第2話 責任とって助けてください
ドラゴンが咆哮した。
全身を揺さぶってくる音圧と大きな声に、ナギの金縛りが解ける。
「う、わあああああ!!」
やばい、なんだあれ。ドラゴンだ。なんだこの状況。
巨体に比例して大きな口には、鋭い牙が並んでいる。蛇のような舌も大きく、ナギなんて容易に口の中にかっさらってしまいそうな……。
遠目で観測していればギャーギャーワーワー興奮していただろうが、この至近距離は命の危険しか感じない。
だから現場に行くのはリスクが高いんだ! いくら幻想生物を見られるからって、現場に行くともれなく近くまで行くような役割付きだ。やっぱり写真で見るくらいがちょうどいい!
大きな口が、上から自らを飲み込むべく近づいてくる。そんな状況に、頭も何もかもが真っ白になりかけながら、ナギは本能から喉に力を込めた。
喉が震え、音が出る。
「『──────』」
それは、不思議な震えを含む音だった。
その音を聞き、ドラゴンの動きが鈍る。
くそ、動揺していてうまく使えなかった感覚がする。
今のうちに逃げなければ。
震える脚に鞭を打ち、踵を返したナギは無我夢中で見つけた被害者たちを押して、仕上げに浮島からも躊躇なく押し落とす。
そして、自らもと飛び降りようとしたところで、下に陸が少しも見えない高さに足が竦んだが──
「あっつ!?」
後ろからの熱風に押され、空に飛び込むことになった。
ついさっきまで自分がいただろう浮島が上の方に見え、洞窟からは炎が吹き出していた。
真っ青な空に映える赤は、現実味がないくらいに鮮やかだった。
と、時間が止まったかのように、景色を目に写していたのはきっと数秒。
落下特有の気持ち悪い感覚と、凄まじい風に襲われた。
落ちてる落ちてる落ちてる落ちてる落ちてる。
「つ、カサ、さん!」
通信機、通信機と風に煽られる腕をどうにか耳元に持っていくと、通信機は幸いにも飛ばされていなかった。
「ツカサさん!! 返事ください!!」
『──う、るせえ。てめえ、さっきからくそ、でかい、声、出しやがって! 耳と脳が潰れるかと思ったっての!!』
「落ちてる!!」
落ちている影響でうるさい風の音に負けないように、無意識にまたでかい声で伝える。ナギには、音量を調整するような余裕も相手の言葉を冷静に理解する余裕もなかった。
『はあ!?』
「落ちてるし被害者たちも落としました!!」
『はあ? ……なんでこんなに落ちてるみたいに高度下がってんだ』
「だから落ちてるんだって! やばいやばいやばいツカサさんラードルフさん、被害者三人絶対受け取ってください地面に落ちて死んじゃったら僕が人殺しになる」
『だからなんでおまえ落ちて、見つけた被害者も落としてんだよ』
『ツカサ、それは後です。ナギ、落ち着いて』
割り込み必要と思ったのだろう、今まで沈黙を守っていた人物がやり取りに入り込んだ。
ツカサとは別の、大人の色気を孕んだ声が、通信機を通してもなお響きよくナギに呼びかける。
いつもなら──この美声、きっと歌っても美声。この低音そっくりそのままは自分には似合わないから、半分くらいの低さで譲ってほしい。
とか思うナギだったが、落ちているのでやはり余裕がない。
「ラードルフさん絶対受け取ってください!!!」
『ナギ、それより自分の命を』
「受け取ってくれるって言ってくださいよ!!!!」
『無駄だ、ラルフ。パニクってやがる。おいナギ』
「はい!!!」
『声がくそでかいんだって……。おまえと被害者、どっちが先に落ちてる』
「三人です!!!」
『おし。ラルフ、おまえそこにいろ。俺が『飛んで』三人全員おまえの上に持ってくる。受け止めろ』
『了解です』
その一秒後のことだ。
落ちているナギの近くに、どこからともなくツカサがぱっと現れた。その茶色の目が最初にナギを見て、それから周囲を見て三人を見つけた。
直後彼は再度消え、三人の内の一人の近くに現れ、その人を掴みまた消え、もう一人の近くにまた現れ、掴みまた消え、最後の一人の近くに現れまた消えた。
『三人受け取りました』
三秒後、聞こえた連絡に安堵した。人殺し回避!!
「ラードルフさんありがとうございます!!!」
「うるせえって。しかも礼なら俺にも言えよ」
耳元で、さっきまで通信機越しに聞いていた声が言った。
「ツカサさん!!!」
空中の隣に、端正な顔立ちを呆れ一色に染めたツカサがいた。
耳を隠すくらいの髪が今は風にあおられ、耳を露にし、衣服が捲れ、腹が見えている。
ナギはとっさに自らの服を腹の辺りで押さえた。ツカサの割れた腹を見て、自分のぽよぽよのお腹をとっさに思い出したのだ。
それくらいの余裕が、ツカサが現れた瞬間に生まれた証拠でもあった。
「ラルフの鼓膜が破れるぞ。あいつ耳いいから」
『はは、『人の姿』のときはそれほどですから大丈夫ですよ』
ツカサは空中にも関わらず、器用にナギを引き寄せた。
ナギとしては、地上でならこの時点で何かしら物申したくもなっていたに違いないが、空中ではとてつもない安定感に包まれて文句など欠片も生まれてこなかった。
「よーし、ナギ回収完りょ──うっわ!」
「ツカサさんこそ耳元ででかい声出さないでくださいよ!」
「おまえもだからうるっせえんだって! つーかそれより上見てみろ!」
上?
