第1章:安津襲撃⑦
クーゼはしばらく目の前に広がる光景を見ることができなかった。
膝を落とし、項垂れた。
予想はしていた。自分が行ったところでなにができたのか。
俺は、銃すら撃てない、部下すらいない無力な軍人であるのに。
また大事な人を殺してしまった。俺のせいで。
「そこの人。ここは危険だ早く避難しなさい。」
聞こえた声は女の声だ。
シュアンではない、もう少し大人びた声。
「ほっといてくれ。」クーゼは投げやりな口調で振り払う。
「そういうわけにもいかない。そこの少女は腰を抜かせているから、動けない。お前で運んでやれ。」
少女?動けない?状況が理解できなかった。
「早く顔を上げて。避難するんだ。」
クーゼは強引に首を持ち上げられた。
なんて強引な奴だと思った。
彼の目の前には惨状が広がっているはずだった。
しかし、事実は否であった。
「怪我はありませんか。」
そう声をかけてきたのは、シュアンだった。
「助かったのか。」ふと言葉を漏らすクーゼ。
事の顛末を理解できなかったが、視線をずらした先には、クーゼの頭を持ち上げた張本人がいた。
その人は黒曜石のように光る金属の戦闘スーツを身に纏い、手には一本の剣を携えていた。
剣先には赤黒い液体がこびりついている。
だが、血の臭いはせず、硫黄を混ぜたような不快な刺激臭が立ちこめていた。
これがアライエの体液。
急速に蒸発しつつあるその液体が剣先にこびりついている。
目の前にはボロ雑巾のように転がるガーラ型の異形。
目の前の鎧を纏った戦士がガーラを殺ったのだ。
「初めて見た。機動歩兵は実戦投入されたのか。」
「分かるでしょう。こっから先は私達の戦場。心配はいらないから、あなたはさっさと避難を済ませなさい。」
そう言い捨てると、機動歩兵の女は部下5人と集合するや別の戦場へと駆けだしていった。
空気の圧力と強力な電磁誘導を用いた空中浮遊を伴う移動方式を用いている、圧巻のスピードであった。
「少佐。ちょっと待って。怪我してるじゃないですか。」抱き寄せたシュアンの服にはクーゼの血染みがついた。
クーゼは痛みを感じなかったが、シュアンのその言葉を聞いた瞬間、現実に戻ったような安堵感に浸り、ついには両手の火傷の痛みを細かに感じとれるようになった。葡萄茶色の髪色。肩の高さまで切り揃えている。
そしてどこか幼げな表情。
シュアン・リエウはまさしく、そこにいたのだ。生きていたのだ。
痛みは逆説的に生への実感をさらに増幅させた。
「再会できてうれしいですけど、外はひどい状態です。避難経路を考えましょう。」
「そうだな。シュアン。まずは色々教えてくれないか。ここに生存者は残っているか。」
「詳しいことは分からないです。ここでは州設立記念祭をしていました。100人くらいの人たちが参加してたと思います。アライエの襲撃があってから、皆が逃げ出しました。私は、警備を任されていましたので、避難民を誘導してました。」
「シュアン。自警団のデモはやっていたのか。」
「デモはやってませんでした。たぶん、デモを始める前に襲撃が始まったので。」
「そうか。ハーディーという男を知らないか。」
「ハーディーさん。知り合いなんですか。」
クーゼはそう言った途端、口をつぐんだ。
シュアンはベルクフリート奪還作戦にクーゼが派遣されたことを知らないはずだし、その後の行く末なども知るよしもないのだ。
迂闊な質問をしてしまったと思った。
「ハーディーさん。」シュアンは瓦礫の向こうを見た。
「俺はここにいる。無事だ。」
見知った顔の男が現れた。
いや、間違いないハーディー本人だった。
「ハーディーか。無事でよかった。」
「クーゼ。お前も無事でよかった。俺はここのがれきでしばらく身を潜めていた。」
複雑な感情はひとまずしまい込み、再び再会を果たせたことにクーゼは安堵した。
