第2章:コルテン=コラ外郭防衛戦1
軌道エレベータ「ベルクフリート」奪還作戦にて。
戦場の空気は泥沼と虚空の間をくぐり抜けた。
兵士達は空気の振動に呼応するように、持ち場で仕事を続けていた。
5時間後に作戦が決行される。
人類初の作戦。アライエに踏み荒らされた土地を奪い返すための作戦が始まるのだ。
一部の兵士はひどく殺気立っていたが、多くの兵士はその突拍子もない戦争に現実感を覚えきれないまま、呆然としていた。
相手は大型の荷電粒子砲を無尽蔵に打ち込んでくる宇宙生物。
鉛玉で勝てる相手ではない。
多くの兵士はこのとき、遺書や遺言をしたためるために紙とペンを持参したと言われている。
とはいえ、紙とペンなどという前時代的な道具を使うことが初めてである者も多かった。
肉筆でなにを書くべきか。どんな文章運びであるべきか悩んだ。
故に、遺書を書くために戦闘装備の調整を遅らせた者も多くいた。
そのとき、部隊の運用を預かったセオドール中尉は「死ぬと決まったわけじゃない。遺書の書き方なんぞに時間をかけるな。」と部下を叱責したが、多くの部下の心には響かない叱責だった。
誰にだって大切な人はいたし、その人を残して死ぬほど愚かなことはしたくない。
すると、とある戦車小隊の装填手が名乗り出た。
「物書きについて多少の覚えがある。遺書の書き方に困っている人は僕が教えるから。だから、早く済ませて銃器の整備を再開しよう。」
彼は従軍するほんの1ヶ月前まで学校で文芸部に所属していた。
故にこの発言。自分にできることがそこにある。
だから、彼は勇気を出して名乗り出てみた。
彼の勇気が幸いして、多くの軍人が遺書を書くことができた。
作戦決行1時間前。遺書を描き終えた軍人達は持ち場で戦闘準備を進めている。
装填手が、戦車に詰め込む弾倉が足りないと車長に対して言った。
すると、車長の男は装填手に対して言った。
「どうせ俺たちは今日ここで死ぬ。遺書は出した。お前のお陰で踏ん切りがついたさ。」
「いいことを教えてやる。弾が無ければ誘爆しない。身体を全身火傷にして、苦しみながら死にたくなだろ。お前は。」
車長の目には既に生気が抜けた。遠い目をしていた。
装填手はあることに気がついた。
既に兵士達は遺書をしたためたことで「生」への執着を棄てたのだ。
ふんぎりがついたということだ。
皮肉にも、装填手は多くの兵士にとっての、「死」へ向かうハードルを下げてしまったのだ。
装填手は車長に返す言葉がなかった。
本当にここで死ぬんだな、俺たちは。改めてその実感が胸に落ちる。
そのとき、一人の男が現れた。
制服は士官用のもので、小綺麗な様相。
泥まみれな戦車小隊の野営地にて、大凡似つかわしくない出で立ちの青年がこちらに向かっている。
士官のようであるが、取り巻きもいない。
左官クラスではなく、成り立ての少尉かと思った。
士官学校卒業したてのお坊ちゃんのような連中のことだ。
そういう連中は決まって、最初は現場へ出ることが多いが、現地の下士官にどやされて引きこもるのが関の山だ。
その士官は装填手のほうを見た。それから、こう言った。
「君。砲弾の数は足りているか。エンジン音がやけに軽く聞こえるのだが。」
装填手は耳を疑った。
しかし、装填手はとっさに答えた。「はっ、小隊長殿。」
「弾倉に余りがあります。4つほどです。少し足りません。」
装填手が目の前の士官を小隊長と言ったのは当てずっぽうである。
風貌や年齢からそう判断したまでだ。
すると、目の前の士官は少し顔を赤らめ、頭をかいた。
「やっぱりそう見えるよなあ。元々、指揮官という身分ではないんだ。俺は。」
それから士官は自分の名前をクーゼと名乗った。
階級は驚くことに少佐だった。
「こう見えても、この部隊の総指揮を預かっている人間なんだ。」
装填手は驚いた。
自分と10歳も歳が違わないであろう青年が部隊の最高指揮官だということに。
クーゼは決まりの悪い表情を浮かべながらも、現場の状況を観察している。
「砲弾は調達部に言って必ず届けさせる。出発時刻には必ず。」
その言葉は生気を喪失した車長とは正反対のものだった。
♦︎
クーゼが見たその装填手の少年は目はまんまるで、坊主頭。
純朴さがあった。
普通であれば戦争に来るはずのない、心優しい青年になる人間なのだろう。
そう思った。
そして、国家徴用令によって、そんな彼も戦争に駆り出されたのだ。
装填手の顔には不安の色が帯びていた。
無理もない、まだ見たこともない宇宙人との戦争を体験することになるのだ。
少年に過酷な現実を背負わせる運命を悔いた。
クーゼは、この部隊の総指揮を預かる誘いを断ることができなかった理由はそこにある。
3ヶ月前、統合作戦本部における決定で、クーゼはアライエ掃討作戦における部隊総指揮官を命じられた。
何となれば断ることもできたのだ。
だが、クーゼは命令に従った。
それは国防長官から本作戦実行にあたって、国家徴用令の発令に伴う少年少女の動員が決定されたためだ。
昨日まで学生であった者達には突如として機関銃と手榴弾を持たされて、泥沼の戦地に向かわせるのだ。
それは貞のいい「人質」だ。
