第47話

和花の身体が…!!


「ゴホッゴホッ…ゴホッゴホッ…」

「和花さん…無理しないでください…」

「ゴホッゴホッ…はぁ…はぁっ…!ゴホッ…!」

「和花さん…!どこかに隠れよう!走らないで!」

 舞佳は和花に声をかけた。

 だが、和花は…まるで聞こえていないかのように、走り続けた。

「はぁ…はぁ…前に、隠れてみつかった…あんな後悔はもう二度したくない…今度こそ、逃げ切ろう、一緒に…はぁはぁはぁ…」

和花と舞佳は走り続けた。方向が分からないように、道をそれたり、曲がったり、遠回りしながら、立ち止まらずに走り続けた。

 サチの声も、スズの声も、聞こえなくなった。それでも、和花は走り続ける。

 段々と、和花が消えていく…。

舞花は

「和花さん、和花さん、お願い!これ以上はダメ!和花さんが消えちゃう…!身体が透けてるの、和花さん…!!」

和花に伝え続ける。

「はぁっ…!」

 和花が苦しそうに息を飲み込んだ。


「…がばっ!」


 …明らかに、和花の口からは出ないような声がした。


 …口を押さえていた和花の手には、




 大量の赤黒い液体が流れるように、そして、べっとりと溢れでていた。






「和花さん!!!!」

 舞佳は叫んだ。

 声と手についた液体が、今の和花の状態を必死に物語っていた。

 和花の姿は、ほとんど見えなくなってきている。

 かろうじて、パステルの…あの眼鏡のフレームの輝きが存在を示していた。楚世歌とインターネットで見ていた和花にお似合いの眼鏡。


 和花の手についた赤黒い液体は、あとからあとから溢れ出て、

気が付くと、消えていた。

 一滴も、その色を残すこともなく…

 そして、和花が、ひと呼吸する度に、和花の身体はどんどんと薄く透明になり、後ろの景色が見えるようになっていった。

「和花さん、休みましょう…このままだと、本当に、消えちゃうよ…」

 舞佳の胸は不安でいっぱいだった。

 舞花は泣きじゃくっていた。必死に訴えて、何とか和花の足を止めようとする。


 だが、和花は足をとめようとはしなかった。


 ずっとずっと走り続けた。

 舞佳が何度「休もう」と訴えようと、何度足を止めようとしても…

 舞花の手を離さずに、走り続けた。


「はぁっ…はぁっ…ゴボッ…はあ…!はあ…!」


 また、和花の口から赤黒い液体が溢れ出した。今度は、手も当てずに、和花は前を見て走り続けた。


「ああっ…ああ…!」


 和花は見るも無惨な姿になっていた。

 それでも、すぐにそれらは消えてなくなり、吹き飛んで、見えなくなっていく。


 もう、和花の姿はほとんど見えなくなっていた。




 しかし、まだ見え続けているものがあった。

 それは、和花の手だ。

舞佳の手を握る、和花の温かい手。

 手”だけ”が、必死に舞佳を離さまいと、救おうと、残っていた。






 あれから、どのくらい走ったのか。

 まわりの風景は、知らない場所だった。


 いや…どこかで見たことあるような…。


 …そこで、和花はようやく足を止めた。


「はぁっ…!はぁっ…!はぁっ…!はぁっ…!」

 舞佳はヨロヨロになりながら、地面に手をついて倒れ込んだ。

「はぁ…はぁ…はぁ…はぁ…」

 隣には…


 和花がいた。

 手だけじゃない。ちゃんと、元の姿で。


 だが、その身体は消えていった。

 薄くなっていくんじゃなくて、灰になっていくんじゃなくて…粒子になっていくかのように。


「和花さん…待って…」

 舞佳は急いで和花に駆け寄ると、和花の手を握った。

 さっき、自分の手を握ってくれていた…和花の手を。

「和花さん…」

 舞佳の胸が…ギュウッと締め付けられた。


 そして…涙が滝のように溢れてくる。

 

 和花は、舞花の手を握りしめ返した。

「はぁ…はぁ…舞佳さん…ごめんね…ごめんなさい。走り続けて、苦しいね…」

「傷は大丈夫…?早く、手当てしなくちゃ…」

 舞佳は、言葉にならず、首をブンブンと横に振った。和花が消えてしまう心の痛みに比べれば、身体の痛みなんてどうということはないと思った。



「私、病気らしいの…最後まで、守ってあげられないかもしれない…はぁ…は…本当にごめんなさい」

 和花が苦しそうに申し訳なさそうな顔した。舞佳は慌てて、大袈裟に首を横に振った。

「和花さん、謝らないで…」

 上手く喋れない。

「和花さん…お願い…いかないで」

 舞佳は、和花を消えさせまいと和花の手をギュッと握り直した。

 握り直したはずだったのに…和花の手の温度が感じられない。

「和花さん…、和花せん…」

「和花先生…!先生…!」

 

 和花は、温度のない手で、舞佳の頭を優しく撫でた。

「…舞佳さん、逃げきって…

スズとサチの鎖を断ち切って…

そして、自由にいきるの…」


舞佳は、聞きたいことが山程溢れた。

…先生は、二人のこと知ってるの?

 二人は和花さんが教師だと知ってた。

 あの人たちは私とどんな関係があるの…?

でも、粒子がどんどん増えていく。消えてしまう。


和花は続ける。

「そして、自由になったら…時には羽目を外しても良いんだからね…自分のやりたいことを貫いて。…普段だったら、好きなことばかりやってないで勉強しなさいっ…て、はぁはぁ…言うのが…先生の役割かもしれないけど…はぁ…は…舞佳さんには、好きなことばかりをやってもらわなきゃ困るから」



「和花…先生…ありがとう」

舞佳は必死に言葉を振り絞る。

 和花は、安心したような笑顔を見せた。




「…舞佳さん」


 和花が、舞佳の手を握り返す。


 温度のなくなった和花から再び温かさが伝わる。ギュッと握られている感覚が、舞佳を伝う。


「強く生きてね…出来れば、私の分まで幸せに生きるのよ…約束して」


「はい…」


「世界は思うより、広くて…楽しいはずだから」


「先生…和花さん…あり…ありがとう…」

 行かないで、いかないで、いかないで…

 舞佳は、和花の姿を最後まで見据えようと滲む景色を何度も何度も拭った。和花も潤んだ瞳を見せた。


 舞佳は頑張って、少し笑った。


 そして、…そっと目を閉じた。






 目を開けた時…


 そこに、和花はいなかった。


 手には、和花の温もりが残っているだけで。


「和花先生…」


 舞佳はしばらく泣き続けた。




 和花たちがいた、あの”高校”の目の前で。






 …ピキッ!


 舞佳の首から下げられているペンダント…

 その宝石に、またひびが入った。

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