第2章:コルテン=コラ外郭防衛戦5

機動歩兵小隊の野営地にて。


 「前線の注意はイバン少佐の歩兵部隊とハーディーの義勇兵で引きつけています。このような少ない戦力で相手の陣形を崩せたのは、もはや奇跡に等しいです。」

 黒い戦闘外装、ストリングスを身に纏った機動歩兵の男が言った。


 「奇跡って言葉は嫌い。」

 レナータは男の発言に注意した。

 彼女らはイバンの歩兵陣地の後方にて待機していた。


 「申し訳ありません。しかし、ここまでの戦力差ですからね。」

 機動歩兵の男はレナータとも随分同じ境遇を渡り歩いたものだ。

 数多の戦場で、人の死に様を見てきた。

 凄惨な現実と向き合った。

 だからこそ、男は忖度なく、レナータに対して言ったのだ。


 「奇跡でも起こらなければ、この戦い勝てるはずはない」


 レナータはその冷静な分析を否定はしなかった。

 だが、奇跡はないとだけ忠告した。


 「私は神に祈ることは決してない。私達の成功や幸福は全て、努力や覚悟の所与として得られるものだ。だから、私は命令を的確に遂行するだけ。」


 「レナータ隊長。クーゼ少佐からの出撃命令です。行きましょう。」

 マークが命令を伝達しにきたのだ。


 「マーク。私たちに与えられた時間はどれくらいだ?」

 「1分にも満たないかと。」

 レナータは口をつぐんだ。

 そして、レナータは銀髪を柔らかに揺らし、顔を上げた。

 眼光は鋭く、やや高揚しているようにも見えた。


 「十分だ。行こう。私たちの戦場を作るぞ。」

 レナータの言葉が戦いの狼煙となった。

 総勢30人の機動歩兵小隊は各々がホバークラフトの動力を起動させ、いびつな機械音が荒野に鳴り響いた。

 全員の準備完了を確認したレナータは電弧放電による青白い波紋が広がった長尺の軍刀を振り上げた。

 呼応するように続く機動歩兵。

 パイルランチャーを携える機械音とともに、轟音が響いた。


「機動歩兵小隊、総員。進め。」機動歩兵は荒野を出撃した。


 黒い機影、機動歩兵はイバンの歩兵大隊の戦列をくぐり抜けると、そのままホバークラフトによる高速移動でアライエ中央部と左翼に空いた間隙めがけて突き進む。

 イバン歩兵大隊の戦車によって作られた戦列はレナータの行動を秘匿するための隠れ蓑としても機能していた。

 だから、ギリギリまでアライエに近づくことができた。

 半ば奇襲戦法である。


 対するアライエは一瞬遅れて事態の展開に気付く。

 だが、綻びはすぐに閉じ始める。

 即座に中央群体の進行速度が緩み始めたのだ。


 戦列に僅かに空いた穴を塞ぐように、中央群体の微速に合わせて左翼群体も微速で前進する、お互いはすぐに合流するものと思われた。

 高度に洗練された古代の重装歩兵のように、一時は乱されてしまったその戦列は再び構築されていく。

 