少年少女を戦地に送るという理不尽を黙って見過ごすことはできない。
戦争を止めることができなければ、早期に戦争を終わらせるしかない。
クーゼのそうした思いを利用した狡猾なやり口だ。
クーゼはこの戦争で多くの市民が命を落とした事実は知っているし、軍が本格的に武力活動を行うべきことも自覚している。
だが、ひとつだけ。彼が決して許しておけない国の恥。軍の恥がそこにはあったのだ。
俺1人の命で子供が救われるなら、それに超したことはない。
装填手は未だにまじまじとクーゼを見つめている。
クーゼは歩を進めようとしたとき、装填手の少年は言った。
「指揮官殿。私はこの戦争で死ぬのでしょうか。」
クーゼはその言葉を聞き、悔しさのあまり拳を強く握りしめた。
「君は死なない。俺が作戦を指揮する限りは。」
思いがけず、言葉は出た。
少年には未来を生きる権利がある。
大人にとって最も愚劣な行為は、子供の未来を奪うこと。
自分はそうはなりたくないとクーゼは思った。
「君は何のために戦う?」
今度はクーゼが質問した。
その問いを聞いて少年は少し考えてから、「尊敬している人に追いつくため。」と答えた。
少年は口元を緩ませた。
そして、その純粋な瞳でまっすぐとクーゼを見据えた。
「指揮官殿。私はこの戦争を生き抜いて見せます。」
途端に少年は姿勢を正し、敬礼した。
彼のヘルメットには寂れたインクでTOMと書かれていた。
♦︎
コルテン=コラにて
クーゼはベッドから飛び起きた。
首筋や背中には大粒の汗が滴っているのが分かる。
天井は大理石を模したタイルで敷き詰められていた。
壁を反射する光がクーゼの目に入る。
新鮮で生気のある眩しさだった。
外では数人の警察官が見張りをしている。
壁一面を覆う窓ガラスからは、安津州の光景が一望できた。
ここは安津州にそびえ立つ軌道エレベータ「コルテン=コラ」の内部だ。
「トム・ハーディー。あの少年は君だったのか。」
あの日、「ベルクフリート奪還作戦」。
その前夜にて、ある少年兵と会話をした記憶。
それがなぜ夢にまた現れるのか分からない。
結局、少年の名前は聞かなかったのだが、彼がトム・ハーディーであるとすれば、言えることはひとつだ。
あの戦いからトムは帰還することはなかった。
故に指揮官のクーゼはトムを殺した。
クーゼ自身ののミスで少年を殺した。
悪夢が、自らの心を蝕んだ。
自責の念がナイフのように冷たい。
隣では大きないびきが聞こえた。
大熊のように威勢の良い。
隣のベッドを見ると、そこには布団もかけずに無造作な姿勢で仮眠を取るハーディーの姿があった。
彼は父親だった。
彼の息子はトム。
つまり、クーゼが殺した少年兵。
こんな悪夢はほかにあるまい。
ハーディーは自分の息子を殺した張本人の隣でいびきを上げて寝ていた。
クーゼは今まで、ハーディーに本当のことを打ち明けることはできなかった。
戦争という殺戮システムで、クーゼは知らず知らずのうちに大量殺人を犯している。
しかし、クーゼを「殺人者」として裁く者は誰も居なかった。
それはこの社会システムが戦争を是とし、戦争に伴う殺人を致し方なしとしているからだ。
だが、目の前のハーディは1人の父親である。
子供が殺されたことによる怒りはどんな保険システムでも情報インフラでも癒やすことはできない。
殺した者に対する報いを行使する権利があるはずだ。
それならば、いっそのことハーディーに裁きを委ねたらどうか。
ポケットには拳銃がある。
拳銃をハーディーに差し出し、クーゼの脳漿に風穴を開けてもらうのだ。
それが、望んだ報いとなるのではないか。
クーゼは罪からの解放を願った。
コツンとクーゼの足下に何かが当たった。
ふと、見下ろすとそこにはひとつの野球ボールがあった。
転がり込んだボールを呆然と見つめていると、近くから駆け足の音。
そして声がした。
「クーゼ少佐、そのボール投げてくれませんか。」声はシュアンだった。
葡萄茶色の髪が夕日に照らされていた。
顔はすこし上気して、あどけなさの混じった表情。
シュアンはクーゼから10m離れた大広間の向こう側で避難民の子供達とキャッチボールをしていた。
クーゼはボールを拾い上げ、シュアンめがけて振りかぶった。
ボールの軌道は放物線を描き、シュアンのグローブに進んでいく。
ストンという音と共に、シュアンのグローブにボールが入った。
シュアンはお辞儀をぺこりとして子供達のほうへと去って行った。
「うう。」そのとき、ハーディーは苦しそうな声を上げて、瞼をこすった。
置いたままであった拳銃を慌ててポケットにしまい込んだ。
「おお、クーゼ。起きてたのか。」まぶたをこすりながら、ハーディーは言った。
「今起きたばっかだ。」
ハーディーは欠伸をしたあとに、身体を起こすとクーゼの肩に手を置いた。
「クーゼ、お前のおかげで俺は助かった。ここまで来れたのはお前がいたからだ。」
「俺は助けてなんかいないさ。」
「これからも世話になるぜ。クーゼ。」無邪気な笑みをクーゼにむけた。
心の痛みは増すばかりだ。
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