05

 本家に泊まることになったと、家に連絡をした。もちろん「山から来るものが気になる」なんてことは言わない。空美さんたちが寝込んでしまって晴ちゃんが寂しがっているから、ということしか言わずにおいた。

 両親はそれで納得し、ついでに『もう外に出るんじゃないわよ』と子供に言うように言い含められた。父も母もやはり信じているのだ。文坂家を訪れる「なにか」のことを。

(本当に何か来るのかな)

 護さんの異様な笑顔を思い出すと背筋が冷たくなった。

 実家で母に料理を任せっぱなしにしているせいで、料理の類はまるで駄目だ。幸い空美さんが、風邪が悪化する前に作り置きのおかずを作れるだけ作って冷蔵庫の中に入れておいてくれたらしい。それを適当に温め、持っていった食品の中からインスタントのスープなどを開けると食卓の体裁が整った。

 ダイニングテーブルを囲んだのはわたしと晴ちゃんと護さんだけで、なるほどこれでは晴ちゃんは寂しいだろうと思った。たまに親戚が集まることがあるから、本家のテーブルはやたらと大きい。口数の少ない護さんとふたりでは寒々しく思えるに違いない。

 護さんの態度は優しい。食事の準備についてもかなり手を貸してくれて、晴ちゃんにも、わたしに対しても丁寧だけれど、やっぱりどこか得体が知れない。それにわたしは今――彼のことが怖い。

(見たい?)

 あのときの声と顔を、どうしても思い出してしまう。

 食事を終えて順番にお風呂を使い(お客さんだからというので一番風呂を譲ってもらった)、晴ちゃんとちょっと遊んでいる間に九時になった。「これよんでー」と自分から絵本を持ってきたくせに、晴ちゃんはもう眠たそうな顔をしている。

「晴ちゃん、もう寝たら?」

「ねむくない」

「実花ちゃんがいるから嬉しくて眠りたくないんだよ。でももう限界かな」

 護さんが笑いながら言ったとおり、晴ちゃんはまもなくわたしの膝を枕にして寝てしまった。護さんが歯磨きをしてやり、半覚醒の晴ちゃんを抱っこしてトイレに連れていく。このまま寝室に連れていったのだろう。十分ほどしてひとりで戻ってきた護さんは「実花ちゃん」とわたしに話しかけてきた。

「今日はありがとね。晴が退屈しないで済んだよ」

「いえ、楽しかったです」

「それならよかった。一階の西にある客間、わかる? あそこ使ってね」

「はい」

「あそこが一番山に近いから」

 ぎょっとして護さんの顔を見た。護さんは静かにニコニコしている。さっきのようにあからさまな狂気は見えない。でも、やっぱり何かがおかしい。上手く言えないけれど、やっぱりおかしい。どうしようもなく違和感がある。

 わたしはお礼を言って、客間に向かうことにした。まだ九時だけど、小さい頃から何度も出入りした本家とはいえ、よその家で好き勝手はできない。早く割り当てられた部屋に行ってしまおうと思った。幸い、本家でもWi-Fiは使えるから退屈はしない。

 荷物を持って廊下に出た。家の中はしんと静まり返っている。空美さんも聖くんも寝ているのだろうか。護さんは起きているはずなのに、すぐ背後にある居間からはことりとも音がしない。急に後悔が押し寄せてきた。「泊る」なんて言わなければよかった。

(見たい?)

 今はもう、見たいとは思わない。

 指示された客間に入ると、スマートフォンで映画を観ながら時間を潰した。くだらなくて笑えるB級映画を観て、そのまま眠ったら朝までおかしな夢を見ながら過ごせるような気がした。九十分ほどをそうやって潰し、でも結局テンションはいまいち上がらなくて、SNSを巡回した後で洗面所やトイレを借り、早々に布団に入った。

 時計を見た。夜の十一時すぎ。いつも寝るのは一時近くだから、ふだんよりもかなり早寝だ。

(眠れるかな)

 胸の奥がざわざわした。それでもしばらく布団に入っているうち、瞼がだんだん重たくなってきた。このまま朝になってしまえばいいのにと願っているうち、本当に寝入りそうになってきて――


 そのとき、外で物音がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る