 だが、レナータはヘッドギアの奥で短く笑った。

 「反応が遅いよ。怪物。」


 神速の影がアライエの目の前に躍り出た。

 黒い外骨格を纏った機動歩兵達。

 彼らは超速で大地を駆ける。

 彼らの目標はただひとつだ。

 奴らの戦列を突破すること。


 レナータは一寸先に小さく空いた戦列の隙間を見た。

 アライエが見せたのはたった30秒の隙だ。


 だが、レナータはその隙を決して見逃さない。

 ホバーを最大噴射し、先に見える間隙に突き進んだ。

 間隙をレナータがするりと抜ける。

 続いて、そのほかの黒い戦士達は閉じつつある空白に侵入した。


 アライエによる城門が閉ざされたとき、既に20人程度の機動歩兵が戦線内部への侵入を果たした。


♦︎

 レナータの突破戦術が成功した報はただちにクーゼへもたらされた。

 クーゼはレナータの手腕に安堵する。

 だが、この成功はあくまで作戦の第2段階に進んだにすぎない。

 アライエに勝つためには、司令塔となるアライエの破壊が必要となる。

 それ以外はないのだ。


 「機動歩兵が送信した観測データをすぐに解析しろ。」

 クーゼはシュアンに指示する。

 シュアンは黙してPC端末と相対する。真の正念場はここからであった。


 司令塔となる個体の破壊。

 それは、この防衛作戦において、残された一縷の望みだった。

 指令塔の破壊によるアライエの組織的破壊。

 それが、彼らが生きるために残された途。

 故に、司令塔個体の発見なくしては勝利はない。


 当初、クーゼは作戦行動中に異様な電磁波、電気信号を見せる固体が群体内部にいるはずだと悟った。

 そして、その個体こそが司令塔なのだと。だが、その予想は裏切られた。


 アライエに広域走査をかけても彼らは「異常」を一切見せなかった。

 もとから全てプログラムされたコードを出力するかのように、彼らの司令官は何の機微を見せず。冷ややかに戦場を見つめているようにも思えた。


 クーゼは状況を打開するための対抗策として、「有視界観測」を発案した。


 コルテン=コラに内蔵されたAAIによる広域走査は汎用性に優れており、どこでも相手の熱・電力の状況を関知することで、レーダー及びソナーとしての役割を果たすが、それには限界もあった。


 個体が密集する区域ではどうしてもノイズが生じてしまい、観測データに乱雑さが見られるのだ。

 エントロピー増大の原則を気体分子運動論に応用した結果、様々な事象観測を可能とするが、マクロ的解釈を優先させる余り、ミクロ的な重要部分について観測を見落としてしまうのだ。


 「より明晰に奴らの行動を観測するには、単純な話として、近づいて観察する必要がある。」

 「機動歩兵の突破作戦はそのための嚆矢だ。彼らの有視界観測データにより、より純度の高い観測データが得られれば、見つかるかもしれない。司令塔個体が。」

 クーゼは異常数値の計測を待った。

 レナータが相手の懐に飛び込んだことで、司令塔を見つけ出すことができるかもしれない。

 当然、何も見つけられないとしたら、この戦いには敗北が待つのみだ。


♦︎

 レナータは地獄の中にいた。

 戦列の内部を突いたところはいい。

 だが、そこから彼女らがアライエの追撃を受けない保証などどこにもなかった。

 内部で予備戦力として控えていたガーラ型が一斉に機動歩兵に襲いかかった。ガーラ型のかぎ爪が機動歩兵を襲う。


 レナータはエアーの噴出をたくみに利用し、センチメートル単位でしなやかに攻撃を回避する。

 回避の反動を利用して、咄嗟に反撃姿勢に入る。

 カウンター戦法はレナータの得意とするところだ。反動を利用した初動の剣撃。


 体勢を崩した相手に追い打ちを与えるように、一閃。そして一閃。

 喉元に刃を突き刺す。

 喉元に届かなければ腹部に。

 腹部に届かなければ、肢体を切り落とし動きを封じる。


 軍刀は溶解性ガスにより発生した煙でうなりを上げているように見えた。

 突破してから5分で、レナータは15体のガーラ型を破壊してみせた。

 刹那。


 ガシャン!と耳元で衝撃が走る。

 レナータは反射的にバク転し、回避。体勢を整えた。


 ガーラ型がさらなる増援で迫っている。

 1体のガーラ型がレナータに瓦礫のくずを超速で投げつけた。


 今こうしてアライエとの近接戦闘を繰り広げている間にも、ヘッドギアに搭載された観測モニターの情報はコルテン=コラ内の作戦司令室へと送られ、司令塔個体の発見にむけた分析が進められている。

