02

 ナップザックの中にはまだ帯封を切っていない一万円札の束が三つ入っている。おれはひとまず手触りでそのことを確かめた。これをどう使うべきか、毎度判断に迷う。こと本物の霊能者を探すというときに、目の前に札束を積んで事態が好転したことはなかった。少なくともおれの経験ではそうだ。ただ、ないよりはずっとマシだとも思う。

「だから無理ですって」

 おれの心の声に応答するように志朗さんが口を開いた。

「どうしてもですか」

「どうしてもですねぇ。ボクでは役に立たないでしょうから」

「報酬ならなんとかなるかと」

「十年二十年の単位で引き受けてる案件がいくつかあって、ボクが無理して仕事が続けられなくなったらそっちも吹っ飛ぶんで……百万単位じゃ正直話にならないかな」

 背筋がぞわぞわした。本当に心を読まれているような気分になったのだ――厭なものだ。

 それでもおれはまだ席を立たなかった。これまでの経験からいって、目の前にいる男は本物の霊能者だ、と思う。だからもう少し粘りたい。

 おれは、隣で大人しく座っている晴のことが気がかりだった。時間はあるようで、実際はそれほどでもない。いずれ晴は、おれの兄と同じ運命をたどることになる。

 晴はもう七歳の誕生日を迎えてしまった。

文坂ふみさかさんでしたっけ」

 急に名前を呼ばれたおれは、ぱっと物思いから現実に引き戻された。

「えーと、そうです。文坂きよし

「おいくつですか?」

「二十歳です」

「若いなぁ。学生さん?」

「高校出て、今は何もやってないっす」

 晴が七歳になるということがわかっていたのだから、いつでも動けるよう、家にいなければならなかったのだ。兄さんは一応心配らしきことを言ったが、ねえさんはぜひ晴についていてくれとおれに頼んだ。おれは結局、ねえさんの願いを優先したのだ。

「そっかぁ。文坂さんねぇ、正直あなただけじゃったらどうにかなったと思います」

 そう言われてぎくりとした。おれはここに晴のことを相談しに来たはずだったのに、どうしてこの人はおれのことを話題にするのだろう。とはどういうことだ?

「でも、ごきょうだいの方は無理です」

「いや、兄弟じゃなくてこいつは……」

「あ、違いましたっけ? でもこの子血縁ですよね。とにかく無理なものは無理なんで」

「ちょっと……」

 おれはまだ何か話そうとして身を乗り出した。そのとき、おれたちがいる部屋の中で、突然パシッというような大きな音がした。思わず体が固まった。

 パシッ! パシッ! パシッ!

 音は天井近くの高さを、まるで壁の上を駆け回るようにぐるぐると回った。おれの気のせいではない。ボディーガードらしきでかい男が、音にあわせて首を動かしている。彼にも聞こえるのだ。肝心の霊能者の方は平然とソファに腰かけているように見えるが。

 晴がおれの手をぎゅっと握りしめた。その直後、バチン! と一際大きな音が部屋の中に響いた。

「これほんとに帰った方がいいですよ。というかお帰りください。無理なので」

 そう言った志朗さんの、後頭部で一つに束ねていた白い髪が、突然ばらけて肩の上に広がった。ヘアゴムがひとりでに千切れてはじけ飛んだのだ。

 おれはとうとうたまらなくなって、晴の手を引きながら立ち上がった。

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