その歌声を聞け

久浪

第1話 騙された







 ここは静かな図書室。

 首都エレオロンの警察組織の一角にある室内で、ナギは蔵書管理のバイトの休憩時間に、ご機嫌な鼻歌を垂れ流しにしていた。その手元には分厚い古い本と、何枚もの写真がある。


「鼻歌辿って来てみれば……。おまえ、その本好きだなぁ」


 聞きなれた声に、ナギは本と写真をにこにこ見たまま「聖書バイブルみたいなものですよ」と答える。


「なんだそれ」

「これは先週見つかって登録されたっていう生物なんですけど、本に載ってるこれと同じなんですよ」


 『幻想生物大百科』と表紙に書かれた本の頁には、絵で甲羅部分が木々が生えた島のようになっている亀が描かれていた。

 一方、ナギが広げている写真にはそれが現実になったかのように瓜二つの姿が写っていた。近くに写っているボートの人間と比べると、あまりに大きく、島のようだった。

 本には、こう記されていた。


 幻獣:アスピドケロン

 島のように大きな亀。背中に木々を生やし、海を漂う。


「かつては架空の存在だった植物や動物が現実に見つかっているなんて、ロマンですよロマン。そりゃあ魅力を感じるってものです」


 『幻想生物大百科』──それは、人間によって書かれた『かつて』は人間の想像により産み出され、ファンタジーと呼ばれる世界にしか存在し得なかったものたちが集められた本だった。

 そう、かつては。


「その『かつての架空生物』が大好きなおまえに、いい話があるぞ、ナギ」


 名前を呼ばれて、初めてナギは自らが誰かと会話していると自覚した。

 はっとして顔をあげると、前の席に端正な顔立ちをした男が座っていた。染められた灰色の髪が毛質が固そうに揺れ、茶色の目がナギを映す。


「ドラゴンを見たくないか?」


 その誘い文句に、ナギは黒い瞳を見開いた。




 *



 びゅおお、と音が鳴る程に吹き付ける風が、上着の裾だけでなく、全身の衣服をばたばたとはためかせる。

 ナギの視界では、レンガ作りの街並みが高速で通りすぎ、道行く『ひと』の驚いた顔、好奇の視線も一瞬で見えなくなる。

 人族、人族、人族、獣人族、獣人族、多腕族、魚人族、人族……。多種多様な見た目の通行人たちを、ナギは眺めていた。


『ナギ、聞こえるか? ツカサだ。応答しろ』


 耳元につけた通信機からの声に、ぼーっとしていたナギは我に返り声を返す。


「こちらナギです。聞こえます」

『おっ、生きてるな。順調順調』

「位置情報動いてるから順調なのは分かるでしょう」


 軽い調子で言われたものだから、ナギは仏頂面でぶっきらぼうに言ってやった。


『それだけで、生きてるかどうかは分からないだろ。今七番街N区域西……けっこう早いな。それに、高さも上がってきた』

「はい、今屋根越えました」


 急に、ぐんっといる位置が高くなった。

 地面が遠くなり、五階建てのアパートの青い屋根も越えてしまう。


「……今落ちたら、僕死にます」


 ナギは死んだ目で、遠い地面を見つめてそう溢す。ぶらんぶらんと宙に浮いた足と地面との距離は遠すぎた。


「騙されました。今死んだら悔いありまくりでツカサさんへの恨みで化けてでます」

『騙してねえよ』

「騙したじゃないですか! 何がドラゴンが見られるですか! ただの鱗が生えた鳥じゃないですか!」

『限りなく同じだろうが』


 どこが!とナギは叫んだ。


 そもそものところ、ここにナギがいるのは、『とある事件』の解決のために人員不足のところに駆り出されたのだ。

 謳い文句は、『かつては架空の存在だった』生物が見られる。ナギがそういうものに弱いと分かっていて、今通信機の向こうで喋っている男がナギを誘ったのだ。

 それも、ドラゴン。『幻想生物大百科』の幻獣欄に載っているドラゴンという、人間以外の存在が次々と観測されるこんな世界になってもなお、伝説とされる生き物だ。

 そのドラゴンが見られて、後を追って居住を突き止められればいいという話だったはずなのに!


