第16話─シュルムからの提案

 フェルシュの危機など全く知らず、キルトはルビィやエヴァと共にミューゼンに帰還した。街の入り口にジョンが立っており、三人を出迎える。


「お、無事に帰ってきたか! よかったよかった、隊長も侯爵閣下も心配してたんだぜ」


「ありがとう、ジョン。いろいろあったけど、僕は大丈夫だよ」


「そっか、ならいいんだ。もう報告は済ませてあるから、このまま屋敷に戻ってもらって大丈夫だ。ゆっくり休めよな、じゃ!」


 キルトの無事を確認したジョンは、騎士団の詰め所に帰っていった。ティバとの戦いで精神的な疲労が溜まったため、キルトはすぐに屋敷に戻る。


「おお、キルトくん! よかった、心配していたよ。襲撃者から騎士団を守ってくれたんだってね。ありがとう、また一つ借りが……ん? そちらのお嬢さんはどちら様かな?」


「アタシ……いえ、私はエヴァンジェリン・コートライネンと申します。闇の眷属が住まう世界、暗黒領域にて爵位を賜りし者にございます。以後お見知りおきを、侯爵閣下」


 屋敷に帰った直後、シュルムが出迎える。キルトの帰還を喜ぶなか、エヴァに気付き名を尋ねた。エヴァはキルトをルビィに渡し、優雅に一礼する。


 伊達に魔の貴族に名を連ねてはいないようで、普段の粗暴でガサツな態度や所作とは裏腹に礼儀作法は完璧だった。


「おお、それはそれは。我輩はシュルム・レマンドラ=パルゴ。皇帝陛下より侯爵の地位を授かりし者だ。こちらこそよろしく。同じ貴族同士、あまりかしこまらなくてもよいからな」


