坂の下の家

01

「起きて実花子みかこ。ねぇ」


 何度も声をかけられて目が覚めた。瞼を開けると、ベッドの枕元に母がかがんで、わたしの顔をじっと見つめていた。

 枕元の時計を見ると、朝の七時半を指している。今日は日曜日で講義もゼミもアルバイトもない。起こされるには早すぎる。

 起き抜けのぼんやりした頭でも、ひしひしといやな予感がした。そもそもよほどのことがなければ、母がわたしの部屋に勝手に入ってくるなんてことはないのだ。なにか普段とは違うことが起きている、と思った。

「なに……?」

「本家のまもるさん、亡くなってたんだって」

 とっさに(だろうな)と思った。

 護さんはまだ二十五歳で、たしか持病があるわけでもなかった。普通の感覚でいえば、まだまだ亡くなるような年齢ではない。それでも(だろうな)と思ったのは、護さんが本家の当主で、この間一人息子のはるくんが七歳になった後だったからだ。もちろん母もその辺の事情は一応承知していて、だから単に驚くでも悼むでもない、複雑な顔をしていた。

「昨日から連絡がとれなかったんだって。お父さんが朝一で本家の様子見に行ったら、護さん、自分の部屋で亡くなってたみたい。それで今お父さん、警察署にいるんだって」

「なんで警察?」

「不審死ってことになるのかね……護さん、もう何日も前に亡くなってたらしいの」

 まぁ、ない話ではない――と思った。

 うちは文坂ふみさか家の分家だ。私の父は本家の次男だったけれど、諸々あって分家を継いでいる。本家に住んでいるのは、わたしの従兄弟たちだ。

 父が本家に様子伺いの電話をかけるのが大体一週間に一回。最近はそれ以外ほとんど行き来がないから、亡くなったことに何日も気づかないというのはまぁ――

 いや、やっぱりおかしい。

 護さんは弟のきよしくんや息子の晴くんと一緒に暮らしていたのだから、音沙汰がまったくないというのはおかしいのだ。護くんに何かがあったとすれば、聖くんから連絡があるはずだ。ぱっと見ボンヤリしてるようでいて、聖くんはけっこうしっかりしている、とわたしは思う。

「亡くなったの先週じゃないかって、お父さんがちょっと言ってた」

 母が言った。「実はなんか、電話があったんだって――」

「電話があったの? お父さん、なんで知らんぷりしてたわけ?」

 驚いて尋ねると、母は首を振った。

「それが、女の人の声だったんだって。護が亡くなりました。あとお願いしますって」

 母は、部屋の隅に苦手な蛾でも見つけたような顔をしていた。ひとつ大きなため息をつき、「空美くみさんの声だったって」と呟いた。

「うそ」

 思わず大きめの声が出た。母も同じように思っていたに違いない。護さんの奥さんの空美さんは、一年も前に亡くなっている。葬儀にも参列したし、とにかく亡くなっているのは確かだ。電話をかけられるはずがない。

「明け方だったから夢かと思ってほっといたんだっていうのよ。それに気味も悪くって――はぁ。ちょっと困ったことになっちゃった」

「えっ」

 もしかしてうちのお父さん、容疑者みたいな感じになっちゃってるの……? と言い掛けたところにかぶせるように、母が続けた。

「いないんだって。本家に。誰も。晴ちゃんも聖くんもいないって。どこに行ったかわからないみたい」

「ふたりとも、護さんほったらかして出ていっちゃったの?」

 母は黙って頷いた。死んだはずの女性から電話があったことより、そちらの方が重大だと思った。

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