 そして、司令塔が発見されると、司令室から機動歩兵にその個体の位置情報が送られるので、機動歩兵は司令塔個体を即座に破壊するという流れだ。


 だが、有視界観測を始めて早10分を経過するが、司令室からの指示はない。つまり、アライエの司令塔は未だ見つかっていないということだ。

 司令塔が見つかるまでの間、レナータら機動歩兵は敵の包囲網の只中で孤軍奮闘を強いられるというわけだ。

 「命がいくつあっても足りない。」

 マーク准尉は指示を聞いたとき、そう言った。


 レナータもその言葉を特段否定することはなかった。

 事実、この作戦は機動歩兵にかかっている。

 そして、機動歩兵には多くの期待と共に困難を背負わされることは必至だった。


 頭に嫌な予感がよぎる。

 集中力は次第に減退しているのをレナータは感じた。

 ガーラ型に先手を打つ。それが彼女の必勝手段。

 だが、つい先刻。わずかながらではあるが、ガーラ型の先攻を許した。

 決定打ではないにしろ、その事実は彼女に死への実感をもたらすには十分だった。


彼女は刃を臆せず振るい続けた。

 無慈悲な絶命の一手を繰り出した。

 剣を持ち、敵の臓物をえぐり出し、肢体をバラバラにし、屍が続く道をレナータは走った。


 これが自分の在り方、だとレナータは思った。


 地獄は何度も経験した。強くなるために、敵を殺し続けた。

 アライエであっても人間であっても、立ち塞がる敵は殺した。

 それが自分の在り方だと思った。


 10年前の話。

 もうしばらく会っていない私の両親の話だ。

 ヘルグスという職業軍人がレナータの父親だった。

 彼には心優しい妻がいた。

 母親はレナータをかわいがった。

 ヘルグス夫人はレナータをきびしく律することもあったが、その根底には朗らかな愛があった。普通の家庭で彼女は普通の幸せを生きていた。

 規定学級卒業間近、レナータには進路の選択が迫られた。

 AAIの職業適性判定によりその殆どは決まっていたのだが、彼女は運良く複数の選択肢が与えられたのだ。中でも適正の最上位には「軍人」が上がっていた。


 レナータはヘルグスの軍人としての背中を見ていくにつれ、漠然と軍人になりたいと思うようになっていた。

 レナータは16歳の誕生日にて、この思いをヘルグスに打ち明けた。

 しかし、ヘルグスは彼女が兵役につくことを断固として反対したのだ。

 「親不孝者め!」とレナータを一喝し、ヘルグスは仕事に出かけた。

 レナータはそれを機に軍人の途をあきらめた。


 転機はそれから1ヶ月後に起きた。

 学校の帰り道。レナータは1人。そこで、ある人物が彼女に声をかけたのだ。顔は帽子を深く被っていたのでよく分からない。

 上下長尺のスーツを着ていたが、肢体のくびれや声色から女性であることは分かった。

 その女性は、「貴方宛の手紙よ。この手紙の内容は誰にも喋っちゃいけません。」とだけ言って、手紙をレナータに手渡すと足早に去って行った。

 レナータは帰宅すると、自室で手紙を開いた。そこにはこう書かれていた。


 親愛なるレナ。

 あなたは今元気にしているかしら。

 これからは寒い周期に入るから、風邪をひかないようにね。

 レナ、あんたはお母さんからもらった毛布をいつも大事そうに抱えていたわね。

 あれはもうないけど、新しい布団をちゃんとかけて寝ているのかな。

 それから、ご飯もしっかり食べて、いつも私が言ってたの覚えてる?

