第22話─刻まれた傷痕
次の日。帝都に向かって、シュルムの使者が旅立った。キルトを養子に迎えることの報告、そして謁見とお披露目式についての話し合いのためだ。
帝都シェンメックは、ミューゼンから馬車で七日ほど南西に移動した先にある。早馬を飛ばしても、片道五日。話し合いで一日使えば、往復で十一日はかかる。
「で、それまでは礼儀作法とかのお勉強……ってわけだね」
「うむ。我がパルゴ家の一員になる以上、キルトにはいろいろと学んでもらわねばならん」
「うん、わかっ……いえ、分かりました。頑張ります、父上!」
「よしよし、では早速始めよう。メレジアを家庭教師につける、我が娘から礼儀作法やこの国の歴史、その他もろもろを学んでおくれ」
そういうわけで、キルトは貴族として生きるために必要な知識を身に付けるための勉強を始めた。……が、元々闇の眷属の社会で暮らしていたこともあり礼儀作法は完璧。
帝国の歴史や現在の貴族間のパワーバランス、その他の知識もあっという間に吸収し……日が暮れる頃には、もう学ぶことはなくなっていた。
やることといえば、タナトスの情報を集めに出かけたルビィやエヴァの帰りを待つことだけだ。
「まあ、キルトはのみ込みが早いのね。もう教えることがなくなってしまったわ」
「ありがとうございます、メレジ……あ、姉上」
「ふふ、ゆっくりでいいのよ。すこーしずつ、家族になっていきましょうね」
まだ姉上と呼ぶのに慣れておらず、ついついメレジアを様付けで呼ぼうとしてしまうキルト。そんな彼の頭を、メレジアは優しく撫でる。
「そろそろお風呂の時間ね。せっかくですから、一緒に入りません?」
「!? い、いいいいいいえ! そ、そんな恥ずかしい……一人で入りますー!」
「ふふ、照れちゃって。可愛いわ」
メレジアの提案に、キルトはそう答えて逃げ出す。が、彼が拒んだのには別の理由があった。それは……。
「……見せられないよ。こんな、傷だらけの身体なんて」
屋敷にある大浴場に一人、キルトがいた。身体を洗いながら、鏡に映る自分を見る。彼の身体は、正面も背後も……痛々しい傷痕があちこちにあった。
理術研究院にいた頃、ボルジェイやゾーリン……その他の主席研究員から受けた虐待や人体実験の証。裂傷に火傷……癒えぬ傷が、彼の身体に残っている。
「いけない、暗い気持ちになってちゃ。これからは、楽しいことをいっぱいやるって決め」
「キルト、今帰ったぞ! メレジアから聞いた、さあ我が背中を流してやろう!」
「アタシを除け者にすんじゃないわよ! さあキルト、学園にいた頃みたいに頭を洗ってあげるわ!」
「きゃあああああああ!?」
物思いにふけっていた、その時。屋敷に帰ってきたルビィとエヴァが、メレジアに教えられて風呂に突撃してきたのだ。
当然、二人ともバスタオルなんてものは身に着けていない。生まれたままの姿を晒す、すっぱだカーニバル状態だった。
そんな二人の強襲に、キルトは女の子みたいな悲鳴をあげながら股間を手で隠す。……が、ルビィたちはキルトを見た瞬間、笑みを消し真顔になる。
「キルト……その傷、どうしたのだ? なんだ、そのおびただしい数の傷痕は」
「……あいつらに。理術研究院の奴らにやられたのね? その傷は」
キルトの身体じゅうに刻まれた、痛々しい傷痕を見て衝撃を受けたのだ。まだ十一歳にもなっていない少年に、ここまでやるのか。
そんなショックと共に、ボルジェイをはじめとする理術研究院への怒りが沸々と湧き上がる。一方、傷を見られたキルトは落ち込んでいた。
「……ごめんね、隠してて。二人には見られたくなかったんだ。気持ち悪いよね、こんなに傷だらけ……あ」
「そんな感想を、我らが抱くとでも思うか! 愚か者め、あの日言っただろう! 悲しみも苦しみも、我慢するなと!」
「ルビィ、おねえちゃ……」
「……ルビィの言う通りよ。その傷痕、今も痛むはずよ。言ってくれてたら、暗域に帰って薬を持ってくるのに。ホント……昔っからそうね、キルトは。なんでもかんでも、一人で背負って!」
そんなキルトを抱き締め、二人はそう語りかける。ひとまず、湯冷めしないように湯船に浸かる。二人に挟まれたキルトは、気まずそうにしていた。
「エヴァの言う通り、傷痕は痛むのか? キルト」
「……うん。たまに、背中と左の脇腹が痛むんだ。右足のは、いつも弱い痛みがあるよ」