「ほー、あやつ……意外と礼儀正しいところもあるのだな」


「闇の眷属の社会は、上下関係がすっごい厳しいからね。派閥にもよるけど、上の階級の相手にフラットに接するだけで殺されるとこもあるんだってさ」


「それはなかなか……過激だな」


 貴族同士話しているなか、ルビィは抱っこしているキルトとヒソヒソ話をする。そうしている間に、ふとキルトは疑問を抱く。


「そういえば、侯爵様は……というか、この街の人たちは闇の眷属を見ても驚いたり嫌悪したりしないんですね」


「アタシもそれ思ったわ。普通、闇の眷属なんて大地の民に目の敵にされる存在なのに」


「うむ、この大地……メソ=トルキアはこれまで、闇の眷属の侵略を受けたことがないからね。その分、忌避感が薄いのだよ」


「確かに、我は千年以上生きてきたが……一度も闇の眷属たちが攻めてきたことはなかったな」


 街に入ってから侯爵の屋敷に着くまで、それなりに領民たちに会ったが皆エヴァを見ても平然と接してしいた。それが、キルトには不思議だったのだ。


「なるほどー。でも、いつまでも手つかずってわけにはいかないわよ? 同族たちは目聡いから、たぶんこの大地もすぐに侵略の的になると思うわ」


「そしたら、僕が戦うよ。お世話になった侯爵様やジョン、街の人たちが死ぬなんて嫌だもん」


「うむ、よく言ったキルト! 我も、故郷が滅びるなど断じて許せん。攻めてくる者がいれば、迎え撃ち滅ぼすのみ!」


 エヴァの容赦ない一言に、キルトは力強く答える。ルビィも同調し、ついでにえらいえらいとキルトの頭を撫でまくった。


「ふふ、頼もしいことだ。……ああ、そうだ。実は大事な話があるんだよ。立ち話もなんだから、夕食の時に話そう」


「? はい、分かりました。大事な話……一体なんだろう?」


 シュルムはそう告げ、一足先に屋敷の奥に戻っていった。キルトとルビィも部屋に戻り、エヴァはメイドに連れられ別の客室に行く。


 しばらく身体を休めた後、夕食の時間になった。メイドに呼ばれ、食堂に向かうキルトたち。シュルムやメレジアと食事をしているなか……。


「えっ!? 僕を侯爵様の養子に!?」


「ああ。ルビィさんから聞いたよ。キルトくんは身寄りがないのだと。ならば、我輩の養子として迎え入れようと考えたのだ」


 シュルムから告げられた一言に衝撃を受け、キルトは危うくフォークを落としそうになる。すんでのところで耐え、ルビィの方を見る。


「済まぬ、それくらいは伝えておいた方がいいと思ってな。まさか、養子縁組にまで発展するとは思っていなかったが……」


「わたくしは賛成ですのよ? 昔から、弟が欲しいと思っていたのです。キルトさんとなら、きっと仲良く暮らせると思いますの」


「え、えっと……その、いきなり過ぎてどう答えていいのか……」


「なぁに、今すぐ答えを出してくれる必要はない。ゆっくり考えてから決めてくれていいんだ。例え断ったとしても、我輩は怒りはしないよ」


 突然の提案に、キルトは困惑してしまう。果たして、素直に受けるべきなのか……。幸い、答えを出すまでまだ時間がある。


 食事が終わった後、キルトはルビィやエヴァと共に客室に戻る。ボーッとしているキルトを余所に、エヴァはルビィと話をしていた。


「あの侯爵、いきなりとんでもないこと言い出したわね。危うくステーキが喉に詰まるとこだったわ」


「そのまま詰まっていればよかったものを……待て、冗談だ。そう睨むな。ところで、お前は養子縁組の件……どう思う?」


「別にー? キルト本人が決めることよ、他人であるアタシが口を挟む権利は無いわ。ま、仮に受けたとしても最終的にキルトは暗域に連れてくけどね」


「あ゛? 何をたわけたことを。キルトはこの大地で、我と添い遂げるに決まっているだろうが!」


「は? そっちこそ何抜かしてるの? 頭腐ってるの? こっちには先約があるのよ、先約が!」


 養子の話そっちのけで、またもや口喧嘩を始める二人。一度火がついた以上、お互い引き下がるつもりは毛頭ないようだ。


「……なら、今度こそ決着をつけようではないか。表に出ろ、叩き潰してやる」


「へえ、随分と強気ね。昼間は引き分けたけど、今回はアタシが勝つわ」


「フン、大口叩くと後で後悔するぞ。今なら撤回させてやるが?」


「するわけないでしょ? さっさと行くわよ、街の外に。そのプライドをバキバキにへし折ってやる!」


 そんなこんなで、二人は窓を開けて外に飛び出す。そのまま街の外に向かい、再び大喧嘩を始めた。


 一方、一人部屋に残ったキルトはずっと考え込んでいた。シュルムの提案を受け入れ、彼の養子になるべきなのかを。


「……僕は、どうしたらいいんだろう。本当のお父さんたちの顔なんて、もう覚えてないし……侯爵様の元で、人生をやり直してもいいのかな」


 実の両親は、二歳の頃に別れて以来一度も会わないままボルジェイに殺されてしまった。まだものごころつくかつかないかの年齢での別れのため、もう顔も思い出せない。


 おぼろげな記憶すらもない両親を想って一人で生きるより、新たな家族を得るべきなのか。ティバの精神攻撃でナイーブになっているキルトに、答えは出せなかった。


「うーん……今考えても仕方ないか。もっとゆっくり考えて答えを出そ……ってさむっ! あれ、窓空いてる。ルビィお姉ちゃんたちはどこ?」


 冷たい夜風が吹き込んだことで、ようやくルビィたちがいないことに気付いたキルト。首を傾げた後、まあいいかと窓を閉めるのだった。



◇──────────────────◇



「……そうか、撤退してきたのか。分かった、一旦デッキホルダーの補強のため待機させておけ。その間の刺客は、こちらで選定しておく」


 その頃、レマール王国にある小さな町にタナトスがいた。人気のない路地裏で、魔法石を使いゾーリンと連絡を取っている。


 通信を終えた後、新たなサモンマスターを見つけ出すべくその場を去ろうとする。その時……路地の奥にある闇の中に、気配を感じた。


「……これはこれは。誉れ高き七罪セブンシンズ同盟アライアンスが一角、『嫉妬』のリヴァイアサンが直々に現れるとは」


「暇そうだね、あんた。羨ましいなぁ、僕はあっちこっち飛び回らなくちゃならないのに」


 闇の中から現れたのは、青い髪と目をした小さな男の子だった。頭頂部にぴょこんと飛び出たアホ毛が、ピコピコ揺れている。


 リヴァイアサンと呼ばれた少年は、羨ましそうな視線をタナトスに向けつつ用件を話す。自分たちの代わりに、この大地を侵略してみないかと。


「ベルフェゴールからの提案でさー、理術研究院そっちに侵略の権利を譲ることになったんだよね。なんかコソコソやってるみたいだしさ、あんたらには都合いいんじゃない?」


「……ふむ。確かに、美味い話ではある。だが、そういう類いのものには得てして裏があるものだ。そちらの狙いは?」


「別にー? ないよ、そんなの。強いて言えば、これからもお得意様でいてほしいなーってくらいだよ。いろいろ取引してるしね、こっちとそっちで」


 長ズボンを吊っているサスペンダーをいじりながら、リヴァイアサンはそう答える。実際、彼らからすればこの提案はただの気まぐれに過ぎない。


 タナトス、ひいてはその上司であるボルジェイが拒否すれば、他の手柄を欲している大魔公あたりに話を持って行くだけなのだ。


「……分かった。では、このことはボルジェイ様にお伝えしておく。礼を言おう、偉大なる魔戒王よ」


「はいはい、そんな見え見えのお世辞言われても嬉しくないよ。じゃーね、あんまり裏で変なことして、ベルドールの七魔神だとかネクロ旅団みたいな神側の勢力に睨まれないよーにね」


 そう言い残し、リヴァイアサンは闇の中に消えた。一人残ったタナトスは、後ろを向き大通りへと歩いていく。


 撤退したティバたちが復帰するまでの、繋ぎとなる刺客に適した人材を求めて。

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