 今、ナギは鱗で覆われた鳥のような──確かに小さなドラゴンに見えなくもない生物に足で両肩を捕まれて宙に浮いていた。

 しかしドラゴンのようなと言っても、本には建物ほどもあるほどでかいらしいと書いてあったので、違う何かの生物なのだろうと思う。


「全てにおいて詐欺。こんなの聞いてないです」

『勝手に捕まったのはおまえだろうが』

「こんなちょっと大きいくらいの鳥が『犯人』で、人間一人軽々掴んで飛べるって予告してくれました!?」


 若干キレ気味で叫ぶ。

 ドラゴンと聞いていて、来たぞと言われて見た先からはちょっと大きな鳥くらいのサイズの生物が来て、情報との差異に混乱しているうちに宙ぶらりんになっていたのだ。


「大体こいつどこに帰って行くんですか。尋常じゃなく上にいってる気がするんですけど」


 とにかく上へ上へ。ナギを掴んでいる生き物は垂直に上へ向かっている。ちょっと上から、遠くの森へとかいう動きには見えない。明らかに空を目指している。


『確かに高度だけが上がっていくな。……まさか浮島か?』

「浮島?」


 浮島とは、空に浮いた島だ。空高くにあり、島には街があり、住んでいる者がいる。

 行ったことはない。そこは、人間の住みかではないからだ。


『ナギ、絶対降りるなよ。一匹に追跡機付けられたらいいと思ってたけど、おまえが今『それ』だから』

「降りたくても降りれないんですよ降りたら死ぬんですよ、馬鹿ですか」

『死にはしねえよ。俺がその前に受け止める』

「……どのみちスカイダイビングの趣味ないんで」


 降りられないことに変わりはないわけで。


「人が豆粒。ビルも豆粒」


 あまりの高さにくらくらして、吐きそうになる。

 けれど降りるわけにもいかず、そもそもこの高さで降りるということはスカイダイビング決定なので実質降りられないわけで。

 ナギは大人しく目を瞑った。




 びゅうびゅうと次第に冷たくなっていく風に吹かれてどれほどか。

 唐突に、肩を掴む力に解放され、ナギは無様に転がり、ゴツゴツした何かに顔面を打ち付けた。


「いったぁ」


 今度は何だと辟易しつつ片手で顔を擦ったところで、はたと気がつく。

 何かに、手をついている。膝もついている。

 つまり、地面がある!!


 勢いよく確認した下には、地面があった。次いで、右左、上。


「ここが巣……?」


 まるで洞窟のようだ。

 左右に岩の壁があり、中々狭い。そのわりに天井が高いらしく、上は天井が見えず真っ暗だ。

 光がさしている方を見ると、青い空が見えて歩いていくと、足元は崖で恐る恐る見下ろした眼下には陸の欠片も見えなかった。

 間違いない、浮島だ。


「ツカサさん、下ろされました」


 通信機に語りかけると、「あんまりにも静かだから死んだかと思ったぞ」と言われた。

 縁起でもないし、それにしては薄情な声音に顔をひきつらせながら、ナギは無視して話を進めることにした。さっさとこの仕事を終わらせたい。


「浮島みたいです。どれくらいの大きさかは分からないですけど、遠くの上の方に大きい浮島が見えます」

『位置からしてそのでかいのはエルフの国の首都だな。エルフの居住ならジュリアンがいるから咎められる心配はない』


 ジュリアン、と聞いて、遠目からしか見たことのない褐色の肌と人間より長く先が鋭い耳、長い白髪が思い出された。

 エルフの国にも、一回でいいから行ってみたいなぁ。


「あ、人」


 個人的な趣味事を考えながら、目的を果たすべく洞窟内を見回していたら、倒れている人を見つけた。


「1、2、3人っと」


 全員意識がなく、起き上がる気配もない。素人なりに息と脈を確かめてみると、生きてはいる。

 救出しやすいようにと、よいしょよいしょと明るい方へ引きずって行きつつ、報告する。


「ツカサさん、被害者全員いまし……!?」


 近くの地面に重いものが落ちた音に、びくりと震える。

 横目で音がした方を確認すると、どうやら、壁からか天井からか岩が崩れて落ちてきたらしい。砕けた岩が転がっていた。


「崩落したら怖いな……。ツカサさん、被害者全員いたっぽいので回しゅ、う、を……」


 大きな目と、目が合った。

 岩の壁に、目がついていた。瞳孔が細い、猫のような目だ。ただし、ナギの身長ほどもあり大きすぎる。


 なんだこれ。新種の岩? これもかつての想像物ファンタジー


 固まるナギの前で、岩に生えた目は一度瞬く。直後、ゴゴゴゴゴゴと腹に響く振動と音がし始めた。ピシリピシリと亀裂が入る音がして、がらがらと音を立て岩が落ちる。


 たった今まで岩だったものは、卵から雛が生まれるように別のものに生まれ変わっていく。

 ──否、その巨体を覆う岩がひび割れ、元々下に隠れていたものが現れていく。


 岩の下から現れたのは、陽の光に輝く鱗。その鱗が見上げるほどの巨体をびっしりと覆い、唯一鱗のない翼が天井を覆う。

 その姿は、まるで、そう。


「──ド、ラゴン?」





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