 ごめんね。手紙だっていうのに、レナのことになると私、いつも口うるさいおばさんみたいになるの。これでも結構自重してるのよ。

 ここからが本題だから、ちゃんと読んで。

 共和国ではね。10年後に大きな戦争が起きる。

 とてつもない規模の戦争。

 きっとこれまでの戦争とは比較にならない数の人々が死んでしまう。

 本当にたくさんの人が死んでしまうの。

 だからね、レナ。あなたには安全なところに逃げて欲しい。

 でも、共和国の中はどこもだめよ。

 もし貴方が首都に避難しているなら、そこはだめ。

 あそこはどこよりも危険な場所だから。


 この話は、誰にも言わないでね。

 レナ。

 あなたが目指すべきところは共和国領よりももっと北にあるところ。

 あなたの国では異端者の国と呼ばれているかもしれないわ。

 でも、ここはとても立派な国で、人々は安全に暮らしている。

 そして、私もここで暮らしている。

 北に進みなさい。レナ。たくさん回り道をしてしまったけど、ここがゴールだって私には分かるの。私はいつでもあなたの帰りを待っているわ。  

    ナージャより


 「何のことだ。ナージャって誰。」

 レナータはまず困惑の表情を浮かべた。

 しかし、確実なことはひとつ、このナージャという書き手はレナータを知っている。


 手紙の内容は誰にも話すなと言っていた。

 誰かに話すことでなにか良くないことでもあるのか。

 10年後に起こる戦争とは一体何なのか。


 「馬鹿らしい悪戯だ。」とレナータは思った。

 だが、引っかかるのはこれをなぜレナータに渡したのかということだ。

 世界の危機を知らせるなら、もっと然るべき国家とか軍人とかにするべきではないのか。


 レナータはこれをヘルグスに相談するべきか悩んだ。

 世界の危機となれば、軍人であるヘルグスに知らせるべきであるし、まっ先に対策を打つべきだと思った。

 だが、自分にこの手紙の真偽は分からない。

 だからこそ、まずはヘルグスの見解を聞こうじゃないかとレナータは思ったのだった。

 しかし、思いをとどまらせる懸念はあった。世界の危機を軍や政府が知っていながら、それを秘匿している可能性。


 ともすれば、レナータは軍事機密を知ってしまったことになるし、それをばらしたことになる。

 これは大きな罪になりやしないか。

 レナータは悩んだ。相談すべきか黙っておくべきか。

 そして、レナータはここで妙案を考えついた。

 何てことはなかった。進路について悩みを打ち明けたときも同じだ。


 ヘルグス夫人にまずは相談しよう。

 ヘルグス夫人は穏やかで実直な女性だった。

 打ち明けた秘密は決して漏らしたりしなかった。

 たとえ、夫に対しても、女の約束は守るのがヘルグス夫人だったのだ。


 ある日の晩、夕餉を食べ終えたヘルグスは先に床に就いた。

 レナータは居間で夫人と二人きりになったところで、話を切り出した。

 レナータは夫人に手紙を見せた。

 夫人は優しい手つきで手紙を取り、「手紙なんて古風で味があるわね。」と言いながら、微笑んだ。


 だが、手紙の文面に目を通した瞬間、夫人の表情からは笑顔が消えた。

 続いて表情全てが消えた。

 彼女は全くの無の表情になった。

 次第に手指をカタカタと振るわせ始めた。

 夫人はレナータに質問した。

 暖かい声色はどこにもなく、詰問するようにレナータに問うたのだ。


 「これをどこで手に入れたの。」

 レナータは咄嗟に身をよじった。

 驚いて返す言葉もなかった。

 ヘルグス夫人は優しさの面影を一切なくし、鬼の形相でレナータを見た。

 天使のように優しい人でもそこまで恐ろしい表情ができるものかとレナータは驚愕した。

 レナータの無言に夫人は「答えなさい!」と怒鳴りつけた。


 レナータは不意に怖くなった。

 何もかも夢心地だった。

 夫人の質問に答えることなく、レナータは自室に逃げ込んだ。


 明朝。

 早番のために身支度を済ませたヘルグスが居間に行くと、首を吊った妻の死体がそこにはあった。

 キュルキュルと首つり用の縄は音を立てている。

 つい昨日まで夫人であったその身体はこれ見よがしに縄に吊られてて、風鈴のようにくるくると回っていた。


 ヘルグス夫人のそばには紙の燃えかすが落ちていた。

 何か手紙のようなものを暖炉の火で燃やしたようだった。


 レナータは夫人の死体を見ることはなかった。

 レナータが自室から起きてきたとき、ヘルグスは必死で彼女を部屋に閉じ込めた。

 それから、事の次第が分かったとき、ヘルグス夫人の遺体は既に病院へ運ばれていたのだった。

 そして、ヘルグスはレナータから手紙の話を聞いて、ただなにも言わず空を見上げた。


 「この話は忘れろ。そして手紙の内容もきれいさっぱり忘れるんだ。いいな。レナ。」

