあんたの実家に送るさかい」

 父はそう言うと声を詰まらせ、どすどすと焦ったように居間を出て行った。母は押し黙って祈るように両手を組み合わせていたが、意を決したようにわたしの方を振り向いた。

「実花子、必要なものだけすぐにまとめておいで。日が暮れる前にこんな家出て行くから」

 それからわたしと同じように固まっている兄の方を向き、「樹生もさっさと東京に戻りな。どうしても要るものがあったら今持ってくようにして」と言い捨てた。

 兄はじっと唇を噛んでいたが、ようやくうなずいた。

「……なんとなくわかった。了解。オレになんかありそうやったら言うわ」

「そうね。もし駄目そうやったら、凛子りんこちゃんとは別れなさい」

 母は兄の彼女の名前を出してそう言った。二回ほど家に来て、もうほとんど婚約者みたいな扱いになっているひとだ。

「わかった」

 兄はもう一度、深くうなずいた。

 本だけいくつか持ってく、と言って兄は自室の方に消えた。母に急き立てられるまで、わたしはぼんやりと立ち尽くしていた。

 ほんの昨日まで、この家で寝起きして、食事をとり、当たり前のように家族と過ごしていたはずだった。何が起こりつつあるのかうっすらと理解し始めつつ、突然何もかもが変わってしまったことを受け入れられないまま、わたしは母の助けを借りて荷物をまとめ、追い立てられるように家を出た。玄関を出る際、母は振り返って叫んだ。

「もう今日から他人や! 樹生も実花子もあたしが連れてくからね! 今日からあたしら三人とも文坂やないからね!」

「おう、出てけ出てけ! 二度と戻ってくんな!」

 家の奥から父の怒鳴り声が聞こえた。

 わたしと母は表に出た。母の車も停まってはいるが、母はわたしの自動車に荷物を積んだ。

「ごめん、実花子、運転して。とてもできない」

 そう言って盛大に鼻をすすった。母の両目から涙がぼろぼろ流れた。

 わたしはまだ混乱していたけれど、これ以上色々考えないことに決めた。そうしないとわたしまで涙が止まらなくなって、日暮れまでに家を出ることができなくなりそうだった。

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