第4話 質問いいですか
ツカサが銃を下ろした。
「レイジ」
呼びかけに対し、男の口がツカサか、と動いた。男は『鳥』をぽいと捨てて近づいてくる。
何の違和感もなく割れた窓から入ってきたその男は、近くに来るとすごく背が高かった。190あるラードルフより高い。
耳にたくさんついたピアスが、音を立て、きらりと光を反射する。反対に、真っ黒な服装は光を全く反射しない材質らしく、純黒だ。
そして、その顔がはっきりと見えるようになって、はっとするほど整った容貌と、どことなく近寄り難い雰囲気、その目から得たいの知れない力を感じ、人外だと容易に知らされた。
レイジ、と呼ばれた男は、見たこともない赤い色の目でサラマンダーを見やった。
「なんだありゃあ」
「サラマンダーだってよ」
「なんだそれ」
「ああいうやつ」
見事なまでに生産性のない会話だったが、ナギは口を挟まなかった。
なぜなら、男の様子を窺っていたからだ。やり取りからするに、完全にツカサの知り合いのようだが、近寄りがたい雰囲気を感じていた。
「ラードルフさん」
小声で呼びかけると、ラードルフが身を傾けて顔を近づけてくれる。
「あのひと、誰か知ってます?」
「ええ。私は仕事のときに何度か顔を合わせたことがあるくらいですが。この界隈では、有名な方です」
どの界隈?
自分は知らなかったのだが?
ナギの頭には疑問符が浮かびまくり、それが分かったのかラードルフは「彼は」と情報を付け加えようとしてくれた。
「吸血鬼って、皮膚が特別厚かったりするか?」
………………今なんて?
思わず、ツカサの方を振り向いて彼を凝視した。
そんな視線には気がつかず、ツカサは赤い瞳の男と話している。
「普通の刃物じゃ貫けないくらいにはな。だが熱は知らねえ」
ナギは、会話をよそに再度ラードルフに顔を向け直した。すると、ラードルフはただ頷いた。
「ツカサ、それ貸せ」
近くでは、男が、ツカサが背負っているライフル銃を要求した。
「レイジ、銃なんて使ってたっけか?」
訝しげにしながらも、ツカサが「まあいいけど」とライフルを渡す。
「殺すなよ」
「なんでだよ」
「何でも」
ツカサは子供の言い分のように、いい加減なことを言ったが、男はわずかに眉を動かしただけで大して気にしなかったようだ。
「分かった」
「って言っても、それの威力じゃ貫けねえと思うぞ」
さっき、ハンドガンの弾丸はサラマンダーを撃ち抜けなかった。しかしツカサは背負っていたライフルを出そうとしなかったので、きっとそれでも無理だろうと判断したのだ。
しかしながら、ツカサの補足を受けた男はにやりとした笑みを浮かべた。
「誰が撃つって言った?」
「は?」
直後のことだ。弾丸よりも目にも止まらぬ速さで、ライフルが投擲された。そしてそれは、サラマンダーの腹に刺さり、壁に縫い付けた。
「おい俺の!」
愛用の銃が用途とまるで異なる雑な扱いを受け、ツカサが珍しすぎる声を出した。
「銃弾より早く投げてやれば貫けるみたいだな」
「レイジ、俺に言うことあるだろ」
「悪かった」
くそ、とツカサは恨みがましげに槍の代用をされたライフルを見たが、それ以上は言わなかった。
「まあこれで、ここを離れられるか」
「いえ、ツカサ、残りの『鳥』の処理は必要ないようです」
ラードルフが空を仰いでいた。狼の耳がぴくぴくと細かく動いている。
「どういうことだ?」
「『鳥』が離れ始めました」
ツカサも怪訝そうにしたが、ナギも同じ表情をした。なぜこのタイミングで?
もしかして、あの少し大きな『鳥』がやられたことと関係あるのだろうか?
