06
大きな音ではなかった。ただ布団の中でじっと耳を澄ましているうちに、それは少しずつ位置を変えていることがわかってきた。
ぺた、とか、ひた、というような音の後に、何かを引きずるようなずっ、という音が続く。ひた、ずっ、ひた、ずっ、というおぼろげな、でも質量を感じる音が、外壁を伝って移動していた。
わたしは布団の中に頭までもぐり込み、息を殺した。イヤホンは確か枕元にある。それをつけて音楽か何か聞いていよう――そう思っても、そのために布団から手を出すこと自体が怖かった。決して大きな音ではないはずなのに、外壁を伝う物音は、布団をかぶった後もなぜか変わらない大きさで耳に届いた。
ひた、ずっ、ひた、ずっ、
ひた。
音が止まった。
おそらくこの部屋の、窓のすぐ外にいる。
生きた心地がしなかった。
もしかしたら気のせいかもしれない。わたしは布団の中で考えた。窓の外に何かがいるなんて、わたしが勝手に妄想していることに過ぎない。もしも本当に何かがいたとしても、それが得体のしれない、怖ろしいものだとは限らない。山から下りてきた野生動物のたぐいかもしれない。それか、普通の人間の不審者かも。それはそれで怖ろしいけれど、得体が知れなくはない。
わたしは直感的に、窓の外にいるのはそういうものではない、と悟っていた。
これまで見たことのない、そして見るべきではない何かが、壁をたった一枚隔てたところに今、いる。
必死に考えすぎだと思おうとした。そのとき、トン、と窓が叩かれた。
普通のノックではなく、開いたままの手の指を、何本かあわせて叩いたような音だった。
固まっていると、もう一度トン、と音がした。トン、トンと少しずつ間隔が短くなっていく。
(見たい?)
護さんの言葉が脳裏に蘇った。見たくない。何であろうと。何かがわたしに姿を見せに来ているのだとしても、もうまったく見たいとは思わない。
(お願い、帰って)
心の中で念じたそのとき、窓ガラスがバン! と大きな音をたてて叩かれた。
「ふうーっ」
聞き覚えのない女の声がした。
わたしは思わず何か叫びそうになって、慌てて両手で口元を覆った。護さんの言葉が頭の中を駆け巡っていた。
窓の外からまた何か聞こえた。意味のわからない、なにか単語のような言葉だった。それがなぜかひどく気がかりで、一瞬恐怖を打ち消すほどの好奇心が頭をもたげた。でも、聞き返すことはできない。
(話しかけたりしたら駄目だよ)
確かにそう言われたはずだ。万が一あの笑い声の主に何か言葉を返してしまったら、と思うと背筋が寒くなった。
今の言葉はきっと罠だ。そう思った。
窓の外は静かになっていた。息を殺していると、また音が聞こえ始めた。
ずっ、ひた、ずっ。
音は少しずつ遠ざかっていく。外壁を伝って西から東の方に向かうらしい。
安堵と共にため息がもれた。いつの間にか涙が頬を伝っていた。
(本当に来るんだ。山から、何かが)
どきどきする心臓をおさえながら、ひたすら呼吸を繰り返した。すっかり目が冴えてしまっている。とにかく落ち着かなければ。そう思って深く息を吸い、ゆっくりと吐く。しばらくそうやっているうちにようやく気持ちが落ち着いてきた。
(大丈夫、何事もなかったんだし、言葉も交わしたりしてない。大丈夫だ)
ひた。
かすかな音がした。
ぐるりと外壁を一周した何かが、再び戻ってきていた。
何周目かの音を聞きながら、わたしは気を失うように眠ってしまったらしい。
気がつくと朝になっていた。
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