第1章:安津襲撃⑤
クーゼは帰路に立ったあとの記憶が殆どなかった。
ふらふらと見知った途を歩き続け、やっと自宅へと辿りついた。
ハーディー。
君に会えてよかったと思う。
少なくともこの都市には自由の息吹が生きていることが分かったから。
だけど、俺は君に対して、取り返しのつかないことをした。
クーゼは玄関で、コートを脱ぎ捨てそのままソファに身体を預けた。
「お帰りなさい、少佐。お疲れのようですね。」
2階から男が降りてきた。クーゼの様子を伺っており、彼の疲労困憊の表情を見て心配そうに見ていた。
「サムザ。俺はもうこの街に居場所がないよ。どこか別のところに行きたい。」
「だめです。旅費も予算が限られていますし、蟄居命令を破ることは許されないでしょう。」
「だがな。久しぶりに応えたよ。」
クーゼは泥にように寝たまま、そう言った。
「少佐。何か嫌なことでも。」
どこに居ても罪からは逃げられない。
俺はたくさんの子供を殺した。
何百人もの兵士を殺した。
自分の中で何かが答える。
半年前のベルクフリート奪還作戦。
その部隊編成と総指揮を任されたのはクーゼだった。彼は半年前までこう呼ばれていたのだ。
共和国陸軍少佐、クーゼ・ヘーゲモニウス。
「少佐。お言葉ですが、ベルクフリートでの一件はそう気に病むものではありません。あれは、少佐の出世をひがんだ連中が少佐を罠にはめたとしか。」
サムザにクーゼは鋭い眼光を向けた。
「サムザ。それ以上は言うな。これは俺の問題であり、俺の責任だよ。」
クーゼは握り拳を力の限り握りしめる。
血が滲むところまで赤くなり、さらに唇を噛んだ。
「で、遺体の回収はどうなっている。」クーゼは自ら話題を転換した。
「未だ行方不明者300人余りで、回収作業は難航しているようですね。」
「行方不明者リストの中から探して欲しい人物がいる。」
サムザは思いがけないことを言い始めた上官に対して怪訝な表情を浮かべた。
「一応聞きます。誰ですか。」
「トム・ハーディーという少年兵。」
「少佐。それを知ってどうするのです。」
「せめて、父親に懺悔したい。俺が殺したとね。」
「少佐、おやめください。それをして誰が幸せになると。」
「俺たちは幸せのために仕事をしているわけじゃない。軍人とは常に贖罪と悔恨の繰り返しだよ。」
「もしものことがあれば、少佐1人の命ではありませんよ。シュアンちゃんをお忘れですか。」
クーゼはその名前を聞くや、苦虫を噛んだような表情を浮かべた。
「その名前を出すのは犯則だぞ。」クーゼはサムザを睨んだ。
「いいえ。貴方は彼女の士官学校入学の推薦者兼保証人となっています。その責任を放棄するつもりですか。」
副官からの手痛い指摘にしばらく沈黙するクーゼ。
机に置いたガラスボトルから麦茶をグラスに注ぎ込む。
それから、飲み干した。アルコールの苦味は喉元に残っていた。
「手紙は来てるのか。まだ。」
クーゼの問いに応えるように、サムザは自室に戻ると麻袋ひとつを持って、戻ってきた。
「どうぞ。まだ読んでいない手紙がこれだけありますよ。少佐。」
どん、と麻袋をクーゼの目の前に突き出す。
中には大量の便せんがあった。
「安津州に入ってから手紙が早く来るようになりましたよ。」
クーゼは無言のまま手紙の山を見つめた。
♦︎
「人のために働きなさい。」
あの人の声がした。
若いが、自分よりは年上な女性で、瀟洒な姿で長い髪を耳にかけ、クーゼの顔をのぞき込んでいる。
クーゼはその女性に髪をなでられながら、涙を浮かべていた。
またあの日の夢か。
最近になって、クーゼは昔日の思い出を夢に見るようになった。
幼く、一番危うかった時期の自分に救いを差し伸べた女性の記憶。安らぎの記憶だった。だが今ではそれも一種の呪いと化している。
俺は人を救える人間になりたかった。
その末路がこの為体だ、あの人に何と説明できるだろうか。
♦︎
目覚めると、クーゼはカーテンレースが木漏れ日と風に揺らめいた部屋の中で、ソファに寝転がっていた。
「懐かしい夢を見たな。」
眠気眼をこすりながら、窓から庭を眺める。
どうやら、昼はとっくに終わり、太陽は沈みつつあった。
下の階ではサムザが晩ご飯の準備をしている。
これが、元陸軍士官クーゼの最近の日常である。
統合作戦本部にて命じられた。
2年間の蟄居命令。