ちら、と確認した窓の外には、赤い瞳の男が雑に放っている『鳥』の死骸がある。
「とりあえず、一件落着ってことか」
B棟には目の前にあった入り口からは入れそうにもなかったので、B棟の中がどのようになっていたかは定かではない。
サラマンダーは、マグマをものともしない装備の人員がやってきて回収していった。刺されているが大丈夫かと聞いたら、生命力が高いので大丈夫だろうと言われた。
サラマンダーが運ばれていくのを見送って、ツカサたちのところへ戻ると、ツカサが溶けかけているライフル銃を持って赤い目の男にぶつぶつ言っているところだった。
ラードルフはいない。きょろきょろとラードルフの姿を探すのをやめて、大人しく静かに戻ってきたナギに気がつき、ツカサは首をかしげる。そして、ナギとレイジを交互に見る。
「ナギ、おまえレイジと会うの初めてか?」
レイジ、と雑に溶けかけのライフルで示されたのは、背の高い男で。その赤い目がナギへ向けられる。
ナギは頷き、慎重に口を開く。
「あの、さっき、吸血鬼って」
ツカサが言い、ラードルフが肯定するように頷いていた。
おずおずと、小さな声で言い、様子を窺う視線を誤解されたらしい。
「俺はもう行く」
レイジがすっと自然にその場を後にしようとした。それをツカサが止める。
「あー待てよレイジ。こいつ、怖がってるわけじゃない」
まさかそんな誤解をされているとは思わず、ナギは驚く。
立ち止まったレイジがこちらを向き、目が合ったことで慌ててぶんぶんと首を振る。
「世界が交わる前、吸血鬼っていうのは人間だけの世界にとっては想像上の存在だったって知ってるよな」
「一応な」
「こいつ、そういうの大好きなんだよ」
「大好き?」
ツカサの説明に、レイジは心底理解できなさそうにした。
「ナギ、聞きたいこと一つ聞いていいぞ。俺が許す」
いや本人じゃなくてツカサさんに許可されても本人が怒るとかそういうことがあるかもしれないじゃないですか。
他の話題でならそんなことを言っていただろうが、うずうずしていたナギからはそんな考えは吹っ飛んだ。
いざとなれぱツカサの許可を盾にしてやる。
「あ、あの。質問してもいいですか」
きらきらとした輝きを隠しきれなくなった──隠す気のなくなったナギの目に、レイジの表情に驚きが混ざった。
「吸血鬼って、聖水とか、十字架とか、銀の弾丸が苦手って本当ですか!?」
前のめりの質問に、レイジは固まり、ツカサが傍らでくつくつと笑う。
そして数秒後、レイジ自身も声をあげて笑った。
「お前、名前は」
赤い目が細められた。
それはまるで、ナギを通して何かを懐かしむかのような柔らかな眼差しで、ナギが驚く番だった。
「おい?」
「あ、ナギ・アサツキです」
「アサツキ?」
レイジがツカサを見たので、ナギは慣れたものですかさず補足する。
「孤児で、『特殊能力保持者』だったので同じ人に引き取られてるだけです」
別に実の兄弟ではない。そんなことになれば、十数人も兄弟がいることになってしまう。
「お兄さんの名前も聞いていいですか?」
「レイジだ」
さっきから思っていたが、なんだか人間寄りの名前で意外だと思う。
「吸血鬼には名字がないんですか?」
純粋な疑問で、流れで追加で質問してしまう。吸血鬼と会ったは初めてだ。彼は名字を名乗らなかったが、吸血鬼には名字がないのだろうか。
レイジはじっとナギを見ていたが、感情の読めない表情のまま口を開いた。
「レイジ・シルヴィオ・バーゼルトだ。レイジでいい」
なんで隠したんだよ。そう思うほど、フルネームがかっこよかった。
「それから俺は正確に言えば、吸血鬼と人間の混血だ」
混血、と言われて附に落ちた部分があった。吸血鬼と人間の間の子供。そんな風に異種族間の存在と、人間がここには多い。
「で、質問への答えだが」
レイジは声をあげて笑っていたときの笑みの名残があるままの表情で、にわかに自らの片方の耳を示した。
彼の耳にはピアスがたくさんついていた。それらがぶつかって涼やかな音を立てるほどだ。
なぜピアスを示されたのだろう、と思っていたナギだったが、その中にある形を見つけて「あっ」となる。
「十字架」
ピアスの一つが、十字架の形をしていた。おまけに色からして、もしかして。
「もしかして、銀ですか?」
「ああ」
聖水も実物を持って来れば試してやるよとレイジは言った。
聖水、それもまたあるかどうかも分からない幻の品ではある。何をもって聖水となるのか。悩みはじめたナギの側で、レイジとツカサが言葉を交わす。
「こういうのは、人間のガキに流行るものなのか?」
「俺には流行らなかったけどな。他にも聞かれたことあるのか?」
「一人な」
「へえ、ナギと気が合いそうだ」
「ツカサ班長、少しよろしいですか?」
遠くの方から、ツカサを呼ぶ声がした。
「ちょっと行ってくる」
ぽんと肩を叩かれて、ナギが思考から現実へと意識を戻された。ツカサが去っていくところだった。
そうしてナギは、知り合ったばかりの吸血鬼と取り残された。
「……あの、もう一つ質問していいですか?」
「今度は何だ」
面白がるような赤い瞳が、ナギを見下ろす。
「太陽が出ていても平気なのは、レイジさんに人間の性質が混じっているからですか?」
