第45話

「ううっ…ううう…」

 苦しそうな声がしてきた。

「あら…今度は何かしら。こんなに大勢いるといろいろなことが起こるものね」

 スズはゆっくりとみんなを見渡して、その声の持ち主へと近寄る。

「ほんとに、もう、やめてよ…!」

 楚世歌が、スズの前に立ちはだかって、両手を広げた。

 その後ろにいるのは、彦だ。

 お腹を抱え込みながら、うずくまっている。痛そうで、苦しそうだ。唸りながら、グズグズと泣き出した。

「うう…」

 苦しそうな声を絞り出している。

「彦くん…!」


 舞佳も彦のもとに駆け寄った。

「彦くん!どうしたの?大丈夫!?」

 彦は、お腹を抱えたまま苦しがっている。


「うるさい子ね、黙りなさい…」

 スズは錐を握りしめると、大きくため息をついた。


「坊や、黙りなさい。耳障りな声をださないで。あなたたち、その子を黙らせなさい」

 そう言って、隣にサチもやってくる。

「黙れるわけがないでしょう!」

「こんなに痛がってるのよ!」


「うう…うううう…!痛いよ、痛いよぉ…!」

 彦は、痛みに、必死に耐えている。彦の表情は険しく、額に汗をかいている。重い痛みを抱えている様子が伝わってくる。このまま放っておいたら…今すぐ、病院に連れて行かなくてはいけない…

 しかし、もちろん、スズとサチは、それを許すつもりはないようだ。


「私、うるさい子どもは苦手なの。泣き喚く子どもはもっとキライ。面倒な子は、ここから、いなくなってもいいと思っているの」

「静かにしなさい、簡単なお願いなのに、なぜ言うことを聞いてくれないのかしら?…」

 スズは錐をくるくる回し始めた。

「スズさん、言うことを聞かない悪い子にはお仕置きか…もういなくなってもらっても良いのでは?」

 サチはそう言いながら、楚世歌と彦を指差した。

「私たちの目的は、舞佳の洗脳がとけて、舞佳を取り戻すこと。それに利用できない手札はいてもいなくても同じ。特にがちゃがちゃと小さい子は、いるだけでムカムカしてきます。」

「そうね、サチ」

 二人はお互い笑い合う。

「じゃあ、いなくなってもらいましょうか」

 スズが錐を握り直して、振り上げ始めた。

「え、え…!」

 楚世歌は広げた両腕を震わせると、腰を抜かしたようにしゃがみ込んだ。

 視線は、振り上げられた錐の先端に向けられる。


「ううっ…うううううう…!!!」

 彦が涙をポロポロ流し、さらにうずくまった。

「ひ、彦くん!!」

 振り向いた舞佳が見たのは、すっかり丸くなり、唸り続ける彦の姿だった。

 声をかけると、同時に楚世歌の怯える声が聞こえた。


 …きっと、錐が迫ってきている…。


「やめて…やめてっ!」

 舞佳は立ち上がって、楚世歌のさらに前…スズのすぐ目の前に立ち塞がった。

 …もし、今、スズが錐を振り下ろしていたら、舞佳にその針先が刺さっていただろう。

「…!」

 急に目の前に現れた舞佳の姿に、スズは錐を振り下ろす手を止め、驚いて後退りする。

 スズが錐を下ろすと、今度は、サチが舞佳に近づいてきた。


 ガンッ…!


 こもったような音がした。

 光のような速さで、サチの拳が舞佳の頬を捻り上げていった。

サチの固く固く握りしめられた拳は、舞佳の顔を歪ませた。

「うっ…!!!」

 舞佳は、焼けるように痛い頬を両手でギュッと押さえた。そして、フラフラしながら後退りをする。

 スズの平手打ちとは違って…痛みは、頬の表面だけでなく、口の中までその振動と電流が伝わってきた。

 …もがいていると、鉄のような味が口のなかに広がった。。


 頬を殴られて、口の中で出血がおこったのだ…


「舞佳、スズさんの邪魔をするな!お前はいつから、私たちに、はむかえる立場になったんだ!!」

「あ…」

 舞佳はあまりの痛みと衝撃に、上手く喋れなかった。

「ちょっと、サチ!」

 慌てて舞佳に駆け寄ろうとするのは、なんと、スズだった。

 だが、サチは行手を阻んだ。

「スズさん。甘やかしてはいけません。最近の舞佳は生意気すぎます。躾が必要なのです。生意気な子、言う事を聞かない子、悪い子、ダメな子には、お仕置きが必要なのです」

「サチ…舞佳のお仕置きは私の役目よ。あまりやりすぎないでちょうだいね?」

 そう言うスズに、サチは自信に満ち溢れた笑顔で、

「はい、それは、充分に、分かっていますよ」

 と、答えていた。


 …ふざけるな、ふざけるな…

 舞佳は痛みの中で、必死に訴えた。




 ピーピーピーピーピーピー!!!!!




 鳴り響いたのは、警告音のような高音の連なりだった。


「なにっ…!」

「いやあっ!!」

 一斉に周りが大声を上げ、たちまち大混乱が作られていく。

 …反射的に耳を押さえた舞佳は、急いで振り向いた。

 視線を乱しながらも、部屋の隅々を見渡す。

 …すると、机の上の和花のスマホの画面が起動していることに気がついた。

 和花のスマホが音源のようだ。ならば…


 防犯ブザーだ…!