「だーかーらー! そういうのは我慢すんなって話なのよ! 夜が明けたら速攻で暗域に戻るわ。コーネリアス様に頼んで薬貰ってくるから、それ塗りなさい! そんな傷、全部跡形もなく消えるから!」
「いや、それよりもっといい方法がある。我との約束を破ったキルトへの罰も兼ねた、とっておきのな」
痛々しい傷痕を消すための薬を取りに戻ることを宣言するエヴァに、ルビィがそう語り制止する。嫌な予感を覚えたキルトだが、ガッチリ肩を掴まれ逃げられない。
「長い時を生きた竜の体液には、あらゆる傷や病を癒やす力が宿る。エルダードラゴンたる我のソレは、不治の病すらも治癒出来るほどだ」
「あの、体液って……まさか」
「ふっ、そうだ。風呂からあがり次第、我がキルトの全身をペロペロしてやる! そうすれば傷痕も治るし、我との約束を破ったキルトへの罰にもなるからな!」
「わー、やっぱり! そんなの恥ずかしいよ、ゆるしてー!」
「ならん、ならんぞ。これはもう決定事項だ。大人しく我にペロペロされるがいい」
「くっ……何故アタシはエルダードラゴンとして生まれてこなかったのかしら。アタシだってキルトをペロペロしたいのに!」
これまでの威厳が全部吹っ飛ぶような、欲望全開の姿を見せつけるルビィ。一方、合法的にキルトをペロペロ出来ないエヴァは血の涙を流していた。
実際の場面を想像し、キルトは顔を真っ赤にしながら全力で拒否する。そもそも、本当にそんな力があるのか疑っていたが……。
「む、我の言うことを疑っているな。なら証拠を見せてやる。それ、れろん!」
「ひあっ!? あ、ほんとだ……二の腕の火傷痕が消えた……」
「なんでアタシはエルダードラゴンじゃないのよっ! 今だけでいい……アタシはあんたにな゛り゛た゛い゛っ゛!」
「落ち着いて、エヴァちゃん先輩! 顔、顔がとんでもないことになってるから!」
もはや血の涙を流す程度では済まない形相になったエヴァを、キルトが必死に宥める。そんな事をしている間に、ルビィは少年を抱え上げた。
「あ、しまった!」
「さあキルト……風呂から出るぞ。安心しろ、部屋には防音の魔法をかけておく。だから……ふふふふふふ」
「ま、待って、やめ……いやああああああ!!」
脱衣所に飛び出したルビィは、六枚の翼と腰に生やした尻尾を使い器用に自分とキルトの身体を拭く。素っ裸のまま全力疾走し、部屋に戻る。
次の日の朝……全身に付けられた傷痕が消えた代わりに、人として大切な尊厳を失ったキルトがベッドに横たわっていた。
全てを諦めたかのような安らかな笑みを浮かべ、胸の上で手を組み微動だにしない。今、彼の心は凪の海のように静まり返っている。
「うふふ。お花畑が見えるよ、あんなにいっぱい……」
「むう……いかんいかん、ついやり過ぎてしまった。おーいキルト、現実に帰ってこーい」
文字通りキルトを舐め回し、傷痕を全て消し去ることに成功したルビィ。が、興奮状態が収まり、冷静になったところでやり過ぎたと反省する。
キルトの頬を指で突っつき、彼の意識を現実に引き戻そうとする。なお、キルトの名誉のためすでに服は着せてあった。
「ちょっとー、入っても大丈夫? あんた、やり過ぎてないでしょうねー?」
「む、エヴァか。いいぞ、入れ。むしろ、キルトを正気に戻すのを手伝ってくれ」
「……案の定やり過ぎたってわけね。なんて羨まし……じゃない、けしからん奴なのかしら」
「おい、半分本音が漏れたぞ」
そんなアホなやり取りをしつつ、二人は一時間ほどかけてキルトの意識を夢の世界から現実に引き戻す。二人の予想通り、キルトはめそめそしていた。
「うっうっ、酷いよお姉ちゃん……あんなことされたら、僕もうお婿に行けない……」
「大丈夫だ、キルトはもはや名実共に我の伴侶と言っても差し支えない。すでに我の婿になっているのだから、問題はないも同然だろう?」
「はぁ? 何言ってんの、キルトはアタシの婿なんですけど? そういう約束したんですけど?」
「それ、僕が五歳の時の話だよエヴァちゃん先輩!?」
「いいのよ、気にしたら負けよ!」
やりたい放題かつ言いたい放題な二人に、キルトは内心呆れる。が、それ以上に……二度と綺麗な身体に戻れないという絶望を消し飛ばしてくれたことに、強く感謝するのだった。
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