第1章:安津襲撃⑨

 目覚めると天上にはぱちぱちと付いたり消えたりする照明とその照明で小規模な陣取り合戦を繰り広げる数匹の羽虫たち。


 「ここは。」

 クーゼはベッドに寝ていた。

 隣で椅子に座っていたシュアンに話しかけた。

 「医務室です。」


 「なぜ、ここに。」クーゼは記憶がよみがえった。

 そう、あの女が俺に拳をお見舞いしたのだ。


 責務を放棄した。

 あの軍人はそう言った。

 同時に吐き捨てるようにクーゼに拳を繰り出したのだ。

 そのとおりだ。彼女の言葉は真実だ。

 俺がここにいるのは責任逃れの末である。情けない話だ。

 クーゼは思考の渦に入り込んだ。思考は過去にさかのぼる。


 クーゼは今からおよそ10年前に士官学校に入学した。

 何てことない。

 別に出自が良いわけでも、周囲から英雄になることを期待されたわけでもない。

 ただ生きるために、飯を食うための給料を得るために入学しただけだ。

 別に、あの人の言葉が影響したからでもない。


 そこでのクーゼの成績は候補生の中でも、中の下くらい。

 からっきしだったのは戦闘術の訓練だ。

 戦闘術とは仮想敵と実際に戦闘事態となった場合の体術、射撃術等の動きを学ぶ課程。

 勿論そこには銃撃訓練も含まれるのだが、クーゼはそれが全くできなかったのだ。

 的には当たらず、しまいには銃を地面に落とし、教官から何度も自主退学を促された。


 なぜクーゼを強制退学処分にしなかったのか。

 学校自ら処分を下すことは、学校自身が採用の目利きに狂いがあったことを自白することになるからだ。

 官僚主義と軍国主義を醸成する学校なのだから、そのような内部構造ができあがるのは必至だ。

 だからこそ、教官はクーゼに毎度のごとく緩やかな自主退学を促した。

 だが、クーゼはそれには応じなかった。

 断固として拒否したのだ。


 なぜか。クーゼはシンプルにこう答えた。


「他に食う当てがない。」


 落第ぎりぎりのクーゼもなんとか士官学校を卒業することができた。

 それから、中の下の評価を受けながら、クーゼは小隊長、中隊長として着々と現場での勤務をこなしていったとき、彼に一大転機が訪れたのだ。


 それがルーリン川撤退戦。

 今じゃ、国営放送でも取り上げられている話なので、ここでの解説は割愛する。


 要は今まで落第軍人と言われ続け、後ろ指を指されていたクーゼは先のルーリン川撤退戦での活躍により、戦場にて名を馳せる英雄軍人にまで上り詰めたのだ。

 英雄は時代を作らず。ひとえに時代に生かされるのみ。

 時の権力を彩る俳優として生かされ、殺されるのが英雄だ。


 だから、クーゼはそんなものになりたくなかった。

 英雄の自己犠牲による世界創造。

 そういった、犠牲を是とする主張は彼が最も忌み嫌うものである。


 だが、今の世界が英雄を欲していることも抗えない事実だった。

 世界は干上がった海のようだ。

 動けなくなった魚たちがもがき苦しんでいる。

 考えることを辞めた人間。

 税金逃れを生きがいとする人間。

 名誉だけのために生きる人間。

 そんな人間を見ることには飽き飽きしていた。


 だが、ハーディーという男。

 彼は決して栄誉を与えられたわけではない。

 しかし、彼は人知れず社会のために自警団を組織し立ち上がっている。

 彼のような人間こそ時代創造者だ。


 クーゼは思考の海から浮き上がり、立ち上がろうとしたが、身体は思うように動かない。


 「少佐。休んでいてください。」

 シュアンが寝転んだクーゼの顔を不安げにのぞき込んだ。


 「パワードスーツで殴られたんだ。きっと俺は軍に賠償金を請求できるね。」

 「その前に、少佐は軍から減給されてるじゃないですか。」


 軽口のようにシュアンが言った台詞にクーゼは驚いた。


 「待て、シュアン。知ってたのか。」

 クーゼは目を見開いた。

シュアンはクーゼが軍から処分を受けたことを知っていたのだ。

シュアンはクーゼの言葉に反応を示さずに、自分の話を続けた。


 「私と初めて出会ったとき、似たような状態だったの覚えてますか。立場は逆でしたけどね。」


 少女はなおも微笑み続ける。逆行に照らされた表情はまぶしかった。


 「懐かしい。もう一年前になるね。」


 「あのとき、少佐が私を助けてくれなければ、私はルーリン川で戦死していました。」


 「俺は君を助けてなんかいない。むしろ俺が助けられたんだ。」

 クーゼは視線を不意に落とす。 


 今の自分は没落した軍人の端くれ。

 かたや、シュアンは技術士官学校に入学した後、順調に学績を収めている将来有望な軍人だ。

 だが、シュアンはクーゼを、あのときと変わらない表情で見つめていたのだ。羨望のまなざしは今のクーゼには眩しすぎた。


 「そんなこと、ありませんよ。少佐は私を死の淵から救い出してくれたんです。私に生きる場所をくれた。私を使い捨ての軍隊から引き抜き、技術士官として私を育ててくれた。」