「きゃあ!なに!なに!」

 スズが大声を上げて、耳を塞いだ。…頭を抱えて、パニックになっているようだ。

 サチも耳を塞いで、うずくまっている。

 それを見た舞佳は、耳から手を離した。


ピーピーピーピーピーピー!!!!!


 今だ…!!


 そう思った瞬間、先程までの、頬や口の痛みのことは忘れてしまった、これを逃したくない。チャンスだ!

 それを合図に、舞佳は前を向き、一歩踏み出す。


 行き先は、スズの錐を持つ右手。

 ブザーの音が鼓膜を突き刺していく中を、舞佳は最短期で部屋のなかを泳いだ。


 素早くスズに駆け寄り…

 右手に持たれている錐に手を伸ばす。


「舞佳!」


 …サチに気づかれた。


 でも、きっと…これもチャンスだ。

 サチの注目が、舞佳に限られる。みんなへの監視がフリーになる。


 スズの錐は、先端が前に、舞佳へ向けられていた。

 舞佳は、屈することなく、その錐に正面から掴み掛かる。


 錐さえなければ、誰も消されないはず…!


 両足が床から離れ、空中に浮きかけた舞佳は…




 その錐を掴んだ。


 錐を固定していたスズの手が崩れて、

手から錐がこぼれ落ちた。


 舞佳はそのまま、錐を奪うことに成功した。


「きゃあ!!」


 スズの体勢が崩れる。

 その後、舞佳の背中に、サチの手のひらが触れた。


「みんな、逃げてください!!!」


 ここぞとばかりに、舞佳は叫んだ。


 舞佳の手のひらに突き刺さるような痛みが走る。

 一直線に、手首へと進んでいく。

「ううううっ!!!」

 ジリジリした痛みに、手が震えて、声が溢れた。

 …錐が、舞佳の手のひらに、突き刺さっていた。


「走ってーーーーーっ!」


 くっきりとした女性の声が、大混乱の中に響いた。


「こっちだ!」

 傑が叫び、一人…また一人と、水が流れていくように、みんなは玄関へと向かっていく。


「待ちなさい…!」

 悔しそうに声を出しながら後を追うとしたサチを舞佳は必死でとめた。体勢を崩したサチは、スズと舞佳と倒れた。


「ううううううううう!!!!!」

 倒れた衝撃で、舞佳の手のひらから錐が抜け落ちた。手のひらが焼かれるように痛い。

 それに伴い、手のひらはべっとりとした液体に濡れていく。


ピーピーピーピーピーピー!!!!!

 ドンッ!


 防犯ブザーの音で、床に倒れる音がかき消された。


 もがくスズの上に倒れた舞佳は、抜け落ちた錐を取られまいと必死に手を伸ばした。

 手のひらの痛みが、だんだんと広がっていく。


 玄関先でドタドタした足音が聞こえた。誰か戻ってきた?いや、まだ逃げ遅れているのかもしれない。床に落ちた錐を舞佳が握りしめた瞬間、舞佳の首元が急に苦しくなった。

「ううっ…!っ…!」

 舞佳の背中に触れたサチの手のひらが、舞佳の洋服をグッと掴んでいたのだ。

 洋服が後ろに引っ張られ、首が締まっていく…。


 私も、早く…!

 ここから逃げ出さななくちゃ…!


 舞佳は洋服を持つサチの手を話そうと、じたばたしながら立ちあがるために、足を動かす…。

 前がよく見えない薄暗い視界の中を、必死にもがいた。首が締め付けられる。


 …すると、急にサチの手のひらがパッと離された。

「は…あ…!」

 喉が開いた舞佳は、やっとしっかりと呼吸ができ、急いで体を起こそうとした。しかし、身体中のあちこちが痛み、思うように力が入らない。


 その時、舞佳の錐を握った手が、誰かに持ち上げられた。


 …これだけは…錐だけは、離しちゃいけない…!


 釘が突き刺さるような痛みがあるにも関わらず、舞佳はもう一度、錐をギュッと握った。

 …が、その誰かは、舞佳の手を持ち上げたまま、舞佳をサポートするように移動し始めた。舞佳の身体は、スズとサチの重なりから抜け出し、引きずり出された。


「舞佳さん、立って…!」

 和花の声だ。

和花が、助けに戻ってくれたのだ!


 早く…急いで、逃げないと…!

また、和花も危ない目に合ってしまう。


 舞佳は力を振り絞って、フラフラになりながら立ち上がった。


 立ち上がると同時に、和花の顔が見えた。

「走って!」

 和花に手を引かれ、玄関へと向かっていく。

 …ドアは開けられている。

 その先は、光に満ち溢れていた。


「待て…待てぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!」

「クズ教師がーーーーーーーぁぁぁ!!!」


 怪物のような声が響いた。

 ドンドンドン…!!と足音が迫る。


 逃げなきゃ…逃げなきゃ…!!!


 舞佳は足に力を入れた。

 一瞬だけ足がピキッとつりそうになったが、そんなことは頭の中に入ってこない。

 前のように、和花と玄関を飛び出した。

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