02
父や知らせを受けた親戚から連絡があるかもしれないというので、母はとにかく一日家にいるつもりだという。
「だから実花子、とりあえず本家の様子見てきてくれない?」
「わかった」
言われなくてもそのつもりだった。わたしは寝坊をした平日の朝のような勢いで食事と身支度を済ませ、家を出た。
庭には今三台の車が停まっており、そのうちの一台、中古で手に入れた黄色い乗用車がわたしの愛車だ。公共の交通手段があまり便利でないこの田舎町において、車は必須と言っていい。わたしも御多分に漏れず、大学一年生の夏休みに免許をとった。
文坂の本家までは車で十分ほどかかる。古くて大きな日本家屋は、背後の山の斜面につながる坂の入り口をふさいでいるようで、いつ見ても燻したように全体が黒っぽく見える。門の前に立ち入り禁止のロープが張られており、(そうか、警察が来たんだっけ)と初めて気づいた。おそらく母も考えが及ばなかったのだろう。二人揃って相当動揺していたらしい。
ともかく、中が見られないのでは仕方がない。わたしは車に乗ったまま、ゆっくりと家の前を通り過ぎた。肩透かしを食った気分だった。すぐ家に帰ろうかとも思ったが、帰宅すれば母が何かと話しかけてくるに決まっている。少しひとりになる時間がほしかった。
車を走らせ、少しすると広い川辺に出た。未舗装の岸に車を停め、運転席に座ったまま一息ついた。
本家の人たちの顔を順々に思い出した。聖くん、護さん、空美さん、晴ちゃん。ここ数年で伯母と空美さんが亡くなって、最近ではたった三人が、あの無駄に広い家で暮らしていたはずだ。そしてとうとう護さんが死んでしまい、聖くんと晴ちゃんはどこかに消えてしまった。ふたりが行きそうなところといえばどこだろう――考えてみたが、まるで思いつかなかった。ただ、聖くんは晴ちゃんと一緒にいるだろうな、とは思った。
そういえば本家が男性と子供ばかりの世帯になったとき、一部のお年寄りが「女手を貸した方がいいんじゃないか」などと言い出したことがあった。この辺の土地は保守的というか古臭いというか、そういうところが未だにしつこく残っている。
幸い、高校を卒業してから家でブラブラしている(と本人が言っている)聖くんが、家事の類を問題なくこなしているために、必要ないということで落ち着いたけれど、そもそも親戚の中に「本家に住んでもいい」と思っている人は一人もいなかった。
かくいうわたしだってそうだ。あの家で寝泊まりするなんて、悪いけれどまっぴらごめんだと思う。昼間でさえ、あの家を訪れるのは気詰まりなのだ。
本家の人たちがいやなわけではない。聖くんはいいやつだし、晴ちゃんもいい子だし、護さんだって表面上のお付き合いをする分には何の問題もない人だ。ただ――
(夜になると山からやってくるなにかは、まだいるんだろうな)
わたしは車窓の向こうをちらりと見た。山々がつらなり、わたしたちの住む村(一応町の一部ということになっているが)を取り囲んでいる。あの山のどこからそれがやってくるのか、それがどういうものなのか、わたしはよく知らない。
ただ、怖ろしくてとても厭なものだということは知っている。
わたしは、一度だけ本家に泊まったことがある。
そのときのことを思い出すと、今でも背筋が寒くなる。
あの頃はまだ、わたしは本心からそれを信じていなかった。「山から何かが来る」だなんて、そんな昔話のような怪談のような話――本当のわけがないと思っていた。
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