 「よせ、シュアン。もう昔のことだ。しかし、参ったな。その後の俺の処遇まで、君が知っていたとはね。今の俺はもうただの人。君が憧れるべき軍人ではない。」


 「昔のことなんて、そんな悲しいこと言わないでくださいよ。私にとって貴方は永遠に英雄なのですから。」

 シュアンの声は小さく弱々しいものになっていった。クーゼは続く言葉をうまく聞き取れなかった。


 「どうした、シュアン?」


 「昔の話にしないでください!」シュアンは突然、強い口調でそう言った。


 クーゼは自らの言動の愚劣さと鈍感さを悔いた。

 逆行で光り輝いて、シュアンの表情はよく見えなかった。

 彼女の頬にはかすかではあったが、雫が伝っていたのがわかった。


 「シュアン!」

 呼びかけたとき、事は遅すぎた。

 クーゼベッドから起き上がったが傍らにはもうシュアンの姿はなく、洗い立てのハンドタオルと消毒液の香りが部屋に残されているだけだった。


 昔の話だ。

 そのとおり、俺が名声のある軍人であったのは昔の話で、今はこうして一般市民として余生を謳歌する、そう、そのはずだったのに。


 彼女はまだ、俺を信じていたのか。

 彼女は俺が軍から追放されたと知ってもなお、手紙を絶やさなかった。

 つまり、シュアンは俺が再び立ち上がることを信じていると言うのか。


 クーゼは彼女の感情を理解できなかった自らの愚劣さを悔やんだ。

 じゃあ、どうすればいい。


 俺はもう軍人としての職を下ろされたのだ。

 ここでは無力だ。シュアンの思いにも答えることができない。


 その時、声が聞こえた。心の中で。


 「人にために働きなさい。」


 あの人の言葉がこのとき、なぜかクーゼの脳内で反芻した。

 幼い日のささやかな思い出に過ぎないというのに。

 なぜ、思い出すんだろう。


 今更、ここにる人達のために、俺に何ができると言うのか。

 クーゼは苦笑いを浮かべた。

 手のひらにはあのときと同じように、少しばかりの血と鉄の香りがしたように感じた。そして、ほのかな暖かみも。


 頑張ったじゃないか。俺は今まで十分やってきた。

 もう頑張らなくたって良いじゃないか。

 俺は世界を救う力などない。

 どうだっていいじゃないか、宇宙から文明を凌駕する敵が来てしまったら、かないっこないだろ。


 クーゼは心の声に反論した。

 もうどうしようもないのだと。

 希望は残されていないのだと。


 だが、あの人の言葉は心を反芻するのだった。

 分からない。

 分からないんだ。

 だから教えてくれ。

 俺はルーリン川で頑張ったはずだろう。

 なのになぜ、こうなった。教えてくれよ。


 答えは返ってこない。当然だ。あの人は俺にこの言葉しか授けなかったから。無責任な人だ。


 言葉は意志を伝えるコミュニケーションツールでしかないのだろうか。

 だとしたら、あの人の表情、声色、暖かさ。

 そしてこの言葉が、15年以上たった今でも心の中に刻まれていることに疑問を感じざるを得ない。


言葉は呪いだ。


この呪いはきっと死ぬまで解けない呪いだ。

嘘のつけない感情はある。

それは、シュアンを守りたいという思いだ。

そして、このままむざむざとアライエに殺されることも性に合わない。

殺されるなら、軍の上層部に多額の補償金を請求してからでもいいと思う。


 これが最後だ。

 クーゼはひとつ腹をくくることにした。

 シュアンをこの戦いから守る。

 そして、安津の避難民たちを安全な場所まで届ける。

 今の自分には兵力など殆どない。

 だが、数人の頼れる味方や友人がいる。

 これが最後。やれるだけのことはやってみよう。


 背中が思ったより軽く感じた。

 起き上がるとクーゼは医務室から出て、廊下を駆けていった。


♦︎

 そこまで規模の大きくない自警団の地下基地。

 元はと言えば、鉱山開発を行っていた炭鉱労働者の休憩所兼管理施設として使用されていたらしいが、今では殺風景な空き家のようで、最低限のインフラがあるだけだ。

 そして、単純な構造の施設内でシュアンを探すのは難しくなかった。


 彼女はきまりが悪いのか、人通りのない廊下でひとり、たたずんでいた。

 「シュアン。」

 クーゼは声をかけた。

 シュアンはクーゼのほうを振り返らず、俯いている。


 「悪かった。俺は本当に大馬鹿だった。君の思いさえも踏みにじっていた。」

 なおもシュアンは俯いている。クーゼはかまわず話を始めた。


 「明日、俺は自警団を率いて出発する。相手はアライエの大群だ。今まで以上に厳しい戦いになる。」

 葡萄茶色の髪を揺らすシュアン。言葉はない。クーゼは続けた。


 「そして、俺は今、臨時に技術士官を募集することにした。無線通信も電波妨害で難しい中だ。暗号通信超短波通信、敵状分析。全てに精通している優秀な技術士官を探している。」


 「シュアン。俺の力になってくれないか。」

 それは、精一杯のスカウト。

 今の彼には権威も兵力もない。

 あるのはクーゼ・ヘーゲモニウスというただの人間だけだ。

 シュアンが答えてくれる保証はない。


 対するシュアンは振りかぶり、明瞭な口調で答えた。

 「ええ。きっと、今度はお役に立って見せますよ。少佐。」


 シュアンは葡萄茶色のボブヘアをたなびかせ、クーゼに笑みを向けた。

 「ありがとう。さっそく軍議を始める。俺たちの戦いを始めよう。シュアン。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る