つまり何もするなということだ。
異動と言えば聞こえはいいが、実質的な流刑の身だ。
だが、実際のところ、AAIによる統一国家が樹立してからは全ての残忍な刑罰は禁止されたので、クーゼに課された罰はおおむね、田舎町の一画にあるログハウスで自堕落に生活することだった。
これが、過去の政府であったら、即刻銃殺刑に処されていたところだろう。
皮肉にもクーゼの身の安全は彼が政治や民主運動の停滞を招いたと恨んでいるAAIによって救われていたのだ。
「少佐、いい加減、今の生活では、身体がなまりますよ。」
「俺はもう軍に出て働く気はない、よって、俺は肉体労働に今後勤しむことはない。」
「屁理屈ばかり言わないでください。」
サムザは鍋に火を通しながら、自堕落な上官に苦言を呈する。
時間は午後5時を回っていた。
そろそろ始まる。
安津州成立記念祭。
クーゼは時計を見ると、ふとハーディーの顔を思い浮かべた。
彼に贖罪したら彼はなんと言うだろうか。
許すことはないだろう。いっそ、殺してくれるだろうか。
頭によぎった妄想は、振り払う。
きっと、自分には勇気がないのだ。贖罪する勇気が。
クーゼは手元に握ったグラスコップが小刻みに揺れるのを感じた。
恐怖の余り手が震えているのか。
いや、そうじゃない。クーゼの喉元には反射的に、鋭い感情がよみがえった。
「まずい。奴らだ!」
そのとき、耳を劈く衝撃がクーゼに襲いかかった。
衝撃波によってログハウスの窓は飴細工のようにばらばらに砕け散った。
陽光はさらに照り照りと室内を照らす。
「少佐!これは。」
「この衝撃波は、電磁砲によるものだ。奴らが来た。」
クーゼは周囲の安全を確認すると、玄関から飛び出して辺りを見回した。
前方5km先には大きな黒煙があがっている。
その根元にはいくつもの炎の柱が見えた。
「まずい。あそこは祝祭の会場に近かったはずだ。」
サムザは割れ飛んだガラスを避けながら、クーゼに追従した。
2人はウッドデッキから街のほうを見上げると、サムザは思い立ったように。
「あの方角は、駐屯地も近い。すぐに軍が動くでしょう。」
クーゼは意外そうな表情で答えた。
「駐屯地があったのか。陸軍管轄か。」
「ええ、たしか情報総局の駐屯基地があると聞いていますよ。」
「情報総局だと?何故。」
「何故って。ここは場所的にも開けてますから隠密通信に優れている地形とかだと思いますけど。」
クーゼの喉元には冷たいナイフが突き立てられた。これは嫌な予感だ。
「サムザ!シュアンの手紙はどこだ。」
「へえ。あそこにありますけど。」台所の隅を指さしたサムザ。
クーゼは一目散に駆け寄り、手紙を一枚一枚掘り起こす。
「これは俺がアレクサンドロフにいたときのもの、郵便課到達日付は2日。これも。これも。そして、安津に来てからはこれか。到達日は28日。これもだ。」
クーゼの脳裏には次第にひとつの予感が色濃く浮かび始めた。
シュアンは必ず毎月同じ日付に手紙を寄越してきた。
それが安津に来るや到達日が早まっている。
つまり、シュアンは安津の近辺、いやこの安津にいるのではあるまいか。
クーゼは一番最近に届いた便せんをこじ開けると、力が抜けてくるのを感じた。
クーゼは手紙の内容を目で追った。
「親愛なるクーゼ少佐。早くも季節は秋ですね。私の生活に目立った変化はありませんが、毎日充実した日々を送っていると思います。最近では私の配属部でもアライエの生体解剖データが送られてきたんです。でも結果は、散々。あの複合金属体、一体なにでできてるんでしょうね。私はここで研究をしていつか絶対あなたの副官としてお役に立って見せますから、そのときまでには返事くださいね。
そういえば、30日に戦没者の遺族が国家徴用反対を訴えるデモをするそうです。私は治安警備のために駆り出されますが、戦没者の1人には私の教育隊時代の同期もいます。よろしければ、30日の午後6時から、一緒に冥福を祈っていただけませんか。統合作戦本部情報総局安津支部所属、シュアン・リエウ少尉」
なぜもっと早く気がつかなかったのか。
クーゼは深く後悔した。シュアンはここにいる。
同時に彼は動き出した。
サムザの制止をも聞かず、ランドカーにエンジンを点火した。
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