第1章:安津襲撃②

 レナータはガスと酸化鉄の匂いが立ち込める砂漠の中で深呼吸する。

 空気を思いっきり吸ったことなんて何時間ぶりだろう。

 彼女にとってはそれがどんな悪臭漂う環境であっても、オアシスに感じたのだ。


 同時に彼女は心の中に一つの墓標を作り上げた。

 墓標には「アムネジア」と名前が刻まれた。


 またひとり殺した。

 レナータはふと、機動歩兵小隊の辞令式での出来事を思い出した。

 あの時、レナータはアムネジアとは初対面。

 周りの士官から「冷血の戦女神」と冷やかされ、避けられていたレナータに対して、アムネジアは真っ先に握手を交わしたのだ。


 レナータは驚いた。

 何のからかいでもなく、アムネジアはレナータに親愛と敬意を表した。


 アムネジアは握手したその手でレナータにあるものを渡した。

 レナータの手には、小ぶりの水色のチューブ。

 それは保湿用のハンドクリームだった。


 「安津は乾燥地帯だと聞きましたから、良ければ使ってくださいな。」

 アムネジアはそう言ってハンドクリームをレナータに渡したのだった。

 人の温かさに触れた瞬間だった。

 アムネジアはこの冷徹な戦場、息苦しい軍組織の中で純粋な思い遣りをレナータに向けた。

 そして今日、アムネジアは無惨にも、ものの数分の戦闘で死んだのだ。

 

 紛れもなく、隊長である自分のミスだ。

 死体さえ消し炭となった。


 レナータは心を震わせる。

 自分には帰る場所はどこにもないのだと思った。

 レナータの心の安らぎはどこにもなかった。

 あるはずはない。この世界は見ての通りの地獄と化したのだから。

 だから、軍人としての勤めを果たすことが唯一の拠り所。


 「レナータ隊長。司令部との通信繋がりません。アライエに襲撃されたと見るべきかと。」

 「ちょっと待ってよ。いつまで戦えば良いのそれ。死ねってこと。」

 隊員の1人が絶句していた。

 「バッテリーの補給だって追いつかない。このままじゃ戦えないぞ。」

 もう1人慌てふためく。

 無理もない。

 彼らは満足な訓練も受けずに、この死地に立たされているのだ。


 退路が絶たれた状況で、レナータたちは死ぬまで戦い続けるしか道がない。

が、レナータは平然とした表情で答えた。


 「私たちのやる事は変わらない。少しでも多くの住民を救うわ。」


 この身がある限り、自らの職務を果たす。

 そうする事でしか、この世界で生きる術はないのだから。

 部下の隊員たちは平然としているレナータを見て、言葉を失った。


 それでも隊員たちは黙してうなづいた。

 レナータの言葉は静かだった。

 だが、彼女の凄まじい戦闘能力、作戦指揮を目にした隊員達は、その言葉に心を震え上がらせる気迫を感じた。


 実戦部隊に配備されてから、レナータが毎日、仲間の死を見届けた。

 同期や先輩、後輩、恩師、諸々の人間がいとも簡単に死んでいった。

 戦場において、尊厳とは幻だ。


 アライエが地球に降り立ったことで、この星間戦争は始まった。

 奴らは都市を蹂躙し、人々を殺戮することを本能とした宇宙生物。

 奴らは強力な金属表皮に覆われているため、通常の兵器で駆逐する事はできない。

 有効打は特殊なタングステン徹甲弾を装填したパイルランチャーによる攻撃と金属溶断型軍刀による斬撃程度。

 アライエは多脚を用いた高速移動を行うので、機動力で引けを取ることは命取りだ。

 絶望的な状況の中、共和国は決戦兵器として、ストリングスを開発し、一部の適性のある軍人にそれをあてがった。

 故に、ストリングスは人類の反撃の一手であるし、最後の希望でもある。だが、現状は最悪だ。

 ストリングスをあてがったところで、機動歩兵を有効に運用できる部隊組織の育成が間に合っていない。

 故に、一部の小規模部隊に多くのしわ寄せが及ぶ。


 レナータ達はストリングスのバッテリー残量を確認すると、早速出発した。

 安津州成立記念祭の近辺で指向性ビーコンの信号が発せられていたらしい。

 指向性ビーコンは通常、軍で使用されているものだ。

 きっとこの先に援軍が到着したに違いない。

 この孤立無縁な戦況の中で味方部隊との合流は心強いものだ。

 機動歩兵小隊は再び、戦場の荒野を突き進んだ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る