本には、吸血鬼は太陽に当たると灰になってしまうととんでもないことが書かれていたことを思い出した。今、太陽が出ているにも関わらず、あまりに自然にその吸血鬼が現れたからすっかり頭から抜けていた。
「いいや、生粋の吸血鬼も太陽の下を歩ける」
「でも地下街に住むんですか?」
現在、この世界で吸血鬼は地面の下の街に住んでいると聞く。太陽を避けているとも見れる。
「吸血鬼は、どちらかと言えば夜に活動する方を好むからな。俺も普段は夕方から朝にかけて働いてる」
「へえ」
太陽は平気だけれど、夜に活動することを好む。朝方でない点は本と同じことだ。
あの本と合致することが現実にもあって、だからあの本はあの本で面白い。
貴重な話を聞いて目をきらきらさせるナギを見て、レイジは何を思ったか。
「『俺たち』みたいな存在を好きって言うのはアサツキには珍しいな」
アサツキ。ナギとツカサの名字であるが、兄弟ではない。
アサツキとは、この警察機関の創設者──人間の代表の名。そしてその人に引き取られる人間がどのような共通点を持っているのか、このひとは知っているのだ。
ナギは少し考えてから、口を開いた。
「『アサツキ』に引き取られた特殊能力持ちは、大体人間ではない種族に家族を殺されていますからね」
物静かな、内容とは裏腹に何の感情も込められていない声で言った。
「かつての
ツカサは言わないが。彼が親類や大切な存在を、異種族に殺されているか殺されていないかをナギは知らない。
ただ、多くの『アサツキ』の名に引き取られた人間は違う。
彼らはナギに言った。
『奴らは全員人間の敵だ』
『おまえは親を殺した奴らと同じような存在が憎くないのか』
言いたいことはよく分かる。この世界で、ツカサや自分のように『能力』を持っている人間はわずかだ。ほとんどの人間はこの世界で最も弱い。鋭い牙も、固い皮膚も持たず、特別敏感な耳や鼻を持っているわけでもない。
そんな人間が狙われるから、この警察機関は人間が中心となって作ったものだ。
他の種族に心を許す人間は、少ない。
「でも、そうだとしたら僕は、そう言ってきた『同族』を憎まなければいけなくなるんですよね。僕の家族を殺したのは、人間なので。そして、僕を育ててくれた家族は人間じゃありません」
この世界で起こる事件は、被害者のほとんどが弱い人間だ。けれど、加害者に人間がいることがある。本当に稀だけれど、人間が多種族を加害する事例はある。
人間が人間を殺すことだってあるのに、なぜ当たり前のように自分と同じ境遇だと思えるのだろうか。
「そもそも別に、僕は親が殺されてからかつて空想上の存在と言われていたものたちに惹かれたわけじゃなく、幼い頃から憧れていただけの話で。全てを一緒くたにするのはもったいないと思っていて、この世界の全てを知って、僕が好きなものとそうでないものに分けてしまえばいいだけだと思ってるわけです」
きっぱりとした言い分に、レイジはまた少し意外そうにして、皮肉げな笑みを浮かべた。
「そりゃあけっこう煙たがられてるだろ」
「まあそこそこ」
確かに、人間の中でも、より多種族を憎む彼らに言うと、もれなくもっと異端扱いされるようになったけれど。
「でも、僕からしてみればレイジさんみたいなひとも珍しいですよ」
「吸血鬼との混血がか?」
「言われてみればそれもそうですけど、『自分が怖がられる存在だと思っている』ひとは、けっこういないです」
ここにいればなおさらに希薄になりそうなことを、このひとは分かっていた。慣れたツカサと話す一方で、初めて会ったナギの反応を見てこの場を去ろうとした。
「あなたは、自分が怖がられる存在であると思っていたから。違いますか?」
じいっとレイジを見つめると、レイジはややあってナギの頭を軽く叩くようにして手を乗せた。
「俺が怖くないか」
「怖いって言われることよくあるんですか? あ、それって顔が怖いんじゃ」
「おいこら」
髪を強めにぐしゃりと乱される。
「……怖がられることを、したことはあるな」
「えぇ」
「もうしねえよ」
何をしたのだろうか。さすがにその質問を喉の奥に押し込めるだけの空気は読めた。レイジの鮮やかなまでに赤い瞳が一瞬陰ったように見えたから。
「命は大切にしろよ、ナギ」
羽が振れるように軽く、頭を叩いて手は離れた。
「俺は、死にたがりとは仕事したくねえ」
「……死にたがりのように無謀な特殊能力保持者と仕事をしたことが、あるんですか?」
その言い方では。
「まあな」
「その人、生きてないんですか」
「いや?」
なんだ、生きているのか。
「『死んだことに』なってる」
「え?」
どういうこと?
その質問は反射的に口から出そうになったのに、レイジの視線が逸れた。
彼が見た方向からは、ツカサが戻ってくるところだった。
ツカサが眉を寄せ、すごく面倒くさそうな顔をしていたから、ナギは開いた口を閉じる。
「面倒なことになってる」
表情のままの声で、表情が物語っていたことを言われた。
「俺たちが生け捕りにしてた『鳥』。一匹はこっちに残されてたらしいんだが、残りを輸送中の汽車がドラゴンに襲われて火だるまからの爆発。で、ドラゴンがこっちに近づいてきてるらしい。緊急対応することになった」
え゛?
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