言われるがままに示された方を見ると、小さな黒い点がいくつも見えた。
「……? うわ!?」
最初、蜂の大群かと思った点の集まりは、例の鳥のようなドラゴンのようなという生物の群れだった。
槍のように、頭上から降ってこようとしている。
「ラルフ、群れが行くぞ!」
『了解。対処はどのように?』
「狩りだ狩り!」
『了解』
通信機から、獣のような唸り声が微かに聞こえた。
「ツカサさん地面見えてきた! 落ちる落ちる! 死ぬ!」
頭上からの追手に捕まる前に、地上につかなければここは彼らの得意領域だ。と思って下を確認したら、いつの間にやら地上の街並みが見えてきていて、ナギは掴んでいるツカサの服をより掴む。
「っ、クビ絞まる。掴まるならもっとやりようあるだろ。俺が死んだらおまえも死ぬぞ」
「だってただでさえ高いところ怖いのに、落ちてるんだぞ! 普通高いところ怖いだろ! なんでそんなにけろっとしてんの!?」
そもそも、そっちの方が信じられないんだけど!?
こんなに高いところにけろっと現れて、地面にでもいるかのような冷静さで自分を回収して。理解できない!
「ったく」
ため息混じりにツカサが呆れた瞬間、地面から数センチというところにいて、ツカサが静かに着地した。
「お帰りなさい、ツカサ、ナギ」
「ラードルフさん!」
二本の足で立った狼に、ナギは嬉々とした表情を向けた。帰ってきた!
「うっ」
ごろごろごろと固い地面を転がるはめになって、ナギは自分を抱えていて、地面に放り出したであろう人物を睨み上げる。
「人を投げるなよ!」
「よし、やるぞ」
ツカサの茶の目は、空を睨んでいた。彼はナギの抗議を無視して、塗装された地面に無造作に置かれていたアサルトライフル銃を蹴り上げ、空に向かって構えた。
鼓膜に響く銃声がリズムよく続き、ぼとぼとと地面に何かが落ちてくる。上から追ってきていた鳥とドラゴンの間の小型の生物だ。
「鱗はかてえな」
そう言いながらも、ツカサは一発で一匹を仕留めていく。
落ちた生き物を見てみると、鱗に覆われていない腹の部分を銃弾が貫いていた。
狼の姿となったラードルフも鋭い爪で、向かってくるものを切り裂き、ときに叩き落とす。
「ナギ、こんな至近距離でおまえの特殊能力使うなよ」
「頼まれても使いませんよ! 仕事内容に入るって聞いてもないです。使用をお求めなら事前申請してください。断ります!」
「は、さっき上で使ってたろ」
可笑しそうな笑いを含んで言うツカサを、今度はナギの方が無視し、ツカサが地面に転がしているケースからハンドガンを拝借して、上から降ってくる生物に応戦する。
とは言え本職ではないので、撃ち漏らしたものはツカサが処理してくれる。
そして三分後には、何も上から降ってくることはなくなっていた。
地面は酷いもので、ナギは顔をしかめる。
「よし。拐われた被害者は全員回収、任務完了。で、このよく分からん生物生きてるやつ五匹くらいいるから、そいつら捕獲して、掃除屋呼んで俺らは戻るぞ」
「生きてるやつ……」
無惨な光景をよくよく見ると、動いているやつがいる。翼だけを撃ち抜いたらしい。
「欲しいとか言われたから持って帰る」
ということらしい。
「ってことで、ナギ、回収」
「僕ですか」
「不思議生物好きだろ?」
「自分を襲って来たやつには出来るだけ触りたくないんですけど」
と言いながら、本当は貴重蔵書を触るとき用に常備している手袋をはめて、行動に移る。
離れたところでは、ラードルフが被害者三名を担いでいる。自分があの役目を代わることはできないし、ツカサは銃のケースを運ぶとかで絶対運ばないだろう。
「こいつら、なんか、僕を上に連れていったやつより小さくないですか?」
「あ?」
銃を脇に抱え、煙草を取り出して火をつけているツカサが、ナギの手元を見る。
いや、一服し出すなら自分のものの片付けしろよ。
「確かに。上に残ってるのかもな、この数から言って小さいのもまだいそうだしな」
「じゃあまた同じこと起こるんじゃないですか?」
「起こったらまた仕事が来て、今度はそいつの討伐も入るかもな」
「今回の仕事は、連れていかれていた三人の救出だけ、ですか」
「そういうこと」
空を見上げるツカサにつられ、ナギも空を仰ぐ。よく晴れた空は、白い雲も何かが向かってくる黒い点もない。
そういえばあのドラゴンは、たぶんこいつらと関係があるだろうが、追ってこないらしい。
まあ、報告だけはしておくか。
そういえば、と言えば。
「ツカサさん」
「ん?」
「絶交です」
「なんでだよ」
空を見たまま言うと、ガキかよ、と鼻で笑われたが本気でしかない。
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