13
「これ、人間の代わりに置いてらっしゃるんですか」
志朗さんがマネキンと顔を付き合わせながらそう言った。時々この人はまるで目が見えているみたいに振舞う。
「そうです」と、父が答えた。「もうずいぶん前に拝み屋さんかお寺さんに言われたそうで……いやしかしこんな、顔が黒なることなんかあったのかなぁ」
「かなり黒くなってます?」
「はぁ、ほぼ真っ黒です」
父の声は平静を装いつつも震えているのがわかる。マネキンの顔は異様だった。真っ黒な中に白目だけがくっきりと目立って、まるで瞳だけが生きているように見える。
わたしはまだ廊下にぺたんと座り込んでいた。立ち上がることがひどく億劫に思えていた。父がわたしをひっぱり起こして立たせ、それでようやくマネキンの視線から逃れることができた。
「ふーっ」
志朗さんは大きなため息をつき、ゆっくりと立ち上がった。なんだか急に疲れたみたいだ。
「すみません、このお家の中でさっきの巻物を広げられるところってあります?」
声をかけられた父がすぐにうなずく。
「ええ、客用の座敷でも居間でも。どんなところがいいんでしょうか?」
「この部屋でなければどこでもええので、お借りできますか」
志朗さんはそう言うと、またふーっと長く息を吐いた。もうニコニコした笑みは浮かんでいない。
何かよからぬことが起きている、それもだんだん進行しているのだと感じた。
わたしたちは隣の座敷に移動した。客間で、大き目の木の座卓が部屋の隅の壁に建て替けるように置かれていた。
日頃は空き部屋になっているはずなのに、さほど埃っぽくもなく、木の座卓も拭かずにすぐ使えるほどきれいになっていた。確か、本家の掃除はほとんど聖くんが担っていたはずだ。まさか毎日、この広い家全体を磨いていたわけではないだろうけど、それでもこれだけ快適な状態に保っていたことは素直にすごい。わたしなんかとても真似できる気がしない。
座卓を整えると、志朗さんはボディバッグからさっきの巻物を取り出した。表紙には金糸銀糸が使われていてなかなか豪華だけど、肝心の中身は真っ白。その対比が奇妙に思えた。
「ボクは『よみご』といって、まぁ、ごく一部地域特有の拝み屋のようなものです。その辺りじゃ割合知られた職業なんですが、他の地域ではさっぱり聞きませんね。ボクらはこういう無地の巻物を使って」
と言いながら、座卓の上に巻物を広げた。さっき見たとおり真っ白だ。文字も絵も凹凸もない。
「――害のあるようなものがいないかとか、近づいてきていないかというのをよむんです。ではやりましょう」
志朗さんが両手を白紙の上に乗せた。間髪入れず、その両手が動き始める。指先についているセンサーが、わたしには見えないものを読み取ろうとしているように、白紙の上を滑っていく。それは不思議と目を惹かれるものだった。夢中で見守っていると、志朗さんの手がぴたっと止まった。
「――これはやっぱり、ボクには無理じゃなぁ」
志朗さんが呟いた。巻物を手にとり、慣れた様子でくるくると丸めるとバッグに納めると、さっきよりもっと疲れた様子で深いため息をついた。
「あの、無理というのは――」
と父が尋ねる。志朗さんは「どうもこの件はよむのが上手くいかない。つまり、ボクには手がつけられないということです」と答えた。
「文坂さんには申し訳ありませんが、もっと強い方を探された方がいい。そうでなきゃ、今までやってきたとおりにやるしかないでしょう」
「今までどおりですか……」
「そうです。伺ったとおりのお話なら、この家の方を呼び戻して、今までと同じように住んでもらうということになるでしょうね」
「同じように……」
今度は父が長いため息をついた。「晴ちゃんか」と小さく呟いた声が、真横にいるわたしには届いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます