第6話 初めての贈り物は祝いか呪いか


満姫みつきはね、世界一幸せで可愛い、私のお姫様・・・

 母親はいつだって自分に言っていた。幼い自分は、「自分は可愛いんだ」と無邪気に信じていた。


 しかし、現実は残酷だった。


「みつきちゃんは、シンデレラはにあわないよ!」

「おひめさまじゃないよね~」

 幼稚園のお遊戯会。シンデレラ役に自信満々で立候補したが、周りの反応は厳しかった。

 その時は、まだ『あれっ?』という気持ちだった。


 けれど、小さな綻びは、時が経つごとに大きくなっていった。


「お前みたいなブスに、姫って似合わねー!」

「てか、読み方さ、まんきーのがあってるって!」

「まんきーまんきー! ウッキキッ! おい、ブス! 反応しろよ!」

 書道の授業で書いた自分の名前を指差し、馬鹿にする男子たち。その周囲でクスクスと笑うクラスメイトたち。何人か助けてくれた子も居たが、「気にしなくていいよ」とだけで、誰も良い名前だとは言ってくれなかった。


「ねえ、さっきのお姫ちゃん、今日もうちらのこと友達だと思って、必死だったね」

「ねーだっさい名前褒めたら、簡単に舞い上がってさ」

 女子トイレで陰口を叩く二人の部活仲間。その言葉は、今でも耳にこびりついて離れない。


「え、これ、あの満姫ちゃん? めっちゃ、名前負けしてるじゃん」

 大学で初めて会ったサークルの先輩の一言。

 素直な気持ちで、出て来た言葉。すぐに謝罪してきたが、余計惨めだった。


 そして、社会人になっても、「満姫」という名前は自分に深い影を落とした。と言っても、大学時代で性格は随分ねじ曲がり、皮肉を返せるように進化していたが。

 母親の願いはわかる。しかし、私は可愛くないし、もう可愛くなりたくもない。


 ……ああ、自分の名前が大っ嫌いだ。


 ————————————


 東京駅、八重洲地下街。


 様々な店が連なる中、ふくよかな黒ワンピースの女が派手な看板のタイ料理店へと入っていく。異国情緒あふれる空間、独特なスパイスや調味料の香りが彼女の鼻腔を掴んで離さない。


 今日は美味しいタイ料理が食べられそうだ。

 冴島満姫さえじまみつきは、思わず口角を吊り上げる。

 今日のためだけに、久々に化粧をし、再従姉妹である琴子と一緒に黒いワンピースも買いにいった。どれだけ、楽しみだったか。今日は勇気を一歩、踏み出した日だった。


「あ、さえ・・ちゃん、こっちこっち」

 楽しみのあまり、入り口で不気味に笑いながら立ち止まっていると、団体テーブルにいた女性の一人が立ち上がった。黒髪清楚な美しい女性は、事前に伝えていたあだ名を呼びながら、こちらに向かって手招きをする。


「すみません。遅くなりました」

 呼び声に応じて、さっさと席へと歩みを進める。

 そして、頭を下げながら席に座ると、皆は「待っていたよ!」と明るく迎えてくれた。

 皆の首にはネックストラップの名札が掛けられており、それぞれのあだ名が記載されていた。


 勿論、自分の席にあった名札には『さえちゃん』と書かれており、その上には『名前を幸せに変えたい』という文字もあった。

 早速着けると、先ほど自分を呼んだ女性が、「ビールで大丈夫?」と緑色のビール瓶を持ちながら尋ねてきた。

 もちろんと頷いて、手元の空のコップを差し出した。

 なみなみとビールが注がれ、シュワシュワと炭酸の弾ける音が聞こえる。


「それじゃ、全員揃ったわね。今日は新人さんの『さえちゃん』もいるから、『名前を幸せに変え隊』の皆は一杯会話してあげてね。じゃあ、改めて、かんぱーい!!」

「「「乾杯」」」


 場を上手く仕切る姿に、もしやこの女性は——。

 胸元の名札を見て確信した。


「今日は誘っていただき、ありがとうございます。代表のみり・・さんですよね」

「いえいえ、寧ろ、急にDMしたのに。来てくれてありがとうございます!」

 そう、この『名前を幸せに変え隊』に招待してくれた張本人だった。


 きっかけは、少し前のこと。

 最近入ってきた妙齢の中途社員に、「名前に姫ねぇ。思ったよりも・・・・・・可愛い名前で、いいわねぇ」と意味深に笑われたのだ。

 いつもの私だったらすぐに反撃していたが、その時は忙しすぎて、相手にする気も起きなかったのだ。

 それが、後になってボディーブローのようにじわじわ効いてきて、心身に鈍い痛みを残した。

 残業後の深夜、ふいに思い出して、心に鈍い痛みがぶり返した。

 ぶつけるべき相手は、もう既に目の前に居ない。

 悶々とした気持ちに我慢が出来ず、つい、SNSで愚痴を吐いてしまったのだ。


『また、名前で笑われた。思ったより可愛いって、嫌味なのは知ってる。ずっと言われ続けてるんだから。こんな、名前なんて嫌いだ』

 ぼろりと、呟いた呪いのような言葉。誰もが気にも留めない小さな呟きに、反応してくれたのが『みりさん』だった。

 最初は警戒心があったが、みりさんとやりとりをしている内に自分と同じく、名前を変えたいという人でこういう集まりをしていると教えてくれたのだ。


「ここは大なり小なり、名前で苦労した人達の集まりだから。私も、元々の本名にはかなり苦しんでね」

「そうなんですか……ちなみに、お聞きしても?」

「勿論。私の本名は『大山 さとし』よ」


 名札の裏を見せたみりさん。『大山 さとし』という字が書かれている。

 思わず、瞬きをする。その名前はどう考えても、男の名前のように聞こえた。みりさんは、コップに入ったお酒を一口飲むと、更に言葉を続けた。


「生まれた時に、父親が『男しか認めない』って勝手に名前を出しちゃって。しかも、死んだおじいちゃんと同じ名前、母親も逆らえない人で、ね」

「それは、なんて勝手な……」

「クラスメイトから揶揄からかわれるし、面接でも男名で女が来るから怪訝な顔されるし、だから大人になって『実理みり』って名前に変えたんです」


 日本で改名するには、なかなかハードルの高いものだと、前に調べた時に知った。

 たしか、家庭裁判所に行って、今までの経緯を説明し、正当な理由であると認められる必要があるらしい。

 みりさんの場合は、確かに名前のせいでわかりやすい実害が出ている。


「さえちゃんは、名前を聞いてもいい?」

「はい……でも、そんな大したことないかもですが。冴島満姫、です。満ちた姫って、意味らしくて。でも、私は昔から姫って柄じゃないって、ずっと言われてきたんです」

 みりさんの話の後に、自分の話をするのは少々気が引けたが、素直に話した。

 こんな小さな理由でと呆れられないか少し心配だったが、「名前のイメージと違うからって酷いわね!」と思ったよりも力強く賛同してくれた。


「お、本名の話?」

 横から一人の男性がひょいとやってきた。カジュアルな服装の二十代っぽい人で、眼鏡がよくハマる人だ。


「あ、『マイケル』さん」

「はは、隣で聞こえちゃって。ちなみに、俺の本名も『舞華琉まいける』です」

 聡太さんも、名札を持ち上げる。


舞華琉まいける

 俗に言う、DQNネームの類いではあった。


「世界にも通用するし、偉大なるポップの帝王になるようにって。祖母がはっちゃけまして」

「はっちゃけ、ですか」

「まあ、今の俺は普段海外で働いてるから、昔ほど名前には苦労してないけどね。ただ、日本では息苦しかったかな~」

 

 普段はカナダでITインフラの導入等の仕事に就いているらしく、留学してから永住も検討しているようだ。

 こうして話を聞いてると、一人また一人と私のところに来ては名前の話をしてくれる。


「俺は『権之助ごんのすけ』、うちの両親が出会ったのが権之助坂という目黒の坂で。平成にシワシワネームどころか、化石ネームつけられて、上司からもよく笑われてます」

 たしかに、あまりにも時代錯誤な名前も問題があるか。

 

「夢の雲で、『夢雲ムーン』。いや、どれやねんって思いますよね。散々、先生とかに、いじられ倒されて。けど、母親的には『個性的で可愛いじゃない!』って」

 読めて可愛い名前だが、個性的すぎるのも難しいのか。


「どうも、『れん』です。名前だけでイケメンだと期待されて、顔見てがっかりされる悲しい男です……」

 名前だけで想像される辛さはよく分かる。思わず、お互い共感しあった。


「『愛子あいこ』って普通になんですけど、実は父親の浮気相手の名前だったんです。しかも、めちゃくちゃ美人な人で、そうなってほしいって……。それがバレてから、母親とも距離が出来て最悪なんですよ」

 酷い理由である。普通の名前でも、由来のせいで溝ができるなんて。


なぎさみやこと、『渚都みなと』、絶対読めないやつで。本家の偉いおばさんが着けたんですけど。だから、『港都』に改名予定で。でも、名前変えたら本家が縁を切るとは言ってて、難しくて」

 偉い人からの命令。各家庭の事情はわからないが、本家とかが絡んでくるのは大変そうだ。


「母親が再婚して、そしたら、名字が『織田おだ』、下が『真理まり』。クラスメイトから『おだまり!』って馬鹿にされるのは当たり前で……。だから、結婚して渡辺になりました! ただ、今もアニメとかで『おだまり!』って聞こえてくると、身体がビクってして」

 再婚したことによる名前との噛み合わせ問題。思春期の傷は今も深いものだ。


 他にも、『円世瑠えんじぇる』、『皇帝こうてい』、『美知びっち』、『巨根ひろもと』。 


 一人一人の名前に纏わる歯応えのあるストーリーが、沢山出て来た。

 名前についての愚痴を大っぴらに話す場所がないから、その鬱憤が一気に吹き出しているのかもしれない。

 エピソードも相当濃くて、満姫みつきなんて、まだマシなのではと思うほどだ。


 最後に自分のところに来た男性。優しそうではあるが、青白く儚い印象だ。しかし、彼の名札に書かれたその文字列を見た瞬間、思考が止まった。


錐坂きりさか眞人まなと

「名前見れば、分かるかな。僕は、『錐坂きりさか眞人まなと』。銀座で起きた大量殺傷事件の犯人と同じ名前なんだ」

 十年以上前。半グレだった『錐坂きりさか眞人まなと』が、銀座のクラブに侵入しナイフで暴れるという事件を起こした。


「こんな珍しい名字と名前なのにね」

 そう言って悲しそうに、事の経緯を教えてくれた。

 まず、犯人とは彼は直接の関わりがない

 ただ、母親が産院で一緒になった女性がたまたま『同じ名字』で、仲良くなったらしい。そして、会話の流れで子供の話題になったのだ。

 名前と着けた経緯——名前と懇意にしているお寺のお坊さんに相談して、着けてもらったものだとも話したそうだ。

 ただ、お産を終えた母親と眞人さんは、母方の祖母宅へとお世話になったため、関係は途絶えてしまったそうだ。


 そう、同姓のお母さんが、『眞人』を自分の子にも着けたということは知らずに。


「『御利益のある名前だと思ったのに、息子はグレた! どうしてくれる!』って、母親に逆ギレしてきたのは笑いました」

 事件が発生した後、眞人さんのお母さんは事の経緯を知るために調査し、このなんとも理不尽な巻き込まれを知ったのだ。


「昔からたまに名前を聞いたら、『あれ?』って顔をする人に出会ったり、よく分からない脅迫があったりしたんですけど……自分と同じ名前の人が、犯罪者だったなんて。お陰で、インターン先から急にお断りが来たり、バイト先クビになったり散々でした」

