第49話

「おーい…って、お前っ!」

 驚くような声がして、縁人は振り向いた。

 そこには、驚いた表情の傑と…顔を赤くした、涙目の楚世歌が。


 傑はすぐに、いつものように縁人を睨みかけた…が、それどころではないことに気づき、舞佳に駆け寄る。

「舞佳!!逃げ出せて良かった…!!」

 どけ、というように、舞佳と縁人の間に入り込んだが、わっ!と身体を後退させた。

「あ…うう…」

 傑はしゃがむと、ガクガクと震える舞佳の右腕を優しく掴んだ。

「ま、舞佳ちゃん…大丈夫っ⁉︎」

 様子を見にきた楚世歌は、思わず後退りした。

 それだけ、舞佳の手は悲惨なことになっていた。


 縁人が鞄から取り出していた絆創膏を、傑は取り上げて、小さなポーチをポケットから取り出すと、まず包帯をアルコールで濡らした。アルコール綿の代わりにするようだ。

「痛かったら言えよ」

 傑はそう言うと、慣れた手つきで、舞佳の血液を拭き取っていった。

 舞佳の手のひらが元の色を取り戻していく…が、包帯の端が傷口に当たってしまった。

 …ピリッとした痛みが貫通する。

「い、痛いっ!!」

「わ、悪い…!ちょっと待て…」

 傑は慌てて手を離し、包帯をギュッと握って、もう一度拭き取り直す。

 …しばらくすると、舞佳の手は明るい肌色を取り戻していた。

「い、痛そう…」

 楚世歌は、舞佳と傑の間を覗くが、思わずギュッと目を瞑ってしまった。

 手が綺麗になると、今度は傷口の全貌が姿を現した。

 縁人はその傷口に少々固い表情になりながらも、後ろで傑の手つきを感心して見ていた。

「絆創膏を貼るからな」

 縁人からもらった絆創膏は、舞佳の手に合うちょうど良いサイズで、傑は少し悔しそうにしながらも

「縁人…サンキュ」

 と言った。縁人も

「…こちらこそ」

 と、返す。僕、応急処置、実は得意じゃないから助かった、と傑に伝えたかったが、負けるような気がして言うのをやめた。

 絆創膏を舞佳の手のひらに丁寧に貼っていくと、傷口にピッタリ重なった。

 最後に、新しい包帯を取り出し、舞佳の手にぐるぐる数回巻きつけた。

「もう大丈夫だ」

 傑が立ち上がった。

 舞佳はジンジンと痺れる手のひらに、そっと視線を合わせた。

 傷口のあった部分は、絆創膏と包帯でもう見えなくなっていた。

「傑さん、縁人さん、あ、ありがとうございます…!」

 舞佳は二人にお礼を言った。少しずつ痛みが引いてきた気がする。

「す、すごいね…傑くん…!」

 小さく拍手を送った楚世歌。

「俺、すごいだろ?」

 そんなことを言う傑の隣で、縁人は少し悔しそうな顔をした。やっぱり、助かった、と言わなくて良かった。

 …が、ひとことだけ「すごいよ」と拍手をした。もちろん、皮肉ではない。

 …悔しいが、縁人は傑のことを本当に「すごい!」と感じたのだ。


 ちなみに、舞佳の持っていた錐は、傑によって先端を包帯でぐるぐる巻きにされた後、処分された。




 しばらくして、舞佳は立ち上がった。

「縁人さん、傑さん、楚世歌さん…!」

 改めてみんなに顔を向けて、舞佳が声をかける。

 すると、楚世歌が飛び出した。


 そして、舞佳に抱きついたのだ。


「…楚世歌さん…」

「…う、うう…うううううう…うぇ〜ん、ゴホッゴホッ…」

 楚世歌は、咽び泣いていた。

「あのね、あのね…舞佳ちゃん…うううう…」

 楚世歌が泣いている理由は、きっと…


 その後ろで、傑が気まずそうな声で、縁人に

「なぁ、聞いたか?和花先生が、さ…」

 と訊いていた。

「うん、知っているよ…最期まで先生らしく生きたんだろうな…」

「…そうだといいな…」

 傑は困ったように、頭を掻いた。

「和花先生…良い人だったのにな」

「そうだね……」

 その後、縁人は校舎から目を離さなかった。

 傑は…涙ひとつも見せずに困った顔をしていた。

「…先生、本当に逝ったのかな」

 まだ…実感が湧かないようだ。

 舞佳も…和花先生は、まだ生きてるよ、と思いたいところだ。




「先生…!先生…!先生の嘘つき!私の…私の大人になった姿を見るまでは死ねないって、言ったじゃん!どうして…どうして…どうして、大人になる前に死んじゃったのよ!!帰ってきてよ!」


「ああーーーーーーーーーーー!!!!!」


「楚世歌さん…」


 舞佳は、ただ楚世歌を抱きしめて背中を擦っていた。


 楚世歌と和花は、高校に入学する前から顔見知りで。

 ”教師と生徒”という関係より”友だち”と呼んだ方が合っていて。

 どこか厳しくて、でもノリが良くて、明るくて、どちらかといえば…我が道を進むタイプで。


 …我が道を進む、だから、和花先生は、自分の人生を全うしようと、最期まで生きるために、生きたのだ。


 …舞花さん、この世界は

  思うよりも広くて楽しいはずだから…


「和花先生…」

 舞佳の涙は止まらない。

 また頬が冷えていった。




 和花は消えてしまった。


 舞佳以外の人は、舞佳の家で過ごした和花との時間は覚えていなかった。今までみんなで一緒にいたことは、すべて忘れさられていた。


 だが…みんな、同じことを考えていた。


 …和花が死んでしまったことに、深い、深い、悲しみを感じていたのだった。

 舞佳は、あの家での思い出は忘れ去られてしまったけど、和花が忘れられなくて良かった、と思った。

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