第48話

 和花の消えた場所で、舞佳はしばらく泣き続けた。


「舞佳さん!」


 そこに、声が聞こえた。


「舞佳さん!大丈夫でしたか?」




 舞佳が顔を上げると、左手から走ってくる縁人が見えた。

 縁人は舞佳に駆け寄ると、呼吸を整えた。

「縁人さん…!」

 舞佳はそっと縁人の背中を擦った。

 どこかそわそわして…

「あ、ありがとうございます…舞佳さん、その、ひどい怪我を何とかしないと!」

「そんなことより、縁人さん…和花先生が…和花先生が…!」

 舞佳はぐちゃぐちゃに泣き腫らした顔で、和花の消えた場所を指差した。 

 消えてしまったのだから、和花の記憶はみんなのなかに残っていない、分かっているけれど、舞佳は伝えずにはいられなかった。

 舞佳のその様子を見た縁人は、悲しそうな瞳をしている。

「あ…ああ、舞佳さんも聞きましたか…」

「え…?」


 聞いた…?


 舞佳の不思議そうな顔から、縁人は顔を背けた。


「…和花先生、亡くなったって…」


 そう言って、顔を下に向ける。

 頬に流れる涙を隠すように。




「本当に、和花先生は…亡くなってしまったんですか…?」

 舞佳の瞳に、また涙が浮かんだ。


 縁人は和花を覚えている…

 本当に、和花先生はいないの…?

 先生は、生きていないの…?


 今までと違い、灰ではなく、粒子となって消えていった先生は…


 先生は…


 先生は…


 亡くなっていたんだ。


 でも、分かっていた。

 先生は、この世から消えてしまったんだということを。

 逝ってしまったんだということを。


 でも、やっぱり…信じたくなかった。


「先生、病気が分かったときは、もうかなり進行していたみたいで…。最期を思いっきり生きるんだ、って、治療もしなかったみたいです。和花先生らしいですよね。今度…お葬式、やるらしいです」

 縁人が口元に手を当て、高校の校舎を見つめていた。

「…先生…」

 高校の窓を見つめてみるが、中には誰もいない。

 今日は、平日のはずなのに。

「先生、学校好きだったな…」

 縁人がそう呟いた。


 …そっか。そうだったんだ。


 前に、みんなで引っ越しの話をした時。

 和花だけ、透明になっていって…消えてしまった…。

 それが表すのは…


 和花がこの世からいなくなってしまうことだった。


 …既に、和花が死んでしまうことを示唆していたんだ。


「先生…」


 舞佳のことを一生懸命、スズやサチから守ってくれた和花。

 舞佳のことを大切に想ってくれた、優しくて明るい先生。


 …私を守るために、走り続けてくれた先生…。




 和花が消える一瞬、舞花が唯一思い出したことがあった。


 黒縁の眼鏡の和花に、

「あ…和花先生…その眼鏡、か、可愛いです。似合いますね…」

 和花は、びっくりした後、すぐに笑って

「ありがとう」

 と、とびきりの笑顔で応えてくれたことを。




 舞佳は瞳から流れ続ける涙を抑えることが…一向に出来なかった。

 そのまましゃがみ込み、嗚咽する。

「舞佳さん…」

 縁人は、そんな舞佳の背中を擦っていた。




 そうして、二人で並んでいた。

 舞佳はまだ少し流れる涙を拭い取り、縁人は舞佳の背中を擦りながら…自分の涙をそよ風に当てていた。


 …その時、舞佳の右手がズキンッ!と痛んだ。

「痛いっ…!」

 思わず、右手をギュッと握った。

 その時、何か固いものが手のひらに当たる。

「ま、舞佳さん!!やっぱり痛みますよね!ひどい怪我ですから、早く治療しないと!」

 縁人は、改めて、舞佳の頬や手の傷、どす黒い体液で汚れている舞佳をみて、心配になった。握られている錐の状態を見て、さらに驚き、舞佳の背中をさする手が止まった。

「あ…本当ですね…あ…わ、忘れてました…私、錐も…持っていたんだった……すごく…い、痛いです…!」

 舞佳の右手は、握られた錐ごと赤黒く染まっていた。

 …なぜ、忘れていたのだろうか。

 さっきまで、確かに…痛みがなかったのだが…。


 …もしかして、和花先生のおかげ…?


「ううっ…!」

「舞佳さんっ!ちょっと待っててください…確か、絆創膏や、他にも持ってたはず…応急処置くらいはできるかも」

 縁人は背中から手を離すと、背負っていた鞄から絆創膏や、消毒液を探し始めた。



 スズから錐を奪う際…

 舞佳は、真正面から錐を掴んだ。

 その時に、錐の先端が舞佳の手のひらを抉ってしまったのだ。


 突き刺してしまったところから、一直線に手首に向かって傷ができている。

 そして、そこから…傷口をふさごうと赤い液体が絶えず出てきていた。

 手のひらについたものは、時間が経ってしまったため、黒くなっているが…

 傷口からは、まだ傷を塞ごうと液体が滲み出ているのだ。

「うううううう……!!!」

 舞佳の右腕がガクガクと震え始めた。

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