 冷淡な口調でヘルグスはそう言った。


 「10年後に戦争が起こるの?」レナータは引き下がれないと思った。

 なぜ、夫人が自殺したかは分からない。

 だが、それだけの影響があの手紙にはあった。

 とすれば、内容はただの妄言とも言いがたい。


 これ以上、家族を失うのはたくさんだった。

 10年後に起こるだろう戦争によって、ヘルグスは軍人として死ぬかも知れない。だから、咄嗟に言葉は出た。


 「危ないよ。もう軍人なんて辞めてよ!父さん!」

 泣き叫ぶレナータの頬に衝撃が走った。

 ヘルグスはその手のひらでレナータをぶったのだ。


 「もうこの話はおしまいだと言ったはずだ。何も言うことはない。もう勘弁してくれ。」

 ヘルグスの目にはゆらゆら揺らめく水面が広がっていた。

 声を押し殺すような口調で、レナータにヘルグスは訴えた。


 「一つ、約束をしよう。」

 「お前はこれから父さんと2人で暮らす。ずっと、2人で静かに暮らそう。勿論、俺は軍を辞めてお前のそばに居る。お前を寂しがらせることはしない。」

  そう言うヘルグスの表情は、口調は、信じられないほどに弱々しかった。

 かつての荘厳な男性としての有り様は形を潜め、そこにはただ涙をこらえてレナータに必死で話しかける中年の男の姿があった。


 「あたしが強くならなきゃ。」咄嗟にレナータはそう言った。

 ヘルグスは、はっとした。


 「レナ。今、なんと言った。」

 「父さんは軍を辞めて。代わりに私が軍に入る。父さんを守れる人間になるわ。もし戦争になっても、私が必ず守る。」


 「馬鹿なことはやめろ。レナ!」ヘルグスの言葉には怒りが帯びた。

 思いがけないレナータの言葉に感情を振るわせていた。


 「私は死なないわ。父さん。私は生きるの。父さんにも生きて欲しい。分かるでしょ。今の私は弱いの。今のままじゃ、きっとおじさんを守れない。」

 「問題は人間ひとりの強さじゃないんだ。レナ。人間にはどうしたって、どうにもならないことがある。だから、知らなくて良いことは世の中には山ほどある。強くなる必要なんてないんだ。レナ。」


 「なんで母さんが死んじゃったのか、その理由を知りたいの!でも、今の私じゃそれはできない。多分私も母さんと同じように自殺するわ。」

 「どういうことだ。」


 「母さんが死んじゃった理由を知りたい。真実を突き止める。そのために、強くなって、真実を暴く。父さんだって守ってみせる。だから、私は軍に入るわ。」


 「馬鹿な娘だ。本当に大馬鹿だ。勝手にしろ。」

 そう言って、ヘルグスは出勤した。

 レナータとヘルグスの会話がそれが最後となった。

 事実上、ヘルグスはレナータとの親子関係を放棄した。

 ヘルグスは突然の妻の喪失により冷静な判断力を失っていた。

 彼の自暴自棄な言葉を聞いたレナータは去ってしまった。

 ヘルグスは自らの過ちを自覚し、娘もいない部屋でひとり、言動を悔いた。


 レナータは出奔してすぐに、軍への入隊申請を済ませた。

 そして、アレクサンドロフにあったホテルに数日仮住まいをして、全寮制教育隊へ入隊を果たした。

 彼女は、教育隊で数多の過酷な訓練を受けた。

 途中、勉学の才能を見込まれて士官学校への編入の誘いを受けた。

 彼女としては出世して、強さを極める好機と捉えたので、拒む理由はなかった。

 それから、士官学校での生活を終え、彼女は少尉の階級を持つ正規軍人となり、各地の紛争地帯で歩兵部隊の指揮をとった。


 戦場で多くの兵士は彼女を戦場の女神様と呼んだ。

 生まれついての白い肌と白銀の髪。それらを目にした多くの兵は彼女に目を奪われた。


 女神様。女神様。


 醜悪な笑みを浮かべて、彼女になれなれしくする者も多かった。

 だが、彼女は挑発に乗ることも臆することもなく、戦いに身を投じ続けた。


「軍人が神頼みとは笑わせるな。」

 彼女は自分を女神と馬鹿にしてくる人間に対してはそのように言い返した。

 自分は弱い。

 未だに、母が死んだ真実にたどり着けるほどの強さを持っていない事を感じた。

 だから、彼女は敵を倒し続けた。

 そして、剣を渡されてからは、彼女は剣が自分の身体の一部となっていく感触を覚えた。

 剣は自分の思い通りに敵をなぎ払った。

 戦いと試練を経て、強くなる。そうした実感を持てるようになった。

 男や女という区別に意味はない。

 強い者が弱い者を守る世界。

 真実にたどり着いた世界。

 レナータはそのために戦った。

 強くなりたいという一心だった。

 そして、コルテン=コラ外郭にて。彼女は地獄の際に立っている。


 だが、負けるわけにはいかない。

 この戦いはあくまでレナータの通過点。死ぬわけにはいかないのだ。

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