17
「ねえ、大丈夫?」
阿久津さんに肩を叩かれて、自分がひどくぼんやりしていたことに気づいた。同時に目の前にいるこの女性のことが、急にまるで知らない人のように思えてきた。
阿久津さんは本物の霊能者じゃなかったのか? ねえさんのことがわからなかったのなら、今まで阿久津さんがおれたちに対してやってきたことは一体何なんだ?
ぱちんという音が部屋の中に響いてぎょっとした。目の前に出された阿久津さんの手を、おれの手が跳ねのけた音だと気付くのに何秒かかかった。そんな乱暴なことは今まで一度もやったことがなかったのに、その時はまるで虫を払うときのように手が動いたのだ。
「聖くん……」
「あ……阿久津さんは」
上手く声が出なかった。怒りとも哀しみともつかない感情が、喉の奥でぐるぐる回っているような気がした。おれは晴の方をちらりと見た。晴はまだ膝の上で眠っている。何も知らない、平和そのもののような寝顔で静かに呼吸をしている。
おれがちゃんとしなければ。そう思うとようやく声が出た。
「……阿久津さん、おれたちに幽霊が憑いてたの知ってます?」
阿久津さんは大きな二重の目をはっと見開いた。おれは続けた。
「山から来るやつじゃなくて、普通の人間の幽霊。わかんなかったですか? 拝み屋さんなのに?」
「聖くん、あのね」
「おれ本当はこんなこと聞きたくないんですよ。でも今ほんとにやばいんだって。阿久津さん、霊感とかありますよね? 今までやってきたこと、無意味じゃないんすよね? ちょっと遠ざけるだけって言ってたの、本当ですよね?」
「それは本当なの。ねぇ聞いて聖くん、おねがい。私を疑わないで」
阿久津さんが突然身を乗り出して、布団の上に投げ出されていたおれの手をがしっと掴んだ。
「本当なの。言ったとおり、私は力のある拝み屋じゃないし、霊感だってそんなに強くない。聖くんたちに何かくっついてるなってことはわかったし、それが親しい人の霊みたいだとは思ってた。でも具体的にどんな人かはわからなくって……あるの、そういうこと。聖くんだって、他の幽霊は見えないんじゃない? どう?」
聞かれてはっとした。阿久津さんはおれの手を握ったまま続ける。
「個人差があるの。聖くんにはわかるものが、私にはわからない。もちろん逆もある」
頭にのぼっていた血が、一時の温度を失って下ってくる。もう一時のカッとする感じはなくなっていた。
「私、君たちには嘘ついてないよ」
阿久津さんが言った。「ちゃんと助けたいと思ってるし、役に立ちたいよ。でもできないことがいっぱいあるの。お母さんやおばあちゃんみたいに強かったらよかったのにって、そんなの私が一番何度も何度も思ってきたよ」
何度も何度も、と繰り返しながら、阿久津さんはおれの手の甲を撫でた。なんだか目に見えないインクを塗られているような感じがした。
「――私にだって得意なことあるんだよ」
阿久津さんが呟いた。
「人を助けることはできないけど、得意なことなの。おばあちゃんよりもお母さんよりも得意――ねぇ、聖くんさ。晴ちゃんも。私頼ってもらえてうれしかったな。だからまだここにいて。夜が明けても出てっちゃ駄目だからね。ねぇ」
阿久津さんはそう言って、下から覗き込むようにおれの目を見つめた。形のいい唇が動いた。
「いいでしょ」
おれはそのとき、夢の中で見た檻のことを思い出した。
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