「君の仲間はどうした。」
「ああ、助からなかった者もいるが、殆どは地下施設を経由して避難しているはずさ。」
「地下施設。シェルターがあるのか。」
「俺たち自警団の基地とでも言うべきかな、とにかく非常用に作った地下の通路がたくさんあるんだ。地下は火山が活発だから地下通路の存在は危険だし、公にはできないものだが、秘密裏に自警団で利用しているのだよ。今回はこうして役に立った。」
「ハーディー。その地下施設。無線通信はあるか。」
まずは状況を知りたいと思った。
クーゼは咄嗟に通信設備のありかを尋ねた。
「無線か。ここから一番近いA12ゲートにあったはずだ。」
「案内を頼みたい。」
「分かった。付いてこい。」
ハーディーは瓦礫をかき分けて進んだ。
クーゼとシュアンも後につづいた。遠くのほうで爆発音が聞こえた。
アライエの侵攻は止まらないようだ。
一夜もすれば、この街はアライエに一方的に侵略されるだろう。
5分ほど歩いたところに、地下施設への入り口があった。
入口からは坑道のような簡易的な通路が続き、しばらく歩くと、電子錠によって閉ざされた門があった。
門の上側には「A12ゲート」と表記されている。
ハーディーは門の近くに設置された操作盤に暗証番号を打ち込む。
門は軋み声を上げながら、重々しく開き始めた。
門の先には即席の通信設備や埃を被ったモニター類が置かれていた。
「地下施設なんて、非常時にしか使わないからな。最後にここに訪れたのはだいぶ前の話だ。設備が故障してなければいいが。」
クーゼは徐に目の前の通信設備を見回した。
「旧式だが、短波通信にも対応している。おそらく軍から譲り受けたものだね。」
「ああ、そうだと思うが、親父からこいつを譲り受けただけで詳しいことまで俺は知らん。お前は詳しいな、クーゼ。」
短波通信は過去の紛争で多く用いられた、電離層の反射を用いた通信手段。
AAIによる統治と軌道エレベータによる極超短波通信網が完成してからというもの、より情報の高密度化と直進性が向上したため、短波通信は衰退の一途を辿った。
今ではガラクタ品に肩を並べている通信設備なのだ。
それから、クーゼは黙って通信コードの入力、周波数の特定を急いだ。
すると、電波上から声が聞こえ始めた。声の主が誰かまでは分からないが、何らかの議決の最中であることは理解できる。
「おい、クーゼ。これはまずいんじゃないか。立派な盗聴だ。」
「こうでもしないと、軍部から必要な情報を入手できない。」
クーゼは操作盤を見つめながら、周波数の調整を行い、統合作戦本部戦略会議の音声を傍受する。
そして、受信した音声はより明晰なものとなった。
「お前、本当に辺境の役人なのか。そんなことできるか、普通。」
ハーディーはクーゼをややあきれ顔で見た。
通信デバイスからはノイズ混じりではあるが、会議の模様が伝えられた。
『では、採決の結果、安津州への援軍派遣は断念するということになるが。いいかね。』
『ええ、軍を分散させる訳にはいかない。アレクサンドロフにいつ襲撃が起きてもおかしくない現状。首都の防衛を手薄にするわけにはいかんだろう。』
『では、国防長官。結論に異論はありませんね。』
『ええ、これはAAIの決定。異論を挟む余地はありませんからね。作戦本部長は即刻、編成を急いでください。』
『よし、では決まった。安津州防衛に裂く増援は即刻中止。なお、市民の暴動は鎮圧せねばならない。避難誘導のために1個大隊程度は派遣していいだろう。これにて、議論は閉会とする』
クーゼは言葉が出なかった。
それは後ろに控えていたシュアンやハーディーも同様だ。
「俺たちの都市は棄てられたのか。くっそったれ!!」
力任せにハーディーは壁を殴った。
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