「それは……お疲れさまです」

「ありがとうございます。なので、下の名前を『眞仁まひと』に変えたんです。そして、今は結婚して名字も『斎藤』になりました」


 名前を全部変えることになった、のか。

 言葉が出なかった。


「名前って、一応は心を込めた贈り物なのに……」

 あまりにも、辛い話だ。

 特に、眞人……今は眞仁さんなんて、完全な貰い事故。

 親だけではない、様々な外的要因で、世間から問題のある名前にされてしまう。


「ただのプレゼントならこっそり捨てられるけど、名前はそうはいかないのよね」

 みりさんは遠くを見ながら、目の前のパパイヤのサラダを摘まむ。


 なんて、怖い贈り物だ。

 誰かがはっちゃけたら、逆らえない力が働いたら、不運が起きたら。

 祝いの贈り物だったはずなのに、途端に呪いへと変わる。

 そして、受け取る赤子は、その名前の呪縛を拒めない。


 箸を伸ばして一口食べる。酸味のあるドレッシングと、シャキシャキしたパパイヤ。

 どれだけ食べても、気持ちは晴れなかった。


「みりさん、少しいいですか?」

「どうしたの?」


「そもそも、簡単に変えられない名前に対して、馬鹿にして笑うやつが悪いって思うんです」

「たしかに、そうね」

「ていうか、名前だけじゃなくて、例えば体型とか、声とか、顔とか……そういうの、馬鹿にする腐った性根のが治すべきなんですよ。黙ればいいだけです」

「ほんと、その通り」


 けれど、それが理解されないことも多いのが現実だ。

 理解されないから、世間は馬鹿にされている方に、ダイエットしろ整形しろと努力を求める。言われたくないなら変われと、安易に言葉を投げつける。


 今度はいつの間にか皿に取り分けられていたガパオライスを口に運ぶ。香ばしい香りと甘辛い味が口に広がる。……しかし、心には響かない。

 みりさんの方を見ると、グラスに余ったビールを注いでいた。


「でもね、世界って、そういう大きくて強い声のが強いのよ。残念なことにね。だって、誰かを見下すことが、一つの娯楽になってしまってる」

「……そうですね」

「『いやだ』って言ってるのに、面白いから許されるなんておかしいのにね。昔は恐ろしかったけど、今は本当に可哀想な人たちだと思ってる」


 どんよりとした気持ちで、エビの揚げ春巻きを食べる。絶対に外れのない味のはずなのに、正直少し悲しくなってきた。

 しかし、ここまで話してきて、一つだけ明確になったことがある。


「……やっぱり、『やめろ、黙れ』と言い続けるしかないですね」

 ここにいる人たちは、変えることを選んだ、または選ぼうとしている人たちだ。

 正しい選択だ。他人を変えるよりも、自分を変えることの方が効率的だ。恨みや怒りを抱え続けるのは、体にも心にも負担が大きい。


 けれど、私はもっと残念なことに、それで納得するほど性格がよくない。


 何故、私が面倒くさいことを引き受けて、変わらないといけない。……口だけのやつらこそが、真っ先に変わるべきじゃないか。

 勿論、改名を考えるくらいには、自分の名前は大嫌いなのは変わりない。


「さえちゃんは、強いのね」

 みりさんの声が、少し小さく随分と落ち着いていた。 


「そうでもないですよ。ただ、性根が腐ってる可哀想な人が、安易に誰かを傷つけないでほしいだけなので」


 強くはない。沢山傷ついて、心臓のかわが分厚くなっただけだ。だからこそ、この分厚さを武器にして、かつての自分のためにも言い続けよう。


 みりさんは「昔の私も、そう言えれば良かったんだけどね」とポツリと呟き、グラスに残っていた少しのビールをくいっと飲んだ。

 それに続くように、目の前のグラスの残りを喉に流し込む。既に温くなったビールは、あまりにもまずかった。


 この気持ちは、絶対に忘れない。


 週明けの月曜日、怖ろしく忙しい一日だった。

 しかし、例の中途社員は手が回らないのに、口が回るのは変わらなかった。仕事が進んでおらず、原因を尋ねただけなのに、「パワハラですか?」と返してくる始末。

 呆れながら聞いていると、さらに余計な言葉が重なる。


「名前は人を表すって言うのに、ね」


 怒りではなく、まず感じたのは——深い哀れみだった。

 ああ、なんと、可哀想な人なのか。


「そうですね、私もそう思います。——ねぇ、塩山しおやま正子まさこさん」

 目を見ながらフルネームで呼べば、彼女は大きく目を見開き、次第に顔を赤く染めていく。


「なっ……馬鹿にしました? それは、パワハラでは……!」

「塩山さんの意見に、賛同しただけですよ。名前なんて、所詮、親から勝手に与えられた識別番号みたいなものですから。どうぞ、訴えるなら関係各所にご連絡してください。私はこれから仕事をしますので、お互い静かに仕事しましょうか」

「はあ?」


 イライラとした表情の彼女を見つつ、「あと、人間関係構築するのに良いこと教えますけど」とこちらも余計なアドバイスを連ねることにした。


「5分で変えられないことを指摘するのは、慎重にした方がいいですよ」


 名前をいじるのは幼稚なこと。そして、黙って仕事するのは5分でできることだろと。

 最後の忠告が効いたのだろうか、中途社員は怒りながら、グループ長のところへと向かっていく。

 これでクビが飛んだらそれまでかと思いつつ席に戻ると、遠くから獣の雄叫びと上長の「ランチの時に聞くから、今は頼んでいた資料作成を進めて!」という切羽詰まった声が聞こえてきた。


 忙しい月曜日は何事もなく過ぎて、次の日、中途社員は怖いほど黙々と仕事をしていた。

 それからチャット以外で会話する機会もほぼ無く、プロジェクトが終わると共に彼女は別の部署へと移動していった。


 彼女の姿が消えたのを見届けた後、ようやくもう一度あのタイ料理屋に訪れた。


 前回は味気なかったガパオライス。同じ物のはずなのに、今日は違った。

 揚げ焼きされた目玉焼きの半熟の黄身。

 バジルとナンプラーが香る挽き肉。

 ぱらぱらのジャスミン米。

 ——すごく美味しい。

 心が、じんわりと満たされた。


「思えば、名前の由来って、幸せに満ちたお姫様になるようにだっけか……」


 お姫様にはなれなかったが、今はある意味幸せだ。

 そうして、また一口ガパオライスを